懐かしの洞ノ原

遠すぎた蕎麦屋たち
1月14日(金)、正式に菅原遺跡の復元図一式が納品された。前にも述べたように、ちょうどその日、スタジオでメディア対応のCGを検索・収集していて(一覧リスト)、ついでに納品CDデータのチェックもスタジオでおこなった。新しくインストールしたMicroGDSが早くも大活躍です。
土日を挟んで1月17日(月)、妻木晩田遺跡でロケがあった。本当は前日から松江入りし、伯耆・出雲の「山中の蕎麦屋」をめぐるろうと思っていたのだが、島根の感染者が100人を突破した直後でもあり、断念した。ちなみに、「蕎麦食のフードスケープ」で1・2年生が探しあてた以下の3軒がとくに気になっていた。
①山小屋 上代 椿庵
手作りの山小屋風だが、内部はイロリなどあり、古民家風。
年中無休 完全予約制(4名)座敷・テラス席
鳥取県伯耆町福岡3378 ℡0859-62-0058
②ときわすれ清水屋
古民家再生型 畳座敷+縁側
営業:定休日火~金 11時00分~15時00分
鳥取県日野郡 日南町菅沢1019 ℡0859-87-0006
③扇屋そば
木次線亀嵩駅の木造駅舎内に大衆食堂風の店構え
営業:(9:30~17:00) 定休日:毎週火曜日 祝日の場合は営業
島根県仁多郡奥出雲町340 ℡0854-57-0034
日帰りの場合、これら奥地の蕎麦屋を訪問するのは難しい・・・ 捲土重来!


研究室制作の模型と再会
17日の午後1時、滑り込みで妻木番田事務所に到着。 たどり着いたその感想を一言で表現するなら、懐かしい。あぁ、ここで活動していた時期があったんだと思い、当時は現場の若手だったKさんの出迎えと丁寧な応対に感激した。なにより洞ノ原の風景に感激した。これほどの絶景の場所に弥生時代の建物を再現できるのは名誉なことである。
NHK鳥取のスタッフ3人も待ち構えており、少々段取りをして、さっそくロケが始まった。そうだ、そういえば、今回のロケでは入試広報課から貸与された緑のジャンパーを身に纏った。緑の眼鏡とあって良いと思ったが、ちょっとサイズが小さくて、腹の出が目立ったかもしれません(笑)。まずは収蔵庫と展示館の竪穴住居復元模型からスタート。竪穴住居の場合、いきなり復元設計図を描くのは難しいので、模型製作がスタートになり、CGの作成もやっかいであることを強調した。


生活感溢れる竪穴住居
その後、洞ノ原先端の復元建物地区に移動。私自身が20年前に指導した竪穴住居2棟、高床倉庫2棟が建っている。いったいいつ以来の訪問になるのだろうか。おそらく十年以上の歳月が過ぎている。竪穴住居は健全な姿を維持していた。なんだみすぼらしい見てくれの竪穴住居だな、と思う人もいるかもしれないが、私としては、妻木晩田遺跡で出土した焼失竪穴住居のデータを最大限活用し、生活感溢れる住まいの再現を狙ってのものであり、改めて自分の作品と出会って、決して出来はわるくないと思った。私の復元住居の代表は、世界文化遺産になった御所野遺跡(岩手県一戸町)だと思われがちだが、こうして改めて再会してみると、妻木晩田遺跡洞ノ原も優劣つけがたい(妻木山は私の指導ではない)。



青谷出土部材を応用した最初の高床倉庫
竪穴住居から少し離れた高台の先端に建つ高床倉庫は、かつて強風で倒壊したことがあるけれども、今は柱を太くするなどして、やはり健在な姿をみせている。2棟のうち、垂直壁をもつ板倉は、青谷上寺地遺跡出土建築部材を初めて分析して復元に取り入れた建物である。その後も、青谷の部材を応用して原寸復元された建物はないので、これが青谷部材参照の唯一の例なのかもしれない。この段階まで、私はCGを使っていない。このあとの出雲大社境内遺跡大型本殿がCGのデビューであり、それが著しく向上したのは、その後の青谷上寺地~纒向遺跡(2006-09)の頃から、というよりも、その時代がピークであった。
高床倉庫の説明でこの日のロケは終わった。お腹が減っていたので、淀江の蕎麦屋「ひのき屋」を訪ねたのだが、臨時休館していた。オミクロンの影響だろうと思う。


スタジオでの長時間インタビュー
翌18日、今度は大学のスタジオで長時間のインタビューに答えた。大型パソコンの画面には、研究室が取り組んできたCGがこもごも映し出される。じつに長いインタビューであった。ディレクターがどんなことに興味をもち、わたしがどのように答えたかは今は言えない。番組の楽しみとしてとっておくしかありません。
ちなみに、放送は2月上旬(3日か8日?)だそうです。放映時間が確定したら、再度広報します。



