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小店の出自からみたマカオの多民族性に関する基礎的考察-言語・建築・フードスケープ《2022年度修論概要》 前編

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 こんにちは。大学院修士課程2年のテイケイキンです。2月15日の修士研究発表会の発表内容と概要を報告させていただきます。この二年間、先生のご指導をいただき、誠にありがとうございます。(2023年2月19日下書アップ)

題目: 小店の出自からみたマカオの多民族性に関する基礎的考察-言語・建築・フードスケープ
     Basic Study on the Multi-ethnicity of Macau from the View of the Origins of Small Stores 
     - Languages, Architectures and Foodscapes [修論中間報告


研究の背景と目的

 私は中国広東省生まれだが、広東人ではない。私は客家(ハッカ)である。家族とは客家語で話すが、社会的な活動には広東語を用いている。客家語の話者と広東語の話者ではほとんどコミュニケーションができない。
 マカオ都市大学に通った四年間、マカオの人たちとは広東語で会話した。客家語を用いたことはない。ところで、マカオに住む人たちに「あなたはマカオ人ですか?」と質問すると、多くの人は「はい」と答える。しかし、それは彼らの身分証明書に記載されたデータにしたがった回答であって、マカオ人という集団が存在するのかどうかは微妙である。
 マカオや香港を含む広東・福建の言語と文化は多様であり、その担い手としてのエスニックグループ、すなわち民族集団は多岐にわたる。閩南人、閩北人、閩東人、客家、広東人などが代表的な民族集団である。ここにいう民族集団とは、何なのか。これを、いわゆる「民族」の概念と比較してみよう。民族、すなわち nation とは、主に国家単位で、固有な文化を共有する集団をさすのに対して、民族集団は民族内部の地方集団として位置づけられる。たとえば漢族の場合、上記の閩南、閩北、閩東、客家、広東など、相互にコミュニケーション不可能な言語を有し、文化の変差が大きなグループのことである。
 ではなぜ、こうした隣接諸民族は言語・文化に大きな差があるのかというと、それは、古代百越の民族史までさかのぼって考えなければならないので、今日は省略する。これから、お話しする内容は、マカオをフィールドとして、このようなエスニシティ(民族的同一性)と民族集団の問題を考察する。
 本研究を遂行するにあたり、コロナ禍は深刻な障壁であった。この2年間、中国政府の隔離措置はきびしく、マカオでの調査は昨年度(2021)は3日間、今年度(2022)は一週間にとどまった。そこで、昨年から、学部生と共同で進めてきたマカオ小店の問題を掘りさげてみようと考えた。


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テイースライド2追加2 スライド2+追加2枚(世界遺産の聖ポール天主堂跡、カジノ)


研究の方法と調査の経緯

 まず、マカオの歴史を振り返る。マカオは香港の少し北側にある半島+島嶼群である。13世紀にモンゴルが中国に侵入し、福建から避難民がマカオにたどり着いた。16世紀の大航海時代になると、ポルトガル人がマカオにやってきて、まもなく居住権を獲得し、1887年からマカオは正式にポルトガルの植民地となる。ポルトガル時代のマカオは、独特の中欧折衷文明社会が花開き、大陸から移民が押し寄せた。1999年、マカオは中国に返還された。
 2005年には、「マカオの歴史地区」が世界文化遺産に登録された。マカオと言えば、なにより、この世界遺産とカジノがイメージされるけれども、市街地の小店街は活力が漲り、マカオの庶民文化を語るに避けてとおれない存在になっている。昨年来、マカオ小店のデータベースを作成してきた。今年度は、そのデータベースを大幅に更新し、現地での追跡調査に取り組んだ。なぜ、小店かというと、2018年から、小店を紹介する著作が3冊連続して出版されたからである。これは新しい情報源である。そこで、この3冊を翻訳し、そのデータベースを作ろうと考えた。3冊で合計42件のデータを集め、昨年、インターネットで収集した18件のデータもこれに加え、データベースの合計は60件を数える。そして2011年11月、マカオ現地で60件の小店をすべて訪問し、データベースの内容をより深めていった。本研究は、主として、この成果に基づいている。


テイースライド3 スライド3


マカオ半島都市空間の拡大と変容

 19世紀中ごろ、第79代総督アマラルは、マカオ市街地の城壁を撤去し、都市域の拡張が始まった。それでも市街地面積は、1912年でわずか3.4平方キロメートルだった。それが今では、約3倍の9.3平方キロメートルまで増えている。こうした市街地の拡大と移民の増加は切りはなせない関係にあり、近代には海岸線の埋め立てが活発化する。今回調査した小店は、例外なく、1889年の埋め立て以前の土地に分布している。


テイースライド4テイースライド4追加1 スライド4+追加1枚(勝利レストラン)


小店の文献探索
 
 小店に係わる3冊の文献から、小店の代表例を取り上げる。まずは『古い市街地の小店』(林发钦編2018)から「勝利レストラン」を紹介する。レストランの経営者は広東出身だが、マカオ料理を提供している。スライド4が勝利レストランの外観である。あとで紹介する中国式長屋「囲屋」をレストランに改装したものである。
 次に『懐かしの小店』(林发钦編2019)に掲載された「牛牛小食店」である。経営者の女性はミャンマー出身である。彼女は1970年代、ミャンマーの中国人弾圧から逃れるため、マカオに避難した。最初は屋台で商売していたが、90年代に店舗に移った。
 『近所の雑貨屋』(林发钦編2020)からは、私と同じ客家の小店を紹介する。経営者は現代建築の中でコンビニを経営している。以上紹介した三店の経営者は、いずれもマカオ生まれではない。


テイースライド5 スライド5


小店のフィールドワーク

 小店データベースの項目は、店の基本情報、経営者の出身と母語、店舗の建築様式とインテリア、提供している食物とそのフードスケープなどで構成される。現地のヒアリングを反映した項目、すなわち「移住の経緯」なども含んでいる。
 60件の店舗経営者は、マカオで生まれた人が6割を占め、母語は広東語が大半である。客家語、閩南語、ミャンマー語、ポルトガル語などの話者はマイノリティであり、マカオ半島の共通語は広東語になっている。祖先の出身地は、中国内陸地、香港、ポルトガル、東南アジアなど多彩である。ミャンマーの中国人排斥による移民をさきほど取り上げたが、戦争・革命などの変革期に、大規模な移民が発生している。このように、マカオには母語を異にする複数の民族と民族集団が雑居している。彼らの多くはマカオ生まれたけれども、民族集団としての「マカオ人」ではないということである。


テイースライド6スライド6


エスニシティの記号としての建築

 小店の建築は多様である。現地調査の結果、60件の小店は、5種類の建築類型に分類されることがわかった。まずはポルトガル式建築である。400年に及ぶ占領の歴史を反映して、さまざまなポルトガル建築が残っている。その多くは教会や公共建築など大規模なものである。スライド6右上のフォトスキャン図は、20世紀初頭の新古典主義建築。素朴なデザインが新古典主義の特徴である。
 次に、囲屋を取り上げる。囲屋とは、小路に面する中国式の長屋である。間口4メートルほどで、1階は食堂・台所・広間、2階を寝室にあてる。本来、住宅専用だが、最近では、レストランなどへの改装が目立つ。右中の写真は、左が伝統的な囲屋群、右が囲屋を撤去し高層化した小路である。右下の立面図は、小店群に変化した福隆新街囲屋の連続立面図である。


テイースライド7

テイースライド7追加1テイースライド7追加2テイースライド7追加3 スライド7+追加3枚(盧家住宅、跳楼、現代建築)


 中国とポルトガルの両方の要素が溶け合った建築もある。本研究では、これを「中葡融合建築」と呼ぶ。ポルトガル人がマカオの職人や材料を使ったため、中国とポルトガルの建築が混じり合うようになり、このような折衷建築が生まれた。たとえば、スライド7右上の二棟は、一階にポルトガル式のピロティがある。柱を伴う廊下ということである。一方、屋根は、広東によく見られる灰色の瓦屋根になっている。屋根や屋根の下の部屋は中国式だということ。このような類型は、マカオ半島西部の内港地区に数多く分布している。
 世界遺産の「盧家住宅」は、四合院住宅の内部にポルトガル式のステンドグラスを取り込んだ折衷様式である。
 騎楼も注目すべきタイプである。スライド7右中下にフォトスキャン図を示している。「騎」とは「馬に跨る」ことを意味し、1階の歩道を跨ぐように、2階が道路側にせり出している。騎楼は中国内陸の伝統的な「跳楼」が発展したようにもみえるが、柱を立てる1階の歩道部分はポルトガル系のピロティとも似ている。騎楼街は、マカオのほか東南アジアや香港、台湾及び福建・広東などに散在している。熱帯環境への適応かもしれないが、西洋建築や植民地バンガロー建築の影響も無視できないところである。
 新しい現代建築はマカオの全域に分布している。


テイースライド8テイースライド8追加1 スライド8+追加1枚(建築類型分布図)


調査結果分布図

 スライド8左はデータベース60件の分布図であり、建築類型ごとに番号の色を変えている。このうち55件がマカオ半島、残りの5件がタイパ島とコロアネ島に分布している。半島の歴史的市街地には「直街」という古いメインストリートがある。小店はこの付近に分布する例が半数以上を数える。小店の敷地がポルトガル時代に区画されたものと判断できるのであろう。右は調査対象の一覧表だが、文字が小さいので、一部を拡大しておく。
 一覧表にはデータベースと同じ項目を示している。実は、すでに、閉店したり、撤去されたものもある。建築類型は、現代建築が53%を占め、残り47%は細かくタイプが分かれている。【続】


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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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