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ブータン 山の教室-学生レポート(1)

 12月23日、歴史遺産保全論の第13講義として「ブータン 山の教室」を視聴した。当日の反応をみる限り、多くの学生の心を動かしたようである。レポート〆切は大晦日だが、優秀作品を少しずつ紹介していきます。

どのような形になってもウゲンはブータンに戻ってくる

 《「先生は未来に触れられる」とはどういう意味か》 男子生徒サンゲの言う「未来に触れる」とは、ブータン(特にルナナ村)の行く末を担う子供たちと関わることができるということだと思った。ルナナ村の村長がいう普段からの口癖で、それを真似ているようにも思えるが、ルナナ村の現状を見ると教育に対する思いがかなり強いので、サンゲは自分の手でこの村の教育ないし未来を変えていきたいと思ってそのように発言したと思った。
 《「ヤクに捧げる歌」の内容を説明しなさい》 ヤクに捧げる歌はハダル(という名のヤク)の澄んだ魂を賛美する歌であると同時に、ルナナ村の人々を映す鏡であると説明している。また、ヤクとルナナの人々の絆は永遠のものであり、「現世であれ来世であれ帰ってくる」というハダルの返答の歌詞は、チベット仏教の輪廻転生が描かれており、ブータン的な思想の表れと共に、ヤクと人々のつながりの強さがわかる歌である。
 《ウゲンはブータンに戻るか、オーストラリアに残るか》 ウゲンはどのような形になってもブータンに帰るのではないかと思った。ヤクに捧げる歌の中で「現世であれ来世であれ帰ってくる」や「ハダル(ヤク)…神の子の如し」とある点から最終的には戻ってくると思った。「現世であれ来世であれ帰ってくる」という点においては、この後オーストラリアに残って音楽家の一生を終えたとしてもウゲンの魂はブータンの地にに戻るということを暗示していると思ったからである。また、「神の子の如し」という面から言えば、ヤクはルナナ村にとっては無くてはならない宝のような存在であり、ウゲンはヤクであると劇中で村長が示している。ウゲンは村にとってなくてはいけない存在であると「ヤクに捧げる歌」を通してウゲン自身も実感しているため帰ってくると思った。
 峠の祈りや寄進については、ブータンの町からルナナ村への往路では祈りや寄進をしなかったが、ルナナ村から町への復路では祈りや寄進をしており、ウゲンに心境の変化があったことがわかる。峠の祈りや寄進の際に、供物の代わりに石を重ねた場面の後、ウゲンは「またルナナ村に戻れるように」というような発言をしていた。その点からいってもウゲンのルナナ村に対する気持ちは強いものになっており、時間がたってからでも戻ってきたいと思っているのではないかと思った。
 《感想》 『ブータン 山の教室』を見て、教育の意味について考えさせられた。日本では義務教育が一般に普及しており、当たり前のように学校に通えるし、先生がいるのだって普通の環境である。我々が大変恵まれた環境にあり、勉強したくても先生がいない、簡単に教材が手に入らない、そもそも紙や鉛筆が高級品という世界観は同じような場面を他の機会で知ってはいたが、改めてみるとあまりに教育環境が整っていないと思った。しかし、教育者として物がないからといって教育をあきらめるのではなく、ウゲンやルナナ村の人たちのように黒板やチョークといった自分たちでも作れるものはあるもので補うという精神は、現代の日本の学習指導要領における「地域の実態にあった教育」という視点においては学ぶべき精神であると思った。また、劇中で登場したドマは煙草に変わる嗜好品とあったが、ソマリアやエチオピアなどで使われているカートに近い立ち位置なのかなぁと思った。(3年SH)





知らないことを知れる、学ぶことができるということは楽しい

 《「先生は未来に触れられる」とはどういう意味か》 未来に触れるということは、当人が望む未来を実現するために必要であり求めている知識や手段を教示すること、進むべき道や未来への希望を示し導くことであり、人生の重要な一部分に触れて携わることだと考える。
 《ヤクに捧げる歌」の内容を説明しなさい》 ヤクに捧げる歌は人や動物、神々や谷の精霊たちなど万物に捧げる澄んだ魂を賛美する歌であり、肉が必要となったときに投げ縄のかかったヤクの飼い主が作ったものである。歌詞の中でも、「ヤクのおかげで私は命を長らえた」「ヤクには高い山の草と清い湧き水がふさわしい」とヤクとヤク飼いの絆が神聖であること、前述した澄んだ魂を賛美している部分である。また、歌詞の最後では、「私たちの絆は永遠だ」「ヤクたちは山のあちこちで草を食み夕方には家に戻る、それと同じように現世であれ来世であれ私は戻ってくる」とヤクからヤク飼いへ返答があり、ヤクとヤク飼いは家族のように親しく、その絆はとても神聖であると説明している。
 《ウゲンはブータンに戻るか、オーストラリアに残るか》  私は何年か後にブータンに帰ると思った。そう感じた理由を示していく。まず、ヤクに捧げる歌で出てくる、「ヤクは山で草を食み夕方には帰ってくるように現世であれ来世であれ私は帰ってくる」という部分と村長が別れ際に言っていた「先生はルナナの息子、我らの雪山と運命で結ばれている」という言葉。次に、峠での祈りをささげるときにウゲンが「いつか戻ってこられるように」と言っていること、この点からウゲンは今後村に帰ってくる可能性があると感じた。
 加えて、村長が村に必要不可欠であるということからウゲンはヤクだと言っていることに着目し、ウゲンをヤクとして考えてみる。ヤクとヤク飼いの絆は神聖で永遠であると歌われており、これはウゲン(ヤク)とセデュ(ヤク飼い)の関係を示していると推測できる。また、前述した歌詞の「ヤクは山で草を食み夕方には帰ってくる…」の部分にも当てはめてられ、セデュの「ずっとここにいる」という言葉からもいつかは帰ってくると信じていると考えられる。以上のことから、ウゲンは村に必要不可欠な存在でありセデュや雪山と強い絆で結ばれていること、ウゲンの峠での祈りなどから、ウゲンはブータンへ帰ってくると推測する。
 《感想》 澄んだ空気や美しい自然の風景や風を感じることのできる素敵な映画だった。最初にペムザムがウゲンを起こしに来る場面や、授業を受ける生徒の子供たちのまっすぐな目や楽しそうな表情を見て、知らないことを知れる、学ぶことができるということは楽しいことで希望のような存在であると感じた。また、元々私は動物が好きなのですが、ヤクとヤク飼いの信頼関係や深い絆をセデュが歌の歌詞について説明している場面や、村長がヤクとウゲンの存在を重ねている場面から感じ、印象に残っている。様々な場面で「歌」がでてきて、よく歌は世界の共通言語だといわれているが、まさしくその通りで国だけでなく世代や育った環境の違う人、動物との心をつなぎ合わせるものなのだと実感した。窓に貼られた伝統紙や食事、学校の建物の様子など所々で決して裕福とはいえない暮らしであることが示されているが、子供たちを中心に多くの人は悲観することなく日々を楽しそうに過ごしていて、幸せを他人が定義することはできず、幸せかそうでないかは当人が決めることなのだと改めて考えさせられた。(3年TM)

《連載情報》
ブータン 山の教室
http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-3070.html
ブータン 山の教室-学生レポート
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2485.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2486.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2487.html

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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