龍岩寺ごちゃまぜBOX(3)




『旬刊 政経レポート』1506号で広報!
先週末、チラシ兼パンフ(4頁)が納品され、広報活動をぼちぼち進めています。今回は岩美町を中心に動いております。先月から大谷の自治会関係者と面談・連絡を重ねており、まずは町報へ仮チラシ520枚を折り込み配付しました。520とは、大谷地区1~5区の世帯数であり、その大半が龍岩寺の檀家です。地元の関係者によりますと、この広報で十分定員は確保できるので、メディアでの広報を控えるようにとの指示を受けました。文化の日以降、岩美・浜坂方面に何度か足を運び、町役場・むらなかキャンパス・岩美西小学校等に顔を出して挨拶するとともに、龍岩寺でももちろん打ち合わせしました。今のところ、大学・招聘関係、寺関係、ネット申し込みをあわせて55名に達しており、残るは20席程度になっています。参加ご希望の方は、早めにメールか電話でご連絡ください。
上に述べたように、新聞等での広報・告知は控えておりますが、今回のイベントも山陰政経研究所の『旬刊 政経レポート』に掲載されました。この冊子は地味に(失礼!)効果があります。強力すぎないところが、今回のイベントによくあっています。ありがたいことです。


速水健二氏(社会福祉法人佛子園理事・B's 行善寺代表) 講演概要
色んなものを縦割りにして安全性を高めていく方法は、少子高齢化の波により運営が難しくなってきました。そもそもリスクというものは一人きりになっても無くなるものではありません。リスク管理重視ではなく、今こそ自分の地域にいる人たちを信じ、互いに関わり合うことができる地域を目指しませんか?
支える、支えられるといった関係ではなく、障害ある人も無い人も、こどもも高齢者も、病気の人も元気な人も、日本人も外国人も、いろんな人が集まって健康を目指していく。そんな「ごちゃまぜ」の場所ができることで、そこに人が集まり、語らい、変わっていく人や町の様子を、佛子園やJOCA の事例をもとにお伝えできればと思います。
11月12日(土)13時より、NHK-Eテレの番組「こころの時代」で佛子園の活動が紹介されます(再放送)。講演会当日の理解を深めるためにも、ぜひご視聴をお願いする次第です。
https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/schedule/
ブータンが教えてくれた「居場所」のあり方
1.仏国土ブータン
ヒマラヤ山麓の小国、ブータンは大乗仏教を国教とする唯一の国である。7世紀、吐蕃を率いるソンツェンガンポ王が勢力を拡大し、チベットで初めての統一王朝が誕生する。当時のヒマラヤ地域は自然崇拝に重きをおくボン教に支配されていた。そこに細々と仏教が根付いていく。ネパールからソンツェンガンポ王に嫁いだチツン妃、唐からグンソングンツェン王子に嫁いだ文成公主妃はいずれも仏教を篤く信仰しており、ラサに大寺を創建する。ソンツェンガンポもこれに倣い、「魔女」を浄化するため12の仏教僧院を各地に開山した。ブータンのキチュラカンとジャンバラカンも王の開山と伝承される古刹である。8世紀になると、北インドの僧、パドマサンバヴァが後期密教をこの地に伝え、ブータン仏教が本格的に胎動し始める。高山の崖で長期の瞑想をする密教修行に特徴があり、ボン教と融合した雑密的色彩が濃厚で、この宗派をニンマ派(古派)と呼ぶ。開祖パドマサンバヴァは、後世、グルリンポチェ(蓮華生大師)としてチベットとブータンで崇められる。
11 世紀以降、チベット仏教の諸派がブータンに南下し布教を競う。中世以降、日本の戦国時代にも似た群雄割拠の宗派/地域戦争が激化していた。17 世紀にこれを統一したのがドゥク派の領袖(シャブドゥン)、ガワン・ナムゲルである。チベットでの権力闘争に敗れ、ブータンに逃げ落ちてきたナムゲルは、西ブータンから勢力を全土に拡げていたドゥク派と合流して諸国を統一し、ブータン初の国家を建国する。その国名はドゥク・ユル(ドゥク派の人々)である。今もブータンの仏教的人文景観は良好に保全されており、その姿はまさに「仏国土」と賞讃すべきものである。
2.遠ざかるブータン
2020 年1月、日本人で最初の新型コロナ陽性者が奈良で確認された。その人物は大型観光バスの運転手であり、乗車客は十数名の中国人旅行者であった。まもなく、大阪や京都でもちらほら陽性者がでるようになったが、感染のセンターはあくまで遠く離れた中国湖南省であり、都市封鎖された武漢に比べれば日本は無菌に近い状態を維持していた。鳥取はもちろん感染者ゼロである。そんな田舎町に、ブータン史とチベット仏教の大家、ローペン・カルマ・プンツォ(Lopen Karma Phuntsho)博士を招聘し、2 月11 日に大学のまちなかキャンパスで、以下の講演をしていただくことになっていた。
ブータン仏教からみた人間の幸福
Human wellbeing from the view of Bhutanese Buddhism
2019 年夏休みのティンプーで昼食を共にした際、カルマ博士に来鳥を直訴して快諾を得ており、その後も繰り返しメールでスケジュールを調整していた。1月から準備を始め、万全の態勢でお迎えする用意を済ませていたのだが、コロナの壁が立ちはだかった。私のほか複数の関係者は、日本の感染症が決して蔓延状態にはなく、例外的にしか認められないことを強調して安全を知らせていた。ところが、経由地のバンコクの状況が悪化の兆しをみせており、理事長を務めるロデン財団のスタッフからの懇願もあって、博士は出国を回避されることになる。日本側のショックは計り知れないものであった。
講演内容については「幸福」にあたる英語に注目していただきたい。刹那的な喜びをあらわすハピネス(happiness)ではなく、持続的に心身が健やかな状態にあるウェルビーイング(wellbeing)を敢えて「幸福」と訳している。当時、この主題に係わる研究に取り組む者はいなかったが、まる2年を経た昨年度、「居場所」論と絡ませてウェルビーイングを扱う卒業研究が2篇もあらわれた。この点、カルマ博士の幸福論を拝聴できなかったことを、今でも残念だと思っている。
3.ボンとは何か
コロナ禍以前、私たちは8年連続でブータンを訪れ、それなりの研究成果を積みあげていたが、2020年からの2年以上、フィールドワークは頓挫している。私たちの研究主題は「崖寺と瞑想修行」からスタートし、近年は「調伏と護法尊」という視点からブータン仏教の空間を見直す作業に転換しつつあった。調伏とは、仏教以外の「邪教」の悪霊・魔女等を仏教側の守護神(護法尊)に変換していくプロセスをさす。チベット・ブータン地域の場合、ボン教が邪教にあたる。ブータン調査を始めたころは、仏教に先行してヒマラヤ山麓のひろい範囲で信仰されていた自然崇拝的な宗教(または法)だと認識していたが、ボン教の実態は漠然としてみえにくい。とりわけチベット側でのボン教は仏教諸派との宗教戦争に敗れて東漸を余儀なくされ、その教義は著しく仏教化している。こういう仏教化した宗派をブータンでは「白ボン」といい、ニンマ派仏教との習合以前の教義を残す古い宗派を「黒ボン」と呼び分けている。
しかしながら、ブータンの側ではボン教の大寺院が造営された形跡がないらしい。ブータン唯一のボン教寺院として案内されたポプジカのクブン寺は、本堂の1階を仏堂としてニンマ派を装いながら、2階にボン教の神霊を祀る秘奥の部屋を2室設けている。室内は黒く塗りつぶされ、髑髏の意匠が目を引く。こうした地下宗教的状況にありながらも、ボンは、調伏されて生まれた仏教側の護法尊として、地霊的要素を今だに発露している。かくも複雑に絡みあった状況を知るにつけ、「ボンとは何か」という問いを禁じ得なくなるのだが、新型コロナの障壁により、調査研究はこの段階で留まったまま進捗していない。
4.佛子園とJOCA の取り組み
ブータン訪問が中断した2年半、それならばと発想を転換し、「日本のなかのブータン」を探そうという努力もした。いちばん驚いたのは、石川県白山市に本部をおく社会福祉法人「佛子園」の活動である。佛子園のブータン事務所長、中島さんの「民樹のブログ」はブータンのコロナ事情を知る重要な情報源であり、思い切ってコメント欄に自己紹介したところ返信があった。奇遇にも、中島さんは大学に近い八頭町郡家生まれの神戸育ちであり、「鳥取は第二の故郷」という認識があるという。メールのやりとりを繰り返して盛り上がり、2021年1月にはリモートでの面談が実現した。
ブータンはJICA発祥の地である。西岡京治(1933-1992)は海外技術協力事業団(現在の国際協力機構JICA)の農業指導員として、ブータンの農業振興に半生を捧げた。佛子園の取り組みも途上国支援の流れの中にあり、2012年からブータン高地貧困農民や障碍者の支援を進めている。ブータン産のソバの実を日本に輸入し、国内の障碍者を雇用して機械製粉・製麺し、ブータン蕎麦屋を福祉施設の中心に据える。運営のコンセプトは「ごちゃまぜ」である。ごちゃまぜとは「障碍の有無・性別・年齢・国籍・文化・人種や宗教・性的指向などを異にするあらゆる人が認め合い、つながること」を意味し、特定の人々を排除しない。すべての人に「居場所」と「生きがい」と「役割」があるという考え方であり、そうしたコンセプトは、青年海外協力協会JOCAの地域振興でも採用され、各地に佛子園型の施設が誕生しつつある。
ちなみに、JOCAはJICA経験者の働き場所として組織化された公益財団法人であり、途上国支援で培った経験を活かし、日本の過疎地を拠点として「ごちゃまぜの地域づくり」に取り組んでいる。私たちが進めている「山中の蕎麦屋」研究、ブータン蕎麦研究のいずれとも関係が深く、これまで佛子園本部(石川県白山市)、JOCA本部(長野県駒ケ根市)、JOCA×3(広島県安芸太田町)、JOCA南部(鳥取県西伯郡)を視察している。とりわけ注目したいのは、本年(2022)6月11日にJOCA 南部が開業させた「法勝寺温泉」とブータン蕎麦の店「やぶ勝」である。すでに鳥取県は和風味のブータン蕎麦を味わえる場所になっているのだ。
5.人間の健やかな居場所をもとめて
最後に映画『ブータン 山の教室』(パオ・チョン・ドルジ監督2019)についても触れておきたい。この映画は、オーストラリアで歌手になることを夢見る若い教師ウゲンが、海抜4800mの僻地、ルナナ村の小学校に赴任するよう命じられるところから始まる。しぶしぶ承諾したウゲンではあったが、8日間の登山で村に辿り着いた途端、首都ティンプーに帰りたいと村長に直訴する。しかし、子どもたちや村人に囲まれ、次第に生きがいを感じるようになり、村人からも村に必要不可欠なヤク牛のような存在として慕われる。豪雪で閉ざされる冬が来る前に村を離れ、念願のオーストラリアに渡って、バーで流行歌「ビューティフル・サンデー」を歌うのだが、どこか自分に違和感を覚え、歌うのを突然やめてしまう。そして、ルナナ村で教わった「ヤクに捧げる歌」をアカペラで歌い始めるシーンで映画は終わる。
この映画がなにより強調しているのは「人間の幸福と居場所の関係」である。ここにいう幸福(wellbeing)とは、冒頭でも述べたように、人間の心身が健やかな状態を意味する。人間にはその人にふさわしい「居場所」があり、その「居場所」にいることで健全かつ安寧な生活を持続できる。ウゲンは、自分の居場所が憧れのシドニーではなく、ルナナ村であることに気付いたからこそ、「ヤク
に捧げる歌」を異国の酒場で歌い始めたのであり、早晩ブータンに戻ることをエンドロールで予感させた。ここにいう居場所は必ずしも空間的な概念ではない。佛子園・JOCA を例にとるならば、障碍者や高齢者を一定のスペース(施設)に隔離することなく、健常者・若者・子どもと交流させることで生き方に活力を与えているのであり、そのことがまさに「居場所」であると言えよう。
一方、新潟県の限界集落「竹所」に移住してくる人たちは、カールベンクス氏の再生古民家を心地よい「終の棲家」だと考えている。この場合の居場所は、空間的な存在と言うほかない。問題は、その人物をウェルビーイングな状態に導く条件であり、繰り返すけれども、その条件は人によって異なる。これまで複数の授業でこの映画のDVD を鑑賞してもらった。大変好評であり、スクリーンをみつめながら涙ぐんでいる学生もいたほどである。質の高いレポートが数多く集まったが、とくに深い理解を示したレポートの結論部分を紹介しておく。
映画を通して、幸せや自分にとっての居場所は人それぞれに違っている
のだということを感じました。有名になる、たくさんの人に認められる、
物質的に富んでいる、人より優位に立てる、といったことが幸せである
ことの理由にはならないし、皆がそう考えて自分もそうなりたいと思っても、
人と同じ目標に向かって追い求める幸せが自分の本当の幸せであるかは
分からないと思います。自分の本当の居場所や幸せは、都会にあるかも
しれないし、思いがけない場所にあるかもしれない。流行りじゃないから、
不便だからという理由で目を背けるのではなく、自分を受け入れて周りを
見つめ直してみようと思える映画でした。
この大学で20 年以上働き、リタイアの時期が迫ってきている。私たち夫婦は、引退後、どこに居場所
を求めるのか。それを話し合う時間がなかなか楽しい。生まれ故郷の鳥取もわるくないけれども、別の
場所に引っ越す可能性もある。ただし、その場所がブータンや鳥取のような「田舎」であるのは間違い
ないと予感している。
*本稿は浅川編(2021)『ブータンの風に吹かれて』の跋文「開学20 周年とブータン研究」を圧縮改変したものである。
※本イベントのチラシ兼パンフレットは、令和4年度公立鳥取環境大学特別研究費助成「ウクライナ避難民の支援と人類社会の未来像-多民族共生/ごちゃまぜ型の居場所に係わる考察-」の補助金によって印刷したものである。内容については、2018 ~
2020JSPS 基盤(C)「ブータン仏教の調伏と黒壁の瞑想洞穴 -ポン教神霊の浄化と祭場-」、2021-23JSPS 基盤(C)「ボン
とは何か-主にブータン仏教からみたボン教的聖域の構造と表象」の成果を含んでいる。なお、本イベントは「過疎地のまちづくり」を学術的に議論するものであり、宗教祭事とは無縁である。
《文献情報》
浅川(2022)「ブータンが教えてくれた居場所のあり方」『龍岩寺ごちゃまぜBOX』:pp.2-4
公立鳥取環境大学保存修復スタジオ(印刷:西尾印刷所) 2022年10月31日
《連載情報》龍岩寺ごちゃまぜBOX
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2628.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2629.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2647.html
1.仏国土ブータン
ヒマラヤ山麓の小国、ブータンは大乗仏教を国教とする唯一の国である。7世紀、吐蕃を率いるソンツェンガンポ王が勢力を拡大し、チベットで初めての統一王朝が誕生する。当時のヒマラヤ地域は自然崇拝に重きをおくボン教に支配されていた。そこに細々と仏教が根付いていく。ネパールからソンツェンガンポ王に嫁いだチツン妃、唐からグンソングンツェン王子に嫁いだ文成公主妃はいずれも仏教を篤く信仰しており、ラサに大寺を創建する。ソンツェンガンポもこれに倣い、「魔女」を浄化するため12の仏教僧院を各地に開山した。ブータンのキチュラカンとジャンバラカンも王の開山と伝承される古刹である。8世紀になると、北インドの僧、パドマサンバヴァが後期密教をこの地に伝え、ブータン仏教が本格的に胎動し始める。高山の崖で長期の瞑想をする密教修行に特徴があり、ボン教と融合した雑密的色彩が濃厚で、この宗派をニンマ派(古派)と呼ぶ。開祖パドマサンバヴァは、後世、グルリンポチェ(蓮華生大師)としてチベットとブータンで崇められる。
11 世紀以降、チベット仏教の諸派がブータンに南下し布教を競う。中世以降、日本の戦国時代にも似た群雄割拠の宗派/地域戦争が激化していた。17 世紀にこれを統一したのがドゥク派の領袖(シャブドゥン)、ガワン・ナムゲルである。チベットでの権力闘争に敗れ、ブータンに逃げ落ちてきたナムゲルは、西ブータンから勢力を全土に拡げていたドゥク派と合流して諸国を統一し、ブータン初の国家を建国する。その国名はドゥク・ユル(ドゥク派の人々)である。今もブータンの仏教的人文景観は良好に保全されており、その姿はまさに「仏国土」と賞讃すべきものである。
2.遠ざかるブータン
2020 年1月、日本人で最初の新型コロナ陽性者が奈良で確認された。その人物は大型観光バスの運転手であり、乗車客は十数名の中国人旅行者であった。まもなく、大阪や京都でもちらほら陽性者がでるようになったが、感染のセンターはあくまで遠く離れた中国湖南省であり、都市封鎖された武漢に比べれば日本は無菌に近い状態を維持していた。鳥取はもちろん感染者ゼロである。そんな田舎町に、ブータン史とチベット仏教の大家、ローペン・カルマ・プンツォ(Lopen Karma Phuntsho)博士を招聘し、2 月11 日に大学のまちなかキャンパスで、以下の講演をしていただくことになっていた。
ブータン仏教からみた人間の幸福
Human wellbeing from the view of Bhutanese Buddhism
2019 年夏休みのティンプーで昼食を共にした際、カルマ博士に来鳥を直訴して快諾を得ており、その後も繰り返しメールでスケジュールを調整していた。1月から準備を始め、万全の態勢でお迎えする用意を済ませていたのだが、コロナの壁が立ちはだかった。私のほか複数の関係者は、日本の感染症が決して蔓延状態にはなく、例外的にしか認められないことを強調して安全を知らせていた。ところが、経由地のバンコクの状況が悪化の兆しをみせており、理事長を務めるロデン財団のスタッフからの懇願もあって、博士は出国を回避されることになる。日本側のショックは計り知れないものであった。
講演内容については「幸福」にあたる英語に注目していただきたい。刹那的な喜びをあらわすハピネス(happiness)ではなく、持続的に心身が健やかな状態にあるウェルビーイング(wellbeing)を敢えて「幸福」と訳している。当時、この主題に係わる研究に取り組む者はいなかったが、まる2年を経た昨年度、「居場所」論と絡ませてウェルビーイングを扱う卒業研究が2篇もあらわれた。この点、カルマ博士の幸福論を拝聴できなかったことを、今でも残念だと思っている。
3.ボンとは何か
コロナ禍以前、私たちは8年連続でブータンを訪れ、それなりの研究成果を積みあげていたが、2020年からの2年以上、フィールドワークは頓挫している。私たちの研究主題は「崖寺と瞑想修行」からスタートし、近年は「調伏と護法尊」という視点からブータン仏教の空間を見直す作業に転換しつつあった。調伏とは、仏教以外の「邪教」の悪霊・魔女等を仏教側の守護神(護法尊)に変換していくプロセスをさす。チベット・ブータン地域の場合、ボン教が邪教にあたる。ブータン調査を始めたころは、仏教に先行してヒマラヤ山麓のひろい範囲で信仰されていた自然崇拝的な宗教(または法)だと認識していたが、ボン教の実態は漠然としてみえにくい。とりわけチベット側でのボン教は仏教諸派との宗教戦争に敗れて東漸を余儀なくされ、その教義は著しく仏教化している。こういう仏教化した宗派をブータンでは「白ボン」といい、ニンマ派仏教との習合以前の教義を残す古い宗派を「黒ボン」と呼び分けている。
しかしながら、ブータンの側ではボン教の大寺院が造営された形跡がないらしい。ブータン唯一のボン教寺院として案内されたポプジカのクブン寺は、本堂の1階を仏堂としてニンマ派を装いながら、2階にボン教の神霊を祀る秘奥の部屋を2室設けている。室内は黒く塗りつぶされ、髑髏の意匠が目を引く。こうした地下宗教的状況にありながらも、ボンは、調伏されて生まれた仏教側の護法尊として、地霊的要素を今だに発露している。かくも複雑に絡みあった状況を知るにつけ、「ボンとは何か」という問いを禁じ得なくなるのだが、新型コロナの障壁により、調査研究はこの段階で留まったまま進捗していない。
4.佛子園とJOCA の取り組み
ブータン訪問が中断した2年半、それならばと発想を転換し、「日本のなかのブータン」を探そうという努力もした。いちばん驚いたのは、石川県白山市に本部をおく社会福祉法人「佛子園」の活動である。佛子園のブータン事務所長、中島さんの「民樹のブログ」はブータンのコロナ事情を知る重要な情報源であり、思い切ってコメント欄に自己紹介したところ返信があった。奇遇にも、中島さんは大学に近い八頭町郡家生まれの神戸育ちであり、「鳥取は第二の故郷」という認識があるという。メールのやりとりを繰り返して盛り上がり、2021年1月にはリモートでの面談が実現した。
ブータンはJICA発祥の地である。西岡京治(1933-1992)は海外技術協力事業団(現在の国際協力機構JICA)の農業指導員として、ブータンの農業振興に半生を捧げた。佛子園の取り組みも途上国支援の流れの中にあり、2012年からブータン高地貧困農民や障碍者の支援を進めている。ブータン産のソバの実を日本に輸入し、国内の障碍者を雇用して機械製粉・製麺し、ブータン蕎麦屋を福祉施設の中心に据える。運営のコンセプトは「ごちゃまぜ」である。ごちゃまぜとは「障碍の有無・性別・年齢・国籍・文化・人種や宗教・性的指向などを異にするあらゆる人が認め合い、つながること」を意味し、特定の人々を排除しない。すべての人に「居場所」と「生きがい」と「役割」があるという考え方であり、そうしたコンセプトは、青年海外協力協会JOCAの地域振興でも採用され、各地に佛子園型の施設が誕生しつつある。
ちなみに、JOCAはJICA経験者の働き場所として組織化された公益財団法人であり、途上国支援で培った経験を活かし、日本の過疎地を拠点として「ごちゃまぜの地域づくり」に取り組んでいる。私たちが進めている「山中の蕎麦屋」研究、ブータン蕎麦研究のいずれとも関係が深く、これまで佛子園本部(石川県白山市)、JOCA本部(長野県駒ケ根市)、JOCA×3(広島県安芸太田町)、JOCA南部(鳥取県西伯郡)を視察している。とりわけ注目したいのは、本年(2022)6月11日にJOCA 南部が開業させた「法勝寺温泉」とブータン蕎麦の店「やぶ勝」である。すでに鳥取県は和風味のブータン蕎麦を味わえる場所になっているのだ。
5.人間の健やかな居場所をもとめて
最後に映画『ブータン 山の教室』(パオ・チョン・ドルジ監督2019)についても触れておきたい。この映画は、オーストラリアで歌手になることを夢見る若い教師ウゲンが、海抜4800mの僻地、ルナナ村の小学校に赴任するよう命じられるところから始まる。しぶしぶ承諾したウゲンではあったが、8日間の登山で村に辿り着いた途端、首都ティンプーに帰りたいと村長に直訴する。しかし、子どもたちや村人に囲まれ、次第に生きがいを感じるようになり、村人からも村に必要不可欠なヤク牛のような存在として慕われる。豪雪で閉ざされる冬が来る前に村を離れ、念願のオーストラリアに渡って、バーで流行歌「ビューティフル・サンデー」を歌うのだが、どこか自分に違和感を覚え、歌うのを突然やめてしまう。そして、ルナナ村で教わった「ヤクに捧げる歌」をアカペラで歌い始めるシーンで映画は終わる。
この映画がなにより強調しているのは「人間の幸福と居場所の関係」である。ここにいう幸福(wellbeing)とは、冒頭でも述べたように、人間の心身が健やかな状態を意味する。人間にはその人にふさわしい「居場所」があり、その「居場所」にいることで健全かつ安寧な生活を持続できる。ウゲンは、自分の居場所が憧れのシドニーではなく、ルナナ村であることに気付いたからこそ、「ヤク
に捧げる歌」を異国の酒場で歌い始めたのであり、早晩ブータンに戻ることをエンドロールで予感させた。ここにいう居場所は必ずしも空間的な概念ではない。佛子園・JOCA を例にとるならば、障碍者や高齢者を一定のスペース(施設)に隔離することなく、健常者・若者・子どもと交流させることで生き方に活力を与えているのであり、そのことがまさに「居場所」であると言えよう。
一方、新潟県の限界集落「竹所」に移住してくる人たちは、カールベンクス氏の再生古民家を心地よい「終の棲家」だと考えている。この場合の居場所は、空間的な存在と言うほかない。問題は、その人物をウェルビーイングな状態に導く条件であり、繰り返すけれども、その条件は人によって異なる。これまで複数の授業でこの映画のDVD を鑑賞してもらった。大変好評であり、スクリーンをみつめながら涙ぐんでいる学生もいたほどである。質の高いレポートが数多く集まったが、とくに深い理解を示したレポートの結論部分を紹介しておく。
映画を通して、幸せや自分にとっての居場所は人それぞれに違っている
のだということを感じました。有名になる、たくさんの人に認められる、
物質的に富んでいる、人より優位に立てる、といったことが幸せである
ことの理由にはならないし、皆がそう考えて自分もそうなりたいと思っても、
人と同じ目標に向かって追い求める幸せが自分の本当の幸せであるかは
分からないと思います。自分の本当の居場所や幸せは、都会にあるかも
しれないし、思いがけない場所にあるかもしれない。流行りじゃないから、
不便だからという理由で目を背けるのではなく、自分を受け入れて周りを
見つめ直してみようと思える映画でした。
この大学で20 年以上働き、リタイアの時期が迫ってきている。私たち夫婦は、引退後、どこに居場所
を求めるのか。それを話し合う時間がなかなか楽しい。生まれ故郷の鳥取もわるくないけれども、別の
場所に引っ越す可能性もある。ただし、その場所がブータンや鳥取のような「田舎」であるのは間違い
ないと予感している。
*本稿は浅川編(2021)『ブータンの風に吹かれて』の跋文「開学20 周年とブータン研究」を圧縮改変したものである。
※本イベントのチラシ兼パンフレットは、令和4年度公立鳥取環境大学特別研究費助成「ウクライナ避難民の支援と人類社会の未来像-多民族共生/ごちゃまぜ型の居場所に係わる考察-」の補助金によって印刷したものである。内容については、2018 ~
2020JSPS 基盤(C)「ブータン仏教の調伏と黒壁の瞑想洞穴 -ポン教神霊の浄化と祭場-」、2021-23JSPS 基盤(C)「ボン
とは何か-主にブータン仏教からみたボン教的聖域の構造と表象」の成果を含んでいる。なお、本イベントは「過疎地のまちづくり」を学術的に議論するものであり、宗教祭事とは無縁である。
《文献情報》
浅川(2022)「ブータンが教えてくれた居場所のあり方」『龍岩寺ごちゃまぜBOX』:pp.2-4
公立鳥取環境大学保存修復スタジオ(印刷:西尾印刷所) 2022年10月31日
《連載情報》龍岩寺ごちゃまぜBOX
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2628.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2629.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2647.html