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跋文(2)-開学二十周年とブータン研究

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人類が現代史で経験したことのない災禍を超えて
 2021年4月15日(木)、杞憂は現実となる。春休みあけの第2週、木曜初回の講義にむけて家を出ようとしているところに電話が鳴った。学務課職員からの急報である。1名の学生にコロナ陽性反応が確認され、しばらく休校になるので、PCR検査の対象者以外は大学に来る必要はない、という。翌日、数百名のPCR検査をおこなった結果、さらに数名の陽性者を確認し、陽性者が出席した授業の担当教員・学生等も17日(土)にPCR検査を受けることになった。私の場合、火曜講義の履修生に陽性者が含まれていた。17日のうちに陰性であることが確認されたが、陽性者は日々増えてゆき、最終的には学内外十数名のクラスターであると認定された。テレビ・新聞・ネットに大学のクラスター情報が日々溢れていた。
 今でこそ、学校関係のクラスターはありふれてきているけれども、第4波のころは未だ例外的であり、近隣地域社会への影響も小さくなかった。馴染みのパン屋等に出入りすると怪訝な顔をされ、「PCRで陰性だった」と説明する必要があったし、「3日休業した」とか「アルバイト学生に来ないよう指示した」などの愚痴も聞かされた。大学は千人に及ぶPCR検査と約200人の抗原検査により、この苦難を乗り越えていった。これから先のことは曖昧に記すしかないけれども、コロナによる分断に巻き込まれて体調を崩し、夏に6週間の静養をすることになった(軽いウクライナ現象だと思っている)。研究意欲の低下がなにより悩みの種であり、こうなったら徹底的に体を休めようと思っていた矢先、本学同窓会報挨拶文の執筆依頼が届く。コロナは第5派のピークにありながら東京オリンピックが開催されるばかりか、断続的に線状降水帯が発生してゲリラ豪雨が降り已まず、各地に大きな被害をもたらしていた8月のことである。そんな不思議な夏を主題として、「人類が現代史で経験したことのない災禍を超えて」と題する挨拶文を書いた(付録中扉参照)。10月下旬、同窓会報が届きページを開くと、短文を寄稿したvol.17は開学20周年記念号であることが分かった。私もまた、この大学で20年働いたということだ。開学20周年記念号の挨拶文がまわってきたことを前向きに捉えることがきっかけになったわけでもなかろうが、体調は回復傾向をみせ始める。

アジア密教史と菅原遺跡「円堂」の座標
 チベット・ブータン地域のフィールドワークが進捗をみない苦境のなか、2021年度は奈良市疋田町でみつかった菅原遺跡「円堂」の復元に力を注いだ。この復元研究は2019年11月に開催された中華人民共和国建国70周年紀念中国建築学会国際シンポジウム(@北京工業大学)に招聘されて講演した「東大寺頭塔の復元からみた宝塔の起源-チベット仏教の伽藍配置との比較を含めて」(中国語)の続編にあたる。この日本語版を前掲『能海寛と宇内一統宗教』の中で発表した直後、菅原遺跡の報道に接し、それまで暖めていたアジア密教史と東大寺及び行基の関係に係わる考察[岡﨑2020]を前進させるべく「円堂」の復元に着手することを決意した。この決断もまたコロナ禍が影響しており、予算の手続きなどに骨を折ったが、関係部局の理解もあり、多くの学友・研究室OB等のサポートにより成し遂げることができた。可哀想だったのは玉田さんである。玉田さんは「ブータンに行きたい」という志のもとゼミに加わったものの、2020~21年度を通して国外出張が叶わなかった。2018年以来、歴代の秀麗な先輩女子学生は、森さん(雲南1回)、谷さん(ブータン2回)、藤井さん(ブータン1回)と海外出張を重ね、研究室の主軸として活躍したが、玉田さんだけがコロナの壁に夢を砕かれた。その結果、無理心中のようにして行基と菅原遺跡に係わる卒論に引き込まれる結果となった[玉田2022]。しかしながら、行基と道昭・菩提遷那・忍性の関係をよく整理して、復元研究と歴史観の向上に貢献してくれたことに感謝している。
 11月8日、奈良県庁内で菅原遺跡「円堂」復元の記者発表をおこなった。メディア各社の反応はまずまずであり、同日夕刻のNHK奈良と奈良テレビのニュースを皮切りに、翌日以降、全国各紙で報道された。2021年はこうしたメディア露出が反復的にあった一年でもある。6月30日のNHK全国放送「歴史探偵-信長・秀吉・家康 神への道-」では研究室OBの岡垣くんとともに出演し、安土城摠見寺本堂の復元から「仏を超える信長」の野心的構想を説明した。また、菅原遺跡の報道に目をとめたNHK鳥取は、国内で稀少な建築考古学の専門家としてわたしの特集を企画し、年初からの2日にわたるロケを経て、2月3日夕方の情報番組「いろドリ+(プラス)」で「say 精鋭 yeah!」シリーズに出演した。開学20周年の年に私の復元人生をうまくまとめてくれて喜んでいる。


日本のなかのブータン
 ブータン訪問が中断した2年ではあったけれども、それならば発想を転換し、「日本のなかのブータン」を探そうという努力もした。いちばん驚いたのは、石川県白山市に本部をおく社会福祉法人「佛子園」の活動である。佛子園のブータン事務所長、中島さんの「民樹のブログ」はブータンのコロナ事情を知る重要な情報源であり、思い切ってコメント欄に自己紹介したところ返信があった。奇遇にも、中島さんは大学に近い八頭郡郡家町生まれの神戸育ちであり、「鳥取は第2の故郷」という認識があるという。メールのやりとりを繰り返して盛り上がり、2021年1月にはリモートでの面談が実現した。
 佛子園は2012年からブータン高地貧困農民や障碍者の支援に取り組んでおり、ブータン産のソバの実を日本に輸入し、国内の障碍者を雇用して機械製粉・製麺し、ブータン蕎麦の店を中心におく複合施設を経営している。運営のコンセプトは「ごちゃまぜ」である。ごちゃまぜとは「障碍の有無・性別・年齢・国籍・文化・人種や宗教・性的指向などを異にするあらゆる人が認め合い、つながること」を意味し、特定の人々を排除しない。すべての人に「居場所」と「生きがい」と「役割」があるという考え方であり、そうしたコンセプトは、JOCA(青年海外協力協会)の地域振興でも採用され、各地に佛子園型の施設が誕生しつつある。ちなみに、JOCAはJICA経験者の働き場所として組織化された公益財団法人であり、途上国支援で培った経験を活かし、日本の過疎地を拠点として「ごちゃまぜの地域づくり」に取り組んでいる。研究室が推進する「山中の蕎麦屋」研究[佐藤2021]、ブータン蕎麦研究[井上2021]のいずれとも関係が深く、これまで佛子園本部、JOCA本部(長野県駒ケ根市)、JOCA×3(広島県安芸太田町)、JOCA南部(鳥取)を訪問・視察している。

人間の健やかな居場所をもとめて
 最後に昨年上映された映画『ブータン 山の教室』についても触れておきたい。この映画は、オーストラリアで歌手になることを夢見る若い教師ウゲンが、海抜4800mの僻地、ルナナ村の小学校に赴任するよう命じられるところから始まる。しぶしぶ承諾したウゲンではあったが、8日間の登山で村に辿り着いた途端、首都ティンプーに帰りたいと村長に告白する。しかし、子どもたちや村人に囲まれ、次第に生きがいを感じるようになり、村人からも村に必要不可欠なヤクのような存在として慕われる。豪雪で閉ざされる冬が来る前に村を離れ、念願のオーストラリアに渡って、バーでポップスを歌うのだが、どこか自分に違和感を覚え、歌うのを突然やめてしまう。そして、ルナナ村で教わった「ヤクに捧げる歌」を歌い始めるシーンで映画は終わる。
 この映画がなにより強調しているのは「人間の幸福と居場所の関係」である。ここにいう幸福(well-being)とは、冒頭でも述べたように、人間の心身が健やかな状態を意味する。人間にはその人にふさわしい「居場所」があり、その「居場所」にいることで健全かつ安寧な生活を持続できる。ウゲンは、自分の居場所が憧れのシドニーではなく、ルナナ村であることに気付いたからこそ、「ヤクに捧げる歌」を異国の酒場で歌い始めたのであり、早晩ブータンに戻ることをエンドロールで予感させた。
 ここにいう居場所は必ずしも空間的な概念ではない。佛子園・JOCAを例にとるならば、障碍者や高齢者を一定のスペース(施設)に隔離することなく、健常者・若者・子どもと交流させることで生き方に活力を与えているのであり、そのことがまさに「居場所」であると言えよう。一方、新潟県の限界集落「竹所」に移住してくる人たちは、カールベンクス氏の再生古民家を心地よい「終の棲家」だと考えている。この場合の居場所は、空間的な存在と言うほかない。問題は、その人物をウェルビーイングな状態に導く条件であり、繰り返すけれども、その条件は人によって異なる。昨年12月、ある授業でこの映画のDVDをみてもらった。大変好評であり、スクリーンをみつめながら涙ぐんでいる学生もいたほどである。年末には質の高いレポートが集まった。そのなかでとくに深い理解を示したレポートの結論部分を紹介しておく。

  映画を通して、幸せや自分にとっての居場所は人それぞれに違っているのだということを
  感じました。有名になる、たくさんの人に認められる、物質的に富んでいる、人より優位に
  立てる、といったことが幸せであることの理由にはならないし、皆がそう考えて自分もそう
  なりたいと思っても、人と同じ目標に向かって追い求める幸せが自分の本当の幸せであるか
  は分からないと思います。自分の本当の居場所や幸せは、都会にあるかもしれないし、
  思いがけない場所にあるかもしれない。流行りじゃないから、不便だからという理由で目を
  背けるのではなく、自分を受け入れて周りを見つめ直してみようと思える映画でした。

 この大学で20年働き、リタイアの時期が迫ってきている。私たち夫婦は、引退後、どこに居場所を求めるのか。それを話し合う時間がなかなか楽しい。生まれ故郷の鳥取もわるくないけれども、別の場所に引っ越す可能性もある。ただし、その場所がブータンや鳥取のような「田舎」であるのは間違いないと予感している。【完】

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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