鮭のベイビー、ロックンロール(2)

トバの糟汁
ヴァレンタインの日に燻製鮭の糟汁をつくりました。
上手くいったとはいえませんねぇ。塩漬け燻製された鮭の骨付き部分や頭を煮て煮て煮て塩を抜く。もちろん湯をかえていきます。その回数を増すごとに、鮭の風味も奪われていく。味噌汁のなかにある鮭の身はトバがもろくなっただけで、味わい深さがなくなっているのです。北海道アイヌたちは、冬越しをするために、こうした料理を育んできたのでしょうが、現代の西日本に住む我々は、容易に鮭の切り身が手に入る。それを使うほうが美味しい汁ができると思うのです。

そもそも子どものころ、わたしは糟汁が苦手でした。美味しいと思ったことがない。年をとって、いつが最後だろうか、もう20年以上糟汁というものを口にしていません。だから味付けも暗中模索でね。酒糟を少しずつ味噌汁に加えていくのですが、半袋もいれれば十分だろうと思って椀に盛ったところ、糟の味が足らない、ということになって、鍋に汁と具を戻し、残り半袋の糟を加えて、記憶の彼方にある糟汁の味に近づいたような気がするのですが、本当に残念なことに、鮭の風味が失われておりました。
今回は骨付き肉の部分と頭でしたが、まだ切り身があります。切り水は冷水につけて塩を抜いたので、鮭自身の風味はさほど失われていないのではないかと思うのですが、糟汁はもういいな。焼くか、ソテーにしてみます。


オーソドックスで、見事な演奏ですね。二胡に負けてません。やはりナイロン弦はいい。
スキルは卓越し、ヴォイシングは凝っているけれども、そうしたプロフェッショナルな工夫が必ずしも聴衆の心を動かすわけではない、という典型的な演奏になってますね、残念ながら。力量を誇示したい気持ちは分かるけれども、曲本来の良さを引き出すことがなにより肝要かと。チェットならこうはならない。