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2022年度卒業論文(3)ー中間報告

文化的景観としてのラッキョウ畑―福部砂丘の土地利用変化から
Scallion fields as cultural landscape -From the view of land use change in Fukube sand dunes

 鳥取砂丘のラッキョウ畑群は鳥取市福部町湯山一帯の砂丘の砂地を育成環境としている。山陰海岸国立公園の特別保護地区の中にある耕作地であり、鳥取県有数の農業特産地として重要であるだけでなく、景観資源としても注目される。とりわけ、10月末~11月初には紫色のラッキョウの花が咲き乱れ、耕作地は広大な「ラベンダーの絨毯」のようになる。その壮麗な風景/景観を鑑賞しようと、短期間の間に大勢の観光客が耕作地を訪れる。本研究は湯山のラッキョウ畑でボランティア活動を続けることにより、ラッキョウ栽培をできるだけ農家の側から捉えつつ、文化財保護法に規定する「文化的景観」もしくは「名勝」としての指定の可能性を探ろうとするものである。


鳥取砂丘の変化1948年 鳥取砂丘1948


1.鳥取砂丘とラッキョウ畑の歴史
 砂丘から耕作地へ 砂丘は耕作に不向きな土地とみなされてきた。鳥取砂丘の場合、明治29年(1897)から陸軍歩兵第四十連隊の演習地となり、昭和20年(1945)の大戦終了後までほとんど放置されていた。戦後、砂丘での植林事業が本格化する。現鳥取大学乾燥地研究センター北側など一部のエリアを残した砂丘のほとんどが植林された。また、食糧不足のため、国は食料の増産を緊急課題とし、砂丘の農地利用開拓が全国的に展開する。
 鳥取砂丘は元々岩戸海岸から白兎海岸まで延々と連続する海岸の砂地であったが、福部砂丘はラッキョウ畑へ、浜坂砂丘は現在の自然保護地区としての「鳥取砂丘」となり、湖山砂丘は鳥取空港へと変化した。
 砂丘を自然のままに 砂丘周辺の植林が進む一方、民藝活動家の吉田璋也や鳥取大学の生駒義博らは砂丘の自然資源としての価値を見出し、砂丘を自然のまま残すよう国や自治体に働きかけた。その結果、昭和30年(1955)に鳥取砂丘の中心部30haが国の天然記念物に指定された。山陰海岸国定公園の指定も受け、砂丘の一部は自然保護の方向が定まった。昭和38年(1963)には国定公園から国立公園に昇格し、保護区域は146haまで拡大した。
 福部砂丘のラッキョウ畑  『福部村誌』(1981)によると、鳥取県福部村(現福部町)でラッキョウが栽培され始めたのは、江戸時代に遡る。当時は、主に自家消費用に細々と栽培されていたものと思われる。戦前に砂丘の農地開拓が福部村周辺に及ぶと、大正6年(1917)に佐々木勘蔵・浜本四方蔵らによって15haの砂丘畑の開墾に成功した。砂丘ラッキョウは病害虫が少なく、無灌水でも艶のある小粒ラッキョウが出来、植付後から収穫期まで防砂効果を高く発揮したため、砂丘畑向きの作物として注目された。大正初年ころ、砂丘畑におけるラッキョウ栽培が有効であると認識され、かなり本格的に栽培されていたと推察される。また、浜本の提唱によりラッキョウを中心とする産業組合が設立され、大正元年に開業していた国鉄山陰本線の鉄道貨車を使って京阪神市場に根つきラッキョウを出荷していた。しかし、当時は輸送技術や芽止め技術が確立しておらず、腐敗・変質・発芽などから有利な販売に至らなかった。また、ラッキョウは日光によって赤紫に変色するため、長期販売に向かない。そこで、塩漬けや瓶詰め等の加工ラッキョウの方向性で販売が始まり、根付いたとされる。
 戦後の栽培地拡大 昭和28年(1953)、食糧不足改善へ向けて海岸砂地地帯農業振興臨時特別措置法が制定され、砂地でのラッキョウの有利性が認められ栽培地は一気に拡大した。今ではスプリンクラーなどが完備されているが、以前は人力で河川・湖から水を確保しており、農作業の過酷さから「福部へ嫁がせるのは嫁殺し」と言われたという。このような苦境を乗りこえたのは鳥取大学乾燥地研究センターの支援があったからである。こうして、砂丘ラッキョウというブランドが生まれたといえる。


鳥取砂丘の変化1961年 鳥取砂丘1961


収穫作業 ラッキョウ収穫


2.湯山ラッキョウ畑でのボランティア
 らっきょう栽培の知見を得るために、福部町湯山で農作業ボランティアを続けてきた。現在では灌水施設の設置や農具の機械化が進んでいるため、ボランティアなどの支援活動は、4~8月の人力での雑草抜きから収穫後の選別、植え付けに取り組む。
 この地域でのらっきょう栽培は、それぞれの農家の土地がパッチワークのように配置されており、点々と離れた農地を保有している。個々の農家が協力し、順番に互いの農地を共に作業し、効率化を図っている。畑で確認した雑草は、ネズミノオやキバナツメクサなど、葉が細長く、根が地面と平行かつ放射状に伸びるものが多い。根が絡まることで機械の故障原因になるため、現在も人力で雑草抜きが行われている。また、収穫の際に同様の理由でらっきょうの葉も切り落としてから機械で収穫する。収穫の時期にかけて、畑は砂丘とは思えないほどの緑一色の景色から無機質な砂地が露わになる。他ではありえないほどの景観変化である。収穫後は、変色・腐食の始まったものを取り除く選別作業がある。これも人力で行われ、同時に植え付け用にらっきょうの鱗茎を分ける作業もある。この作業が未経験者にはとくに難しく、見た目だけでは分かり難い繊細な変化を捉えなくてはならない。植え付けは、機械によって掘った縦列の溝に、人力で拳一つ分の間隔でらっきょうを植えていく。作業自体は単純だが、途方もない作業量に夏の炎天下、砂地の照り返し、慣れない足場が非常に過酷であった。


植え付け作業 ラッキョウ植え付け


3.文化的景観か名勝か-今後の課題
 文化的景観(cultural landscape)という文化遺産のカテゴリーは、1992年の第16回世界遺産委員会(ユネスコ)で導入された。日本の場合、文化財保護法の史跡・名勝・天然記念物等でその多くは対応可能だが、世界遺産条約にいう「継続する景観」のみ対応できるカテゴリーが存在しなかった。「継続する景観」とは田畑・植林地など現在なお人間の活動によって変化している景観のことであり、日本では2004年の文化財保護法改定にあたって初めて導入された。日本の「文化的景観」とは、世界遺産条約における「継続する景観」にほかならず、第一次産業に傾斜している。文化的景観のうちとくに優れたものを重要文化的景観として国(文部科学大臣)が選定する。
 文化的景観は地域の歴史を反映する土地利用の表層であり、美的価値を伴う必要はない。福部のラッキョウ畑の場合、江戸時代以降の砂丘の農地転換を反映しているので、文化的景観としての価値は十分あるが、開花期の壮麗さは高い美的価値を備えるので名勝としての指定も可能である。文化的景観か名勝か、どちらがこの特殊な耕作地に適しているのか、耕作地が国立公園内にあることを斟酌しつつ、今後は以下の4項目に重点をおいて研究を進める。(コバコー)
 ①福部ラッキョウ畑の史的分析の深化
 ②砂丘農作技術の聞き取り成果のまとめ
 ③景観変化に関する古図・空撮写真の収集
 ④文化的景観と名勝に関する理論的整理

≪参考文献≫
福部村誌編纂委員会(1981)『福部村誌』福部村
鳥取県砂丘らっきょう沿革史編集委員会(2001)『鳥取県砂丘らっきょう沿革史』全国農業協同組合連合会鳥取県本部
ふくべ砂丘らっきょう発達誌編集委員会(2014)『ふくべ砂丘らっきょう発達誌~100年の歩み~』ふくべ砂丘らっきょう100周年記念事業実行委員会

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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