宝島社ムック本に菅原遺跡のCG掲載!

宝島社のムック本(TJMOOK)『日本の古代史』に菅原遺跡「円堂」復元CGが取り上げられました。文献情報をまとめておきます。
最新調査「東大寺の大仏造営に貢献した稀代の名僧 行基を弔う施設だった? 菅原遺跡の円形建物跡」
瀧根能之(監修)『新発見でここまでわかった! 日本の古代史』
TJMOOK 宝島社、2022年6月22日:p.80
こういう発掘速報系のムック本はかつて頻繁に刊行されたものですが、これだけ世の中が揺れ動いて変わってきている状況下で、やっぱりまだ出るんだっていう印象です。原稿は編集部が書いたものですが、間違いが散見されますね。こういう速報を素人が書いてミスのない記事になるはずがありません。たとえば、
この建物は、円形の多宝塔の原型だったと考えられる。中国にある敦煌莫高窟
の壁画には円形の仏塔が描かれているが、こうした情報をもとに築かれた建物
かもしれない。
とあります。しかしながら、菅原遺跡の「円堂」は多宝塔とは無関係で、法隆寺夢殿に代表される古代の八角円堂に十六角形の土庇(掘立柱の裳階)をめぐらせたものです。また、敦煌莫高窟の壁画に「宝塔」の表現は認められるものの、宝塔に裳階をつけた多宝塔は明確に確認できません。多宝塔風の楼閣は複数描かれているが、それらは多宝塔ではないと私は思っています。上に引用した記載は発掘調査した元文研の速報に従ったものですが、こうした誤解については、『ブータンの風に吹かれて-中後期密教の比較文化-』の巻頭論文で指摘しています。
菅原遺跡のページと見開きをなす81ページには、「三蔵法師の弟子・道昭とゆかりが深い瓦窯跡の発見」(p.81)も掲載されています。道昭は行基の師匠ということになっているので、有り難い情報ではあります。ただし、各所で述べてきたように、行基と道昭の交渉を説く記録がないというのだから、両者の師弟関係自体が潤色に満ちているようです。
じつは菅原遺跡の結末をまだ私たちは迎えていません。その顛末もまもなくお知らせできるでしょう。

