法隆寺西円堂・夢殿と喜光寺


法隆寺西円堂
7月11~12日、法隆寺と喜光寺(菅原寺)を訪ねた。
法隆寺西円堂(国宝)はもちろんかつて訪れてはいるのだが、行基の創建伝承があるので再訪しようと決意した。西院伽藍北西の小高い場所に、峯の薬師と呼ばれる薬師如来像を安置する八角円堂である。現存する遺構は鎌倉時代の建長2年(1250)の再建だが、当初は養老2年(718)光明皇后の母、橘夫人の発願によって、行基が建立したという寺伝がある。野小屋により屋根は急勾配になっているが、全体に古代の趣きをよく残す。今回とくに注目したのは、正面の向拝である。本体の長押に垂木をかけるのではなく、4本柱で片流れの屋根を支える。ただし、垂木上端の位置は本体の連子窓のマグサの位置にあわせており、屋根面は八角屋根とほぼ接している。正面から遠望するにシコロ葺き風にみえる。興福寺南円堂は正面向拝・裳階はその上に三手先をつけて高さを確保するが、西円堂は低平である。どちらのイメージで復元すべきであろうか。






法隆寺東院夢殿
法隆寺東院夢殿(国宝)は、周知のように、斑鳩宮の故地に建てられた聖徳太子の供養堂である。堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する。建立は天平11年(739)もしくは天平9年(737)。鎌倉時代の修理で屋根は急勾配になり、棟が高くなったが、それでも低平な印象がある。その「欠点」を補うため基壇を二重にして高さを確保している。二重基壇といえば、西院に通じる白鳳期(7世紀)の特色だが、天平期(8世紀)の供養堂に採用している点に興味を惹かれた。菅原遺跡「円形建物」の復元にあたっては、やはり栄山寺八角堂をモデルにするのが適切と思われる。


大仏殿の様ー喜光寺本堂
菅原寺(喜光寺)は行基建立説と元明天皇の勅願創建説の両方がある。生駒市有里の竹林寺(行基墓)で出土した銅筒に記す『大僧正舎利瓶記』によれば、行基は天平21年(749)、喜光寺で生涯を終えた(82歳)という。平屋建裳階付の本堂は東大寺大仏殿の様(ためし)、すなわち十分の一の雛形とした「試みの大仏殿」と俗称される。現在の本堂は天文13年(1544)の再建(重要文化財)。中世らしく柱間に対して柱が長い。気になったのはやはり長押の位置である。連子窓のマグサの位置に通している。頭貫の位置には使わないのが原則のようである。




【関係サイト】
復元検討web会議(第1回)
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復元検討web会議(第2回)
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復元検討web会議(第3回)
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復元検討web会議(第5回)
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行基の長岡院-菅原遺跡訪問記
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栄山寺八角堂
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広隆寺から興福寺へ
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奈良新聞の報道(菅原遺跡)
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法隆寺西円堂・夢殿と喜光寺
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