跋文(1)-開学二十周年とブータン研究


出雲大神よ、ウクライナにご加護を! プーチンとコリグに厳罰を!
遠ざかるブータン
2020年1月、日本人で最初の新型コロナ陽性者が奈良で確認された。その人物は大型観光バスの運転手であり、乗車客は十数名の中国人旅行者であった。まもなく、大阪や京都でもちらほら陽性者がでるようになったが、感染のセンターはあくまで遠く離れた中国湖南省であり、都市封鎖された武漢に比べれば日本は無菌に近い状態を維持していた。鳥取はもちろん感染者ゼロである。そんな田舎町に、ブータン史とチベット仏教の大家、ローペン・カルマ・プンツォ(Lopen Karma Phuntsho)博士を招聘し、2月11日に大学のまちなかキャンパスで、以下の講演をしていただくことになっていた。
ブータン仏教からみた人間の幸福
Human wellbeing from the view of Bhutanese Buddhism
2019年夏休みのティンプーで昼食を共にした際、カルマ博士に来鳥を直訴して快諾を得ており、その後も繰り返しメールでスケジュールを調整していた。1月から準備を始め、万全の態勢でお迎えする用意を済ませていたのだが、コロナの壁が立ちはだかった。わたしのほか複数の関係者は、日本の感染症が決して蔓延状態にはなく、例外的にしか認められないことを強調して安全を知らせていた。しかしながら、経由地のバンコクの状況がやや悪化の兆しをみせており、理事長を務めるロデン財団のスタッフからの懇願もあって、博士は出国を回避されることになる。日本側のショックは計り知れないものであった。
講演内容については「幸福」にあたる英語に注目していただきたい。刹那的な喜びをあらわすハピネス(happiness)ではなく、持続的に心身が健やかな状態にあるウェルビーイング(wellbeing)を敢えて「幸福」と訳している。当時、この主題に係わる研究をしていた者はいなかったが、まる2年を経た今年度、「居場所」論と絡ませてウェルビーイングを扱う卒業研究が2篇もあらわれた[東2022・村上2022]。この点、カルマ博士の幸福論を拝聴できなかったことを、今でも残念だと思っている。
空気の抜けた浮き輪のように
カルマ博士の来日キャンセルはまさに2年以上に及ぶコロナ禍の先駆けとなる出来事であった。2020年度はGWあけから前期の全面オンライン授業が始まり、夏休みはわずか2週間に短縮された。海外系の科研をもつ研究者は出国不可の状態に陥り、国内でのデータ整理や報告書等の執筆に集中するほかない。かくいう私もその一人であったが、オンライン講義の負担は予想を超えて重くのしかかった。前期の間に2科目30コマ分の録音・録画教材を作成した結果、夏には「空気の抜けた浮き輪」のようになってしまい、自ら年度目標と課した論著等の完成に自信がもてないほどの疲弊感を覚え始めていたのである。
救済者はゼミの4年生たちであった。とりわけ前年(2019)夏の第8次ブータン調査を経験した藤井さんと井上くんには負荷をかけた。藤井さんは3年次の後期後半から能海寛に係わる報告書の編集実務をこなし、年度末に刊行した『能海寛を読む』[バックナンバー38]の推進役を果たした。就職活動では、その報告書を持参し面接に臨んだのだという。オンラインが常態化した4月以降は、4年生全員を巻き込んで『鳥取県の民家』(1979)追跡調査の成果を編集し始め、夏休みには井上くん等を引き連れて秋田に飛び、『秋田県の近代化遺産』(1992)の追跡調査にも取り組んだ。そうした国内活動のすべてを網羅した成果報告書『古民家「終活」の時代』[バックナンバー39]を父の13回忌にあたる11月11日に刊行した。ささやかな成果ではあったけれども、その後に展開する「ソバ食のフードスケープ」[佐藤2021]や、カールベンクス氏設計の古民家再生の評価[東2022]などの出発点となった業績である。
雲南に消えたチベット仏教求法僧
2020年度後期から本学は全国的にも珍しい、原則「開講」に舵を切った。開講すれば教員は楽になり、学生の授業理解は深まるが、同時に感染のリスクを背負うことになる。本学の特徴は、県外出身の学生が8割にも及ぶことであり、春休み・夏休み・冬休みなどの長期休暇が終わると、県外に帰省していた学生が一斉に戻ってくる。この場合の防疫基準として鳥取県の感染警戒レベルを指標とするのは意味をなさない。学生の故郷は四方八方に拡散しており、帰学後のキャンパスはごちゃまぜの全国圧縮状態になっているからだ。幸運なことに、後期前半の10~11月は感染者が全国的に少なくなる。そうしたかりそめの安定期を迎えたからこそ、『古民家「終活」の時代』を刊行しえたのだが、この年わたしはさらに欲張りなシフトを整えていた。コロナ禍で暇になると思い込んでいた春の学長裁量経費申請で別の編著の出版助成金まで獲得していたのである。3月刊行済の報告書『能海寛を読む』の内容を一般向けにするだけという気楽な申請のつもりが、完成に至る道のりは険しかった。出版社や関係部局にはご迷惑をかけてしまい、改めてお詫びと御礼を申し上げたい。
島根県出身の僧侶、能海寛は仏教が冷遇された明治期前半にあって新仏教改革を唱え、入蔵熱(チベット潜入願望)の先導者としてラサ一番乗りをめざしたが、明治34年ころチベットに近い雲南省の奥地で殺害された。2018年度、能海の残した唯一の著作『世界に於ける仏教徒』(1893)の現代口語訳に取り組む一方で、能海の足跡を辿る西北雲南高地を旅していた[森2019]。それらの成果をまとめた報告書が『能海寛を読む』であり、これをベースにしつつ複数の専門家の玉稿を編みなおして『能海寛と宇内一統宗教』(同成社・2021)を年度末に出版することができたのである。
ボンとは何か
コロナ禍以前、能海寛の研究と併行して、もちろんブータンの調査研究も進めていた。今枝由郎先生翻訳の傑作『ドゥクパ・クンレー伝』(岩波新書・2017)に刺激されたこともあり、「調伏と護法尊」という視点からブータン仏教の空間を見直す作業によって新しい気づきが少なからずあった[吉田2018・谷2020]。調伏とは、仏教以外の「邪教」の悪霊・魔女等を仏教側の守護神(護法尊)に変換していくプロセスをさす。チベット・ブータン地域の場合、ボン教が邪教にあたる。ブータン調査を始めたころは、仏教に先行してヒマラヤ山麓のひろい範囲で信仰されていた自然崇拝的な宗教(または法)だと漠然と認識していたが、しばしば指摘されるように、非仏教/前仏教的な信仰を「ボン」として一括する傾向が否めない。たとえば陽物(男根)崇拝は、「魔女」を浄化したドゥクパ・クンレーの金剛杵伝承から派生した民間信仰であり、護法尊と係わるにしても、直接ボン教に由来するものとは言えないであろう。
なによりボン教の実態がみえにくい。とりわけチベット側でのボン教は仏教諸派との宗教戦争に敗れて東漸を余儀なくされ、その教義は著しく仏教化している。こういう仏教化した宗派をブータンでは「白ボン」といい、ニンマ派仏教との習合以前の教義を残す古い宗派を「黒ボン」と呼び分けている。しかしながら、ブータンの側ではボン教の大寺院が造営された形跡がないらしい。ブータン唯一のボン教寺院として案内されたポプジカのクブン寺は、本堂の1階を仏堂としてニンマ派を装いながら、2階にボン教の神霊を祀る秘奥の部屋を2室設けていた。室内は黒く塗りつぶされ、髑髏の意匠が目を引く。そうした状況にありながらも、魔女や悪霊を調伏して誕生した護法尊にはボンの要素が溶け込んでいる。かくも複雑に絡みあった状況を知るにつけ、「ボンとは何か」という問いを禁じ得なくなる[藤井2021]。そうした問題意識から2020年秋に新規科研を申請し、2021年4月に採択された。本学唯一の新規採択である。しかしながら、今年度になってもコロナの状況は悪化の一途を辿り、ブータンは遠ざかったまま彼の地に戻れる気配がない。国内で取り組んだ活動と言えば、後述する菅原遺跡「円堂」の復元研究とこれまでのブータン調査成果を合体させた本報告書の編集業務に限られる。
なお、カルマ博士招聘の仲介役をお願いした熊谷誠慈准教授(京都大学)は編著『ボン教-弱者を生き抜くチベットの智恵』(創元社・2022)をこの1月末に上梓された。弱者を行き抜く智恵はチベットだけでなく、ウクライナにも、ミャンマーにも、香港にも、そしてなによりわたし自身にも必要だと思っている。【続】
【跋文(1)(2)を通じての参考文献】
浅川編(2020b)『能海寛を読む -「世界に於ける仏教徒」の口語訳と批評』[バックナンバー38]
浅川編(2020c)『古民家「終活」の時代-文化遺産報告書の追跡調査からみた過疎地域の未来像』
[バックナンバー39]
吉田侑浩(2018卒論)「ブータン民家仏間の考現学-諸神仏の配置と調伏の構図」[付録①に概要]
森 彩夏(2019卒論)「能海寛『世界に於ける仏教徒』(明治26年刊)の口語訳と批評」
岡﨑滉平(2020修論)「中期密教の宝塔/多宝塔とチベット仏教ストゥーパの比較研究
-構造と配置に関する基礎的考察」[付録⑤に概要]
谷 愛香(2020卒論)「ブータン仏教の調伏と護法尊に関する基礎的研究
-白/黒の対立と融合」[付録②に概要]
井上裕太(2021卒論)「ブータンの蕎麦食文化 」[付録④に概要]
佐藤亨成(2021卒論)「蕎麦食の風景-山中の蕎麦屋はなぜ繁盛しているのか」
藤井鈴花(2021卒論)「チベット・ブータン仏教とボン教の歴史的相関性に関する予備的考察」
[付録③に概要]
東 将平(2022卒論)「日本海側過疎地の活性動態を探る-北陸の地域振興例と因幡・但馬への
フィードバック」
玉田花澄(2022卒論)「大僧正行基と長岡院-菅原遺跡を中心に」
村上澄真(2022卒論)「『金閣寺』と『金閣炎上』-居場所を失くした若者たちへ」
コロナ禍以前、能海寛の研究と併行して、もちろんブータンの調査研究も進めていた。今枝由郎先生翻訳の傑作『ドゥクパ・クンレー伝』(岩波新書・2017)に刺激されたこともあり、「調伏と護法尊」という視点からブータン仏教の空間を見直す作業によって新しい気づきが少なからずあった[吉田2018・谷2020]。調伏とは、仏教以外の「邪教」の悪霊・魔女等を仏教側の守護神(護法尊)に変換していくプロセスをさす。チベット・ブータン地域の場合、ボン教が邪教にあたる。ブータン調査を始めたころは、仏教に先行してヒマラヤ山麓のひろい範囲で信仰されていた自然崇拝的な宗教(または法)だと漠然と認識していたが、しばしば指摘されるように、非仏教/前仏教的な信仰を「ボン」として一括する傾向が否めない。たとえば陽物(男根)崇拝は、「魔女」を浄化したドゥクパ・クンレーの金剛杵伝承から派生した民間信仰であり、護法尊と係わるにしても、直接ボン教に由来するものとは言えないであろう。
なによりボン教の実態がみえにくい。とりわけチベット側でのボン教は仏教諸派との宗教戦争に敗れて東漸を余儀なくされ、その教義は著しく仏教化している。こういう仏教化した宗派をブータンでは「白ボン」といい、ニンマ派仏教との習合以前の教義を残す古い宗派を「黒ボン」と呼び分けている。しかしながら、ブータンの側ではボン教の大寺院が造営された形跡がないらしい。ブータン唯一のボン教寺院として案内されたポプジカのクブン寺は、本堂の1階を仏堂としてニンマ派を装いながら、2階にボン教の神霊を祀る秘奥の部屋を2室設けていた。室内は黒く塗りつぶされ、髑髏の意匠が目を引く。そうした状況にありながらも、魔女や悪霊を調伏して誕生した護法尊にはボンの要素が溶け込んでいる。かくも複雑に絡みあった状況を知るにつけ、「ボンとは何か」という問いを禁じ得なくなる[藤井2021]。そうした問題意識から2020年秋に新規科研を申請し、2021年4月に採択された。本学唯一の新規採択である。しかしながら、今年度になってもコロナの状況は悪化の一途を辿り、ブータンは遠ざかったまま彼の地に戻れる気配がない。国内で取り組んだ活動と言えば、後述する菅原遺跡「円堂」の復元研究とこれまでのブータン調査成果を合体させた本報告書の編集業務に限られる。
なお、カルマ博士招聘の仲介役をお願いした熊谷誠慈准教授(京都大学)は編著『ボン教-弱者を生き抜くチベットの智恵』(創元社・2022)をこの1月末に上梓された。弱者を行き抜く智恵はチベットだけでなく、ウクライナにも、ミャンマーにも、香港にも、そしてなによりわたし自身にも必要だと思っている。【続】
【跋文(1)(2)を通じての参考文献】
浅川編(2020b)『能海寛を読む -「世界に於ける仏教徒」の口語訳と批評』[バックナンバー38]
浅川編(2020c)『古民家「終活」の時代-文化遺産報告書の追跡調査からみた過疎地域の未来像』
[バックナンバー39]
吉田侑浩(2018卒論)「ブータン民家仏間の考現学-諸神仏の配置と調伏の構図」[付録①に概要]
森 彩夏(2019卒論)「能海寛『世界に於ける仏教徒』(明治26年刊)の口語訳と批評」
岡﨑滉平(2020修論)「中期密教の宝塔/多宝塔とチベット仏教ストゥーパの比較研究
-構造と配置に関する基礎的考察」[付録⑤に概要]
谷 愛香(2020卒論)「ブータン仏教の調伏と護法尊に関する基礎的研究
-白/黒の対立と融合」[付録②に概要]
井上裕太(2021卒論)「ブータンの蕎麦食文化 」[付録④に概要]
佐藤亨成(2021卒論)「蕎麦食の風景-山中の蕎麦屋はなぜ繁盛しているのか」
藤井鈴花(2021卒論)「チベット・ブータン仏教とボン教の歴史的相関性に関する予備的考察」
[付録③に概要]
東 将平(2022卒論)「日本海側過疎地の活性動態を探る-北陸の地域振興例と因幡・但馬への
フィードバック」
玉田花澄(2022卒論)「大僧正行基と長岡院-菅原遺跡を中心に」
村上澄真(2022卒論)「『金閣寺』と『金閣炎上』-居場所を失くした若者たちへ」