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《卒論》マカオの小店街とエッグタルトの風景 -旧ポルトガル植民地の町並みとフードスケープ-

魚谷スライド1 スライド1


 こんにちは、遊民です。2月9日(水)のオンライン卒業研究発表会の発表内容と概要を報告させていただきます。卒業論文の完成に協力していただいた皆様に、この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

題目:マカオの小店街とエッグタルトの風景 -旧ポルトガル植民地の町並みとフードスケープ-
Scenery of small shops streets and the egg tart in Macao - Townscape and foodscape of the former Portugal colony -
中間報告5


研究の背景と目的

 2020年度の春、研究室有志が上海に渡り、同済大学と交流しようと計画していた。渡航前の準備として、少しは中国語を学んでおこうということになり、中国の「百度百科」というサイトを利用して上海の情報を集め、教授が開発した「いい加減に学ぶ中国語講座」の方法に従いながら翻訳に取り組んだ。私は、外灘の近代租界建築を担当し、「和平飯店」などの翻訳をした。このような準備にもかかわらず、コロナ禍のため上海行は叶わなかった。
 年度が変わり、マカオ都市大学からの留学生テイさんを研究室の修士課程に迎えた。テイさんは「マカオの歴史的建造物の再生」を研究課題としており、昨年度から中国語翻訳を続けていた私とペアを組んで、今度は「百度百科」のマカオ(澳門)の項目を和訳することになった。マカオと上海は、西欧化の歴史が少々異なる。マカオは16世紀からポルトガルの居留地となり、19世紀にポルトガルの植民地となったのに対して、上海はアヘン戦争後の南京条約(1842)で開港した租界都市であり、英仏などの居留地が形成されてはいたが、植民地であったわけではない。
 卒業論文としては、なによりテイさんの存在が大きく、類似する西洋風の都市ではあるけれども、マカオを主題とすることにした。


魚谷スライド2
魚谷スライド2盧家ステンドグラス 魚谷スライド2盧家天井 スライド2+追加2枚(盧家大屋)


マカオの歴史と文化

 1513年、当時小さな漁村だったマカオにポルトガル人が来航した。この事件を端緒として、ポルトガル人はマカオの居留地を拡大していく。1557年には永久居住権を確保するが、行政権は明王朝にあった。しかし、アヘン戦争後のイギリスによる香港割譲に刺激され、ポルトガルは1849年、マカオを完全に植民地化した。 以来、1999年に中国に返還されるまでの150年の間、マカオはポルトガルの植民地であった。現在は中国の特別行政区とされている。
 こうした長きにわたる居留地~植民地支配の影響により、マカオ本来の中国的文化とポルトガル文化が融合し、マカオに特有な中葡折衷の文化が形成された。それは食文化・建築文化によく表れている。とりわけ多くの建造物や広場の文化財価値が高く評価され、「マカオ歴史地区」が2005年にユネスコの世界文化遺産に登録されている。世界遺産となった建造物の多くはポルトガル式のものだが、中葡折衷のものも含んでいる。たとえば、1898年に建てられた盧家屋敷(マカオのカジノ王・盧華紹の旧宅)は、小さな中庭を持つ二階建ての四合院式住宅だが、ステンドグラスやコロニアル式石柱などポルトガル風の意匠が散りばめられている(↑スライド2追加2枚)。


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魚谷スライド3ポルトガルレストラン外装 魚谷スライド3ポルトガルレストラン内装 スライド3+追加2枚(ポルトガル・レストラン)


フォトスキャンにみる中葡折衷の町並み

 私は世界遺産地区のバッファゾーンにあたるマカオのメインストリートの景観に着目した。 道路に沿って軒を連ねる小店(こみせ)の「町並み=タウンスケープ」と「食の風景=フードスケープ」の関係/非関係性を探ることが本研究の目的である。
 留学生のテイさんは身内の不幸もあり、昨年の夏休みに帰国された。その際、町並みの連続写真撮影に取り組み、帰国後、私と協力してフォトスキャンによる連続立面図の作成に取り組んだ。スライド3上部の画像は新馬路の騎楼街の連続立面写真である。騎楼とは、建物の二階が歩道上にせり出す都市型住宅であり、中国南方の都市に卓越している。1階は小店となるのが一般的である(連続立面図の黄枠内)。こうした構造と外観がポルトガルの影響で洋風に変容している様子がよく分かる。カラフルな塗装もまたポルトガルの影響である。屋根については、中国式の黒い瓦を葺いている。以上のような諸々の特色ある町並みは、大陸側の一般的な都市では認められない。マカオ特有の中葡折衷型タウンスケープと言える。
 小店は騎楼の1階ばかりでなく、中国式の店舗併用住宅や単独の店舗としても存在する。その特徴を探るため、ネットや観光ガイドを情報源としてデータベースを作成した。すでに述べたように、本研究の目的はマカオのタウンスケープとフードスケープの関係を明らかにすることであり、小店のうち、とくに料理店を対象とした。これら料理店のタイプを、「ポルトガル型」「中葡折衷型」「中国広東型」「東南アジア型」の4タイプに分類し、合計20店のデータを集めた。
 なお、スライド3追加2枚の写真は本格的なポルトガル・レストランだが、今回はこのような大型のレストランではなく、小店街にある小振りのポルトガル料理店を紹介する。


魚谷スライド4スライド4


小店の4タイプと料理店の特色

 データベースを作成した結果、タイプごとに、ある程度の傾向を確認した。
 ポルトガル型料理店の場合、先ほどおみせした大型のポルトガル・レストランは、建築もメニューもポルトガル式だが、小店のポルトガル料理店の外観は、中国式であることが多く、フードスケープとタウンスケープの交錯が認められる。一方で、内装には洋風で、温かみのある照明を使用するなど、清潔感や高級感があると言える。
 中葡折衷型の料理店は、ほとんどが「茶餐廳」という形式で経営している。茶餐廳とは伝統的なファストフード店のことであり、近隣住民や学生が朝食や夜食を食べたり、ビジネスマンが昼食を食べたりと、外食文化が盛んな広東人の日常生活には欠かせない存在である。速くて安い手軽さを重視しているが、高級感はない。店舗の外観は、先に紹介した新馬路の騎楼のような中葡折衷型の建物や新しい建物が多い。
 中国広東型の料理店は、店と屋台を複合させている例が多くみられる。人や車の交通が少なくなる夜間に営業をおこない、店舗から歩道に客席ばかりか、小型のキッチンまで移設して、食品を販売している。高級感や清潔感とはほど遠いが、屋台食にも風情があり、下町の雰囲気をぞんぶんに楽しめる。
 東南アジア型の料理店は、外観は中国式であり、質素な内装をしている。ポルトガル料理・中華料理とは違い、ミャンマーやベトナムからの難民が手作りする東南アジア料理は、マカオ人にとっても異国情緒溢れるメニューとして人気がある。そうした未体験の料理を楽しめることが東南アジア料理店の最大の特徴である。



魚谷スライド5スライド5


懐かしの小店-ミャンマー料理店の場合

 スライド5左半はミャンマー料理店のデータシートである。この例などから東南アジア型の料理店について掘り下げてみよう。この店の外観は中国広東型だが、内部ではミャンマー料理を提供している。『小店憶旧(懐かしの小店)』[2020]という中国語本に紹介されている「牛牛小食」というミャンマー料理専門店を例にとると、店主の黄佩蘭さんとその家族は、1971年にミャンマーで起きた中国人弾圧から逃れるために、マカオに移住してきた。黄さんの話によると、当時のマカオはまだ経済的に発展しておらず、今より汚い街だったという。東南アジア系料理店のほとんどがこの時代に開業したため、店舗の外観や内装が、質素なものになっていると考えられる。ベトナム料理の小店も同様だが、後発のタイ料理の店だけは、かなり綺麗な店舗で営業している。マカオの急激な経済成長の波にのって数を増やしていったからである。


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市街地から離れたエッグタルトの人気店

 エッグタルトはマカオを代表するスィーツであり、マカオ人も観光客も異常なほどこのお菓子を好んでいる。マカオの小店を考察する上で欠かせないと考え、ブレイクに至る経緯を調べてみた。
  エッグタルトは1920年ごろ、イギリスの焼菓子「カスタードタルト」をもとに製作され、初めは香港・澳門・広州などで食べられていた。この時代のエッグタルトは、タルト生地と滑らかなカスタードが特徴で、現在のエッグタルトとは異なる。 現在の澳門式エッグタルトが普及するのは1980年代以降のことである。当時イギリスから香港経由でマカオに移住してきたアンドリュー・ストウが、マカオ人の口にあうようにとの思いから、ポルトガルの伝統的な焼菓子「パステル・デ・ナタ」をもとにして独自のレシピを開発し、1989年「澳門安徳魯餅店」を開業し、人気を高めていく。 店舗がマカオ最南端の不便の場所にあり、他店とは異なる見た目をしたエッグタルトは、はじめ売り上げをのばせずにいたが、少しづつその美味しさが口コミで広まり、今は大人気を博している。


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澳門安徳魯餅店の活力

 安徳魯餅店(アンドリュービンテン)が所在するコロアネ島のコロアネ村には、観光スポットが点在している。最も有名な観光地はフランシスコ・ザビエル教会である。16世紀の日本でキリスト教を布教したザビエルは、マカオを拠点にして長崎と往復していた。教会前のギャラリーには、新鮮な魚介類のレストランもあり、近隣には中国系民間信仰の廟もある。また、船上生活者が海岸線に築いた舟人街では、さまざまな魚介類の乾物を土産品として売っている。これらの観光地を巡り歩く際の「おやつ」として、手のひらに納まるエッグタルトは適していた。そのため観光客の人気を博しているのかもしれない。
 しかし、この店は観光客だけでなく、地元のマカオ人にも大人気である。コロアネ村はマカオの中心市街地から結構な距離があり、車の渋滞も激しく、不便な郊外地だと言える。また、市街地には、エッグタルトを食べることが出来る他の店舗が少なくない。それでも、わざわざ安徳魯餅店まで足を運ぶ理由は、アンドリューストウの開発したエッグタルトの味が突出して美味しいからというほかないように思う。


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ごちゃまぜ小店街の魅力と安徳魯餅店の教訓

 マカオ小店街のタウンスケープ(建築外観)は3タイプ、そしてフードスケープ(食の風景)は4タイプで構成されている。 これらのタウンスケープとフードスケープが一致する場合もあれば、一致しない場合もあり、全体として「ごちゃまぜ」になっている風情が澳門の小店街に活力を与えていると感じた。近年経済発展著しいマカオだが、今の小店街の町並みが再開発によって現代的な町並みにおきかわってしまうと、小店街の魅力が失われかねないと心配している。
 次に安徳魯餅店の人気の秘密を、日本の「山中のソバ屋」と比較して整理してみる。日本では、山間過疎地にぽつんと建つ「蕎麦屋」に人気がある。日本の場合、ソバや器(うつわ)、周囲の山水の風景、木造の和風建築・インテリアの全体を「ソバ食の風景」として五感で味わっている。それが山中の蕎麦屋の魅力なのだが、市街地から離れた安徳魯餅店からも似たような背景を読み取れるかもしれない、と期待していた。しかし周辺観光地との複合性以上に、味覚そのものの魅力が突出しているというのがこの度の考察の結論である。
 安徳魯餅店は国外にも出店しており、大阪の道頓堀にも支店がある。道頓堀店を実際に訪問して、エッグタルトを食べた。私は美味しいと感じたが、本場の味を知る方々に聞けば、相当な差があるそうだ。建物の外観もイギリスのハーフティンバー式であり、マカオやポルトガルの匂いを感じられない。余計なお世話かもしれないが、道頓堀店を持続可能にするためには、改善が必要かもしれない。
 以上、マカオでの現地調査を実現できなかったため、十分な考察には至らなかったが、テイさんのサポートにより自分なりの考察ができたと思っている。 


《参考文献》
1.林発欽主編(2020)『小店憶旧』広西師範大学出版社
2.林発欽主編(2020)『隣里雑貨』広西師範大学出版社
3.株式会社ダイヤモンド・ビック(2018)『地球の歩き方マカオ2018~2019年度版』ダイヤモンド社
4.秋田守(2017)『タビトモ マカオ』JTBパブリッシング
5.伊能すみ子(2020)『マカオに行ったらこれ食べよう!』誠文堂新光社
6.浅井信雄 (1997)『マカオ物語』新潮選書
7.東光博英(1998)『マカオの歴史―南蛮の光と影』大修館書店
8.塩出浩和(1999)『可能性としてのマカオ―曖昧都市の位相』亜紀書房
9.菊間潤吾(2004)『マカオ歴史散歩』新潮社
10.内藤理佳(2014)『ポルトガルがマカオに残した記憶と遺産』上智大学出版

《参考サイト》
全て2021年2月16日現在
1.百度百科「日清大楼」
https://baike.baidu.com/item/%E6%97%A5%E6%B8%85%E5%A4%A7%E6%A5%BC
2.百度百科「和平飯店」
https://baike.baidu.com/item/%E5%92%8C%E5%B9%B3%E9%A5%AD%E5%BA%97/49918
3.百度百科「澳門」
https://baike.baidu.com/item/%E6%BE%B3%E9%97%A8/24335
4.百度百科「葡式蛋挞」
https://baike.baidu.com/item/%E8%91%A1%E5%BC%8F%E8%9B%8B%E6%8C%9E
5.百度百科「蛋挞」
https://baike.baidu.com/item/%E8%9B%8B%E6%8C%9E/882634
6.「澳門安德魯餅店」
https://www.lordstow.com/lord-stows-bakery/?lang=zh-hant
7.「OpenRice」
https://www.openrice.com/zh/macau

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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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