《修論中間報告》マカオの景観保護と囲屋のリノベーション

2月16日(水)、大学院修士課程1年次中間発表会がおこなわれた。日本語能力が十分ではなく、発表準備に着手するのも遅すぎて、先生に大変迷惑をかけてしまいました。先生のご指導に感謝申し上げます。私の修士研究の題目・内容は以下に示すとおりです。(金巴克)
題目: マカオの景観保護と囲屋(袋小路)のリノベーション
研究の背景と動機
今年度はコロナ禍ということもあり、満足ゆく活動ができたわけではないが、前期・夏休み・後期の順に活動の成果を報告したい。発表構成はスライド1の左側に示している。マカオは、香港に近い中国広東省珠江デルタ河口の西側に位置し、マカオ半島、タイパ島、コロアネ島から構成されている。面積は約33平方キロメートル、人口は68万人弱であり、世界でいちばん人口密度が高い地域と言われている。マカオは数百年に及ぶ中国とポルトガルの衝突と交流により、異国情緒溢れる地域文化をはぐくんできた。マカオはカジノで有名だが、ポルトガル占領時代の遺産も多く、2005年には「マカオ歴史地区」が世界文化遺産に登録されている。スライド2右の地図の青い線の内側が世界文化遺産の範囲であり、赤い線はバッファゾーンの範囲を示している。

私はマカオ都市大学の卒業設計として「コロアネにある平民村の改造」に取り組んだ。スライド1の右下に現状写真と設計街区の模型を示している。この卒業設計をとおして、景観保護や歴史的建造物リノベーションの重要性を実感したが、結果は古い市街地の再開発になってしまった。本学の大学院に進学してから、景観や建築に対する見方が変わってきており、いま一度景観保護という観点から、歴史的建造物の修復・再生に取り組んでみたいと考えている。

2021年度前期の活動
私の日本語は決して高いレベルではないので、今年度前期は、語学力を向上させるため、中国語文章の日本語訳に取り組んだ。テキストとしたのは、中国のネットサイト「百度百科」である。百度百科のマカオに係る文章を毎週翻訳し、教授やゼミ生のチェックをうけ、研究室のブログにアップしていった。スライド3左は、百度百科の和訳内容などによって作成した歴史年表である。この年表に即して、マカオの歴史の概要を述べてみる。
マカオが中国史に登場するのは紀元前に遡る。秦の始皇帝が天下統一し、マカオは南海郡の一部となった。大きな変化があったのは南宋の末期、13世紀のことである。モンゴル(元)が中国に侵入し、数十万の難民と軍隊が福建から敗走して、船でマカオに漂着し、さらに南方の各地に逃げていった。1513年、小さな漁村だったマカオにポルトガル人が来航する。この事件を端緒として、ポルトガル人はマカオの居留地を拡大していく。1557年には永久居住権を確保するが、行政権は明王朝がもったままだった。しかし、アヘン戦争後のイギリスによる香港割譲に刺激され、ポルトガルは1849年、マカオを完全に植民地化する。以来、1999年に中国に返還されるまでの150年間、マカオはポルトガルの植民地だった。現在は中国の特別行政区とされている。


スライド4+追加1
2021年度夏期休暇中の活動
私の祖父の体調が悪化したことで、夏休みに帰国することになった。8月初旬より、広東省深圳に帰省したが、成田や広州での隔離期間が長かったので、隔離場所で日本語の論著を読んだ。その一覧をスライド4左側に示している。とくに興味をもったのは東光博英(1998)、内藤理佳(2014)、是永美樹(2017)の3冊である。これらの業績から、旧市街地の構成要素・構成原理、居住地の拡大について以下のように理解した。
マカオ旧市街地は、ポルトガル人が要塞と城壁を建設したことに始まる。追加図1で示す緑と黄色の線がマカオの旧市街地にあたる範囲である。さらに、都市計画上重要な位置を占めるのはまっすぐな街路(直街)である。当時のポルトガル人は、丘陵の上に教会や要塞などの拠点施設をつくり、それらを直線的な道路(直街)でつないでいった。また、「前地」という広場はポルトガル語の「ラルゴ」を訳した言葉である。小振りの広場を教会、政府関係施設、廟、市場、私邸群などの前側に配している。住民と親和性の高い外部空間であり、ベンチやテーブルがおいてあり、移動キッチンカーの営業場所でもある。

袋小路(囲屋)のフィールドワーク
私の研究主題は「囲屋」である。広東語で「ウェイオッ」と言う。日本語になおすと、袋小路や路地裏(の長屋)にあたる。中国の場合、標準語では巷(シャン)、モンゴル語由来の北京方言では胡同(フートン)、上海では弄(ロン)または里弄(リロン)と呼び、どの都市でも独特の生活文化をはぐくんできた。
夏休みに帰国して、まずは幻覚囲という袋小路の調査から再開した。小路に沿って建つ長屋風の住宅は2階建になっており、血縁関係のある宗族のコミュニティが形成されている。「幻覚囲」という地名は、アヘンに由来する。およそ一世紀前の清末の時代、ここに集まってくる人たちがアヘンを吸っていた。アヘンによる幻覚に因む地名だということである。百年以上の歴史がある幻覚囲の建造物はどんどん撤去され、およそ半分が崩壊している。スライド5右上の写真は茨林囲である。袋小路の特徴はすでに失われているが、歴史は最も古い。茨林囲は世界文化遺産の聖ポール天主堂跡の近隣に位置し、かつて日本のカトリック教徒が住んでいた。豊臣秀吉や徳川家康に迫害されたキリスト教徒たちがマカオへ逃れてきて住みついた場所であり、建造物の老朽化は著しいが、年代が古く遡る可能性があり、詳細な調査が必要だと感じた。
スライド5の下半分は、私が多重撮影した町並みのフォトスキャンである。マカオの伝統的な建築は、ポルトガル型と中国広東型に加えて、中国様式とポルトガル様式の融合した中葡折衷型の三種類に分類できる。一番上は中国広東型であり、中央の博物館はポルトガル型。下の騎楼群は中葡折衷型である。
追加図1・2(↓)は沙梨頭の図書館である。連続する7棟の騎楼を一体としてリノベーションしたものである。おもに内装を現代化しているが、デザインについては賛否分かれるかもしれない。



2021年度後期の活動-CNKI掲載論文等の整理と検討
帰国した10月以降は、おもにマカオの都市空間に係わる中国語の先行研究を収集・整理していった。スライド6に示すのは、主として、中国知網(CNKI)というネットサイトから集めた中国語の論文である。この全てを日本語に翻訳することはできないので、題目・キーワード・アブストラクトのみ和訳した。中国語の単行本も収集・整理したが、これについては後でまとめることにして、論文アブストラクトの和訳について、呉尭(2020)「居住建築文化遺産の保存修復と開発」を例にとってみる(スライド7)。
建築文化遺産の修復と保存は、歴史的な市街地を再生するための重要な手段である。
同時に、建築文化遺産を更新し、観光を促進できる。観光開発を目的とした保存・修復は、
訪問者にとって建築文化遺産の魅力を高め、観光体験を向上させうる。本稿では、住宅
建築の文化遺産である(世界遺産の)「鄭家大屋」の保存・修復の事例を研究対象とし、
その歴史的背景、現在の問題点と観光開発への影響を分析し、建築文化遺産の修復に
関わる総合的な戦略を提案する。
この論文はマカオの歴史遺産保全に係わる数少ない先行研究として重要である(右側の論文については省略)。なお、呉尭氏は私の母校、マカオ都市大学の教員である。

研究動向と本研究のオリジナリティ
以上の先行論著から、マカオの都市に係る研究動向を分析した。いちばん多いのは「都市の歴史」に関する業績である。日中両国で多数の論著が発表されている。二番目に多いのは「建築と多文化共生」に関わる論考である。なぜ「建築と多文化共生」を一括して扱うのかというと、たとえば、彭長歆・董黎(2008)に代表されるように、マカオの多様な建築は、多文化共生のシンボルだと考えられるからである。三番目は、都市の空間構成に関する業績で、京都女子大学の是永先生が研究のパイオニアとして知られている。四番目が都市の景観保護と歴史的建造物の修復・再生に関わる業績である。この分野については、日本語の先行論文はない。中国語の論文も少なく、今のところ確認しえたのは、さきほど紹介した呉尭(2020)のほか、姚敏峰・沈嵐(2015)、熊安昕(2016)の三篇のみである。
わたしがいま主題にしようとしている歴史都市の景観保護と建造物の修復再生に関する先行業績はこれだけ少ないということであり、とりわけ「囲屋」というマカオ独特の袋小路の空間と建築に着目する論著は皆無であり、十分オリジナリティのある成果を導けると強く感じた。

今後の課題
以上、修士課程1年めの成果を報告した。いま述べたように、マカオの袋小路=囲屋については、先行研究がなく、独創的な視点をもっていることが明らかになった。今後は、再びマカオを訪れ、幻覚囲や茨林囲などの詳細な調査をおこない、その成果に基づいて修復・再生案を示したいと思っている。今年度は長期の隔離に苦しめられたが、来年度は隔離条件が緩和することを期待している。実現するかどうかは分からないが、一人で調査しても限度があるので、現地で先生の指導を受けながら、ゼミのメンバーと一緒に実測・測量・ヒアリング等に取り組めれば最善だと考えている。コロナの収束を祈っている。
私の中間発表の内容は以上となります。この一年間、先生のご指導いただき、誠にありがとうございました。
