タカダワタル的(2)

ぽつんとたたずむ小さな後姿
高田渡。1949年1月1日生まれ。彼の家庭は幼いころに震災や株の失敗で財を失い、母もなくした。父はあてもなく東京へ子供たちを連れ、深川の援護施設やアパートで貧困生活を送った。その後三鷹に落ち着くこととなったが、その時に父を亡くした。
彼は映画では終始気さくな人柄で周囲の人々を笑顔にしていた。演奏をしているときも、楽譜や楽器をみているのではなく、演奏者同士で笑顔をみせあって演奏しているのが印象的だった。聞きに来ている観客の顔も様々だった。笑っている人、口をぽかんとあけている人、真顔の人など様々な顔があった。中には、曲の歌詞と自分の過去の思い出を照らし合わせて懐かしんでいる人もいただろう。
彼の歌はどこか懐かしく、人の心を穏やかにさせる。映画の中で印象深かったのは、「魚釣りブルース」だ。私の友人にも釣りを趣味にしている人がいる。私自身一人で釣りにはいかないのだが、その友人が釣りに行くときにはよくついて行っていたのを思い出した。その時は釣れても釣れなくても楽しかったのを覚えている。
「ブラザー軒」を歌っていた時、彼が唯一涙ぐんでいたのも印象的だった。「ブラザー軒」という曲は、詩人菅原克己の同題詩にメロディをつけたもの。七夕の夜に「僕」が亡くなった父と妹を幻視する話だ。これは、先ほど述べたように、彼自身父と母を早くに亡くしているのでその時の情景と重なったのかもしれない。このように考えると、高田渡の曲が心に沁みるのは、彼自身つらい経験を何度もしてきて、傷ついた人の気持ちが分かるからではないかとも思った。たくさん傷ついたがゆえに音楽に溺れないと心が持たなかったのかもしれない。
ひょっとすると、コンサートに来ていた人々も、自分の傷から目をそらすために来場していたのかもしれない。彼の曲は人の心を安らかにして、安心させるものが多いが、その曲の中に彼のぽつんとたたずむ小さな後姿を見た気がした。(3年MT)
下ネタまみれの歌に笑う
自分はあまり音楽を聴かない人間であるため、高田渡という人物はこの映画をみるまで、全く知らなかったが、約60分間の映像の中に高田渡がどんな人間であるのか、高田渡の魅力とは何かをよくとらえており、自分が彼の生きざまに惹かれていくのを感じた。
映画をみた後に何曲か高田渡の曲を聴いて、「スキンシップ・ブルース」という曲が印象に残った。これは下ネタまみれの曲であるが、テレビで歌っている映像がYouTubeにあげられており、大変面白かった。
こうしてエッチな曲をテレビで歌えるということも、高田渡だからであり、こういったところにも高田渡の良さがあるのだと感じた。また、映画にあったような観客たちの熱烈な思いに満ちた顔や会場の独特な雰囲気を作り出せる理由が少しわかったような気がした。(3年SH)
↑1:30~アイスクリーム 2:30~スキンシップ・ブルース