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ナターシャ・グジ- in キエフ(2)-折り鶴の論争

さだこの折り鶴


 5月11日(水)、合同ゼミでDVD「ナターシャ・グジ- in キエフ 」(2016)を鑑賞した。すべてのレポートを紹介するわけにはいかないが、今回はネット上で炎上した「折り鶴」の論争に焦点を絞り、いくつかの感想を掲載し、コメントで教師の私見を述べる。

大合唱した「故郷」の想い出

 DVDにもかかわらずグジーさんの歌声はとても美しく、生で聴いたら鳥肌が立つほど圧倒されそうな気がした。いくつかの曲を聴いたが、私が特に印象に残っているのはアンコールの「故郷(ふるさと)」である。私には、作曲者の岡野貞一が鳥取出身であることとは別に特別な思い出がある。「故郷」は中学時代に学年の合唱曲であった。
 私の出身中学(愛知)は、合唱に力を入れており、毎年ハイレベルなクラス対抗の合唱コンクールが開催されていた。ある時、宿泊合宿を利用し「故郷」を学年全体で合唱することが決まり、私たちはそれに向けて練習を重ねた。当日、300人で歌ったホール全体に響き渡る「故郷」のことを今でもよく覚えている。私は歌が苦手であり、練習が苦痛だった。しかし、「故郷」を通してみんなで歌うことを楽しめるようになり、合唱に対するイメージが変わるきっかけとなった。その後、学年集会や修学旅行、卒業式などイベントごとでは必ず「故郷」を歌った。そんな思い出の曲をグジーさんが歌っているのを視て、なんだか嬉しくなった。
 また、3月に東京のチェコ大使館で行われた「ナターシャ・グジー チャリティーコンサート for ウクライナ」では「翼をください」が歌われていた。この曲も私の好きな曲なので、出雲・鳥取コンサートではぜひ歌ってほしいと思う。

折り鶴のTPO

 折り鶴は日本の伝統文化である折り紙の一つである。今日では平和のシンボルと考えられ、多くの国々で平和を願って折られている。このように折り鶴が平和と結びついたのは、広島の原爆被爆から10年後に白血病で亡くなった少女、佐々木禎子さんが大きくかかわっている。禎子さんは、白血病の回復を願って包み紙などで鶴を折り続けたが、8か月の闘病生活の後、1955年に亡くなった。禎子さんの死をきっかけに、被爆死した子どもたちの霊を慰め平和な社会を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成した。今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられている。
 このたびのウクライナ侵攻に係わる折り鶴の問題について、私はタイミングと場所を考えるべきであったと思う。この問題は岐阜や埼玉の団体がウクライナ大使館に千羽鶴を送ろうとしたところ、「千羽鶴を送るのは迷惑ではないか」という指摘があったことから始まった。その後、ニュースで取り上げられ、複数の芸能人が批判する事態となった。数多くの反応があり、私はその中で賛同できるものとできないものがあった。折り鶴は災害からの復興を願い、自治体に寄贈されることがある。しかし、東日本大震災など大規模な自然災害が多発する近年では、被災地に贈られる千羽鶴が、必要物資の供給を妨げる「ありがた迷惑」となるケースが発生している。送る側は善意と思って送るが、もらう側はどう感じているかわからない。日本各地から大量の折り鶴がウクライナ大使館に届いた場合、置き所に困ってしまう。保管場所がなくなり、処分しようとしても、千羽鶴はそう簡単に捨てられるものではない。また、戦時下のウクライナの人々が、千羽鶴を見てどう思うかわからない。


0511井上贈答品01 0511井上贈答品02
愛媛のOB月市くんからみかんジュースとタルトが送られてきました。DVD鑑賞後に全員でごちそうさま!

 批判の中には折り鶴自体を否定するものもあったが、私はそうは思わない。折り鶴は、ウクライナの戦災や平和について考える機会を与えてくれる大事なものである。もちろん、支援という意味では折り鶴ではなく、募金を通して食料などの必需品を届けるほうがよいだろう。折り紙に使うお金を送金すべきとの批判も少なくない。しかし、折り鶴を一方的に批判する人よりも、折り鶴の意味を理解している人たちのほうが、ウクライナのために行動を起こすと思う。
 また、キエフの国立博物館における「ピース・オン・ウイング」プロジェクトで日本とウクライナの文化交流があったように、折り鶴には様々な意味がある。このプロジェクトでは、日本とウクライナの子どもたちが折った鶴を交換した。折り鶴は、平和について考えるだけでなく、国と国をつなぐ文化の懸け橋となっている。以上のことから折り鶴は、平和の象徴や文化交流の懸け橋となるが、災害や軍事侵攻が起きた時は送る側の気持ちではなく、送られる側の気持ちを考えるべきである。もし、私が折り鶴を作るのならば、自分の活動場所となる建物の前など人目に付くところに飾る。平和を祈るとともに、より多くの人にウクライナへの関心を高めてもらうことを目的として鶴を折る。(院生 滅私)


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 ウクライナ大使館に多量の折り鶴が贈られようとした件に関し、芸能人が無駄とか狂気であると発言し賛否が分かれている。この問題で考えるべきはタイミングであったと思う。ロシアの侵攻が続いている状況下にあっては、大使館といえど避難民の対応などで多忙を極めていると考えられるので、置き場の確保などの対応が手間になりかねないことからも、折り鶴を送ることは適切でないように思える。何人かの芸能人が言っていたように、お金や物資など、直接救援につながり、即効性のあるものを送ったほうが合理的で意味のある行動になるように思う。しかし、このロシアの侵攻が終わり、ウクライナの復興が進んできたあかつきには、ウクライナの人々に心の支援として折り鶴を送ることは、人によっては食糧以上の価値を持つことがあるだろう。折り鶴と物資ではどちらのほうが価値や意味があるということではなく、折り鶴には折り鶴の、物資には物資のTPOがあるということなのではないだろうか。(3年 下戸ロック)

折り、残すことの意味

 折り鶴の交換会では、ウクライナの博物館館長の言葉が大変良かった。折り鶴の重みをしっかりと噛みしめ、後の時代に残そうという強い意志を感じることができた。 折り鶴は「折ること」と「残すこと」に意味があると思う。折り鶴が平和の象徴であることは間違いない。平和や健康を祈る機会となる、また、ウクライナを例にとると、少しでもウクライナのことを考え、知るきっかけとなるという点でも折り鶴を折るという行為は意義がある。折った鶴は家や学校、博物館などに飾っておけばよいと思う。折り鶴に込めた思いは、きっと届くはずである。
 折り鶴は戦争や災害をこれから生まれてくる人たちに語り継ぐ役割も持っている。戦争や災害の記憶は決して消えてはいけないものである。家でも学校でも博物館でも、次の世代の人たちが折り鶴に触れ、過去の忘れてはいけない出来事について思いをはせるきっかけとなることが重要なのである。戦争をしている国や被災地などに折り鶴を送る行為は場合によっては迷惑となる可能性を考えると、そこに折り鶴は送るべきではない。現在、ウクライナ大使館のホームページでは寄付金の募集、ウクライナからの避難民の対応に追われている様子が見て取れる。日本国内であるといえども、最前線でウクライナと共に戦っているウクライナ大使館に折り鶴を送ることには私は反対である。 (3年 紅しょうだ)

人の善意を強く否定するのは平和的でない

 折り鶴のバッシング内容を見たが、折り鶴そのものが否定されているように感じた。折り鶴を折ること自体は個人の自由だと思うので、折り鶴を「折る」ことと「送る」ことを分けて考えるべきではないか。個人の祈り・願いを込めて折ることは素晴らしい行為だと思うので、その行為を否定するようなコメントには心が痛む。「送る」ことに関しても、ネット上で「狂気」といった表現がされていたが、そこまでひどい言葉を使わなくても良いのではないか。加えて、ウクライナに折り鶴を送っても意味がないと言われているが、折り鶴を送るのはウクライナ本土ではなく、ウクライナ大使館である。ウクライナ大使館に、日本の人たちの祈り・願いが届けられることで、遠く離れたウクライナ本土にもその思いが届くのではないかと感じる。ともかく、ここまでバッシングする必要はないと感じる。たしかに「千羽鶴より役に立つものを送る」 という否定派の意見も間違ってはない。しかし、人の善意を大きく否定してしま うのは平和的でないと思う。(3年 御前様)

核の痛みを知る国を結ぶ絆としての折り鶴

 私が特に印象に残った曲は「旅歌人(コブザーラ)」だ。伴奏の静けさと彼女の歌声は、まるで深い森の中にいるかのような神秘的な印象を受けた。ウクライナ語の歌詞が多かった中、数少ない日本語の歌詞での曲であったため、特に印象に残ったのかもしれない。コンサートのほかに、国立チェルノブイリ博物館で日本とウクライナの子どもたちが制作した折り鶴の交換式があった。ナターシャさんは、広島の原爆で被爆し亡くなった佐々木禎子さんが折った折り鶴を博物館に寄贈した。ロシアによるウクライナ侵攻において、日本がウクライナ大使館へ折り鶴を寄付することへの批判が起きている。物資を現地へ届けてウクライナ人の生活支援することも大切だが、私は折り鶴を寄付する事に賛成である。核を使用する可能性が出ているこの戦争において、核の痛みを分かち合っている日本とウクライナを結ぶ絆として折り鶴の意義は十分あると考える。
(3年 丹波の黒舞女)



↑これ、どこの空港かな、凄いアクセスを集めています。B&BプロジェクトのB&Bとは、バンドゥーラとボタン・アコーディオンのことだそうです。バンドゥーラは「今はあまり人気がない」とありますが、バッハでもジャズでもいけますね。ジャズには向かないか。アコギとは合うでしょうね。イサトさんとのコラボが聞きたかった・・・
 
【関係サイト】
ナターシャ・グジー in 出雲(6月12日予告)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry2578.html
ウクライナ支援コンサート@大阪(5月1日)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2573.html
ナターシャ・グジー コンサート in キエフ
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2574.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2579.html

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焼いてしまおう

折り鶴は一定期間飾り付けて展示したら、法要のような儀式のさいに焼けばいいと思います。火葬の盛んなアジアの仏教圏(含日本)では、神仏のお札や紙銭を焼いて天に捧げます。線香を燃やすのもこの一種でしょうね。焼くことで捧げ物は煙に変わり、煙は天に昇っていく。火葬された肉体も、お札や線香の煙も天への供物なのです。
大嘗宮の仮設神殿も焼いてしまうでしょ。神様の降臨する施設を燃やすことで、その建物は煙になり、天上世界に奉納されるわけです。折り鶴も焼けば、煙となって天上世界に送られる。天に祈りを捧げることになります。正月15日ころに神社でおこなわれる「どんど焼き」の発想です。折り鶴は神仏のお札に相当するものという考え方です。どこで焼くかも問題になりますが、神社境内なら神職が寿ぎ、寺院境内なら僧侶に読経してもらえばいいのではないでしょうか。
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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