fc2ブログ

旧地主邸宅の分譲型再生-葵御紋の土蔵と亭閣を中心に《2022年度卒論概要》前編

上野-スライド01

上野 追加1-1 上野 追加1-2 上野 追加1-3 上野 追加1-4 スライド1+追加4枚


 こんにちは、上野です。2月8日(水)の卒業研究発表会の発表内容と概要を報告させていただきます。卒業研究にご協力いただいたすべての皆様に厚くお礼申し上げます。 〔2023年2月20日下書アップ〕


卒論題目: 旧地主邸宅の分譲型再生-葵御紋の土蔵と亭閣を中心に
Subdivision-type Revitalization of a Former Landowner's mansion
:Focusing on Rest-pavilion and the storehouses with the Hollyhock crest 
[中間報告(2)]


はじめに

 2019年以来、研究室全体で1974年刊行の報告書『鳥取県の民家』に掲載された古民家の追跡調査を行い、民家の倒壊・撤去や文化財指定解除などが著しく進行して、悲観的な気持ちを抱くようになった。そんななか、鄙びた山間部に店を構える蕎麦屋が客を集めている事実に気づいた。山中の古民家を再生した蕎麦屋は、山水の風景に恵まれ、木造建築の風情と相まって、蕎麦という食材を五感で堪能できる場所として賑わっている。また、昨年から研究室で大注目しているのは、旧東ドイツ出身の建築家カール・ベンクス氏の活動である。今から二十数年前、新潟県の限界集落「竹所」に移住し、自邸「双鶴庵」をはじめ多くの古民家を再生して移住者を呼び込み、集落の人口を倍増させている。カールさんの古民家再生手法は、大変ユニークなものである。和風の木組みを守りつつ、内部には薪ストーブや東欧風の骨董、モダンなインテリアを配することで、現代的快適性を備えているのである。これらの活動に接し、悲観していた古民家も決して捨てたものではないという前向きな気持ちを取り戻すことができた。
 今年度になって研究室は、鳥取市河原町大字(おおあざ)河原の元地主住宅T家を調査している。


上野-スライド02

上野 追加2-1 上野 追加2-2 上野 追加2-3
 スライド2+追加3枚


上方往来の宿場町

 はじめにT家の立地する河原という集落の歴史を概観しておこう。
 河原は江戸時代の参勤交代路である上方往来に形成された街村型集落である。鳥取城下から姫路城下に至る街道の最初の休憩場所であり、古くは「御茶屋」と呼ばれていた。御茶屋は今の樋口神社の門前から増えていった。明治20年の『河原沿革史』によると、当時の戸数は92戸、人口は335人だった。スライド2右下の図は、この範囲を推定したものである。当時から4大地主がおり、造酒屋を営んでいた。T家は4大地主の一軒で、今でも酒蔵以外の建造物を残す例外だが、空き家になって久しく、買い主を募集している。スライド2追加1の図は大正から昭和戦前の状況を示しており、追加2の写真は現状の俯瞰である。


上野-スライド03

上野 追加3-1 上野 追加3-2 スライド3+追加2枚


昭和30年代の河原

 スライド3左のタイムスリップ地図は、今から約10年前に当時の小学6年生が夏休みに作成した課題である。昭和30年代の河原には、じつに85もの店舗があり、小規模の都市的様相を呈していたことが分かる。ところが、その一方で、当時の古写真をみると、茅葺きの住宅がところどころに残っていた。倉吉などの例(追加図1)と比較すれば分かる通り、遅くとも明治末までの都市住宅のほとんどが茅葺きであり、昭和戦後になっても、その名残があったということである。
 1987年の調査時点[浅川1987]では、質の高い町並みを依然として維持していたようである(追加2)。その4年後の平成4年(1991)には、映画『男はつらいよ』シリーズの第44作鳥取篇「寅次郎の告白」で、河原が主要なロケ地となる。とくに街道東側の新茶屋がメインのロケ地であった。今回主題となるT家は、新茶屋の対面に位置している。いまでは両家とも空き家である。


上野-スライド04  スライド4


T家の調査

 さて、肝心のT家である。T家の敷地は300坪(約1000㎡)あり、オモヤ、南蔵、西蔵、旧ハナレ、裏木戸、ミソグラが建っている。かつては敷地の北半に酒蔵もあったが、今は平地となっている。


上野-スライド05 上野 追加5-1
 スライド5+追加1枚


 ①オモヤ: オモヤには、書院造の座敷がオクノマとブツマのみ2部屋だけ残っている。その座敷飾は、向かって左から平書院、床、違い棚と並び、武家屋敷の要素を受け継いでいる。付書院を平書院に簡素化している点に加え、長押を全く使っておらず、書院造の影響が幾分弱く、農家の古式を反映している可能性がある。当初は、おそらく農家系4間取りの平面(追加図1)であり、この場合、先ほど紹介した茅葺き住宅と同じく、屋根は茅葺に復原される。残念ながら、オクノマとブツマ以外は昭和の改造が著しく、オモヤ全体を文化財保護の対象にするのは難しいと思われる。また、老夫婦2人の住まいとしては大きすぎるため、今回はオモヤを保存再生計画の対象から除外することにした。


上野-スライド06  スライド6   



 ②南蔵: 南蔵は桁行7間×梁間3間の二階建切妻造桟瓦葺である。南蔵には三葉葵御紋のコテ絵が戸口のマグサと妻壁にあしらわれている。三葉葵は徳川将軍家の家紋であり、蔵にその家紋を付けていることには驚いた。管理者によれば、江戸時代にあっては当家の米を将軍家に献納していたとされ、蔵の建築が江戸時代に遡ることは確実である。家伝によると、天保年間(1830-44年)とも言うが、丈の高い二階建の蔵であり、明治に近い幕末の建築とみて誤りはないと思われる。天保年間ころの作という説を住民から聞いたことがある。


上野-スライド07 スライド7 


 ③西蔵: 西蔵は桁行3間半と規模が小さくなるが、南妻壁南側の地面に2間ばかりの盛り上がりがあることから、当初平面は桁行6~7間に復原できる。その証拠に、南妻壁がトタン張りになっている。西蔵にも戸口のマグサに三葉葵御紋のコテ絵が残っており、南蔵とほぼ同年代と思われる。幅30cm以上の分厚い外壁に囲まれた二つの蔵の内部は、巨大な冷蔵庫のようで、温湿度の差が少なく、木造の部材が新品のような輝きを保持している。蔵を再生し、新たな機能を吹き込むことが不可能ではないと判断される所以である。


上野-スライド08 スライド8


 ④旧ハナレ(亭閣): 南蔵に隣接する旧ハナレは、いわゆる総二階の小ぶりな数奇屋である。1・2階とも、6畳の畳間の2方向に縁をめぐらせ、昭和戦前の建築と推定される。縁の周りに障子はなく雨戸のみとする。2階の縁側には欄干があり、庭の景色を愛でながら、喫茶や食事を楽しむ場所だったのだろう。現在は障子や襖に傷み汚れが目立つが、表紙などの張替えをすれば、オシャレな数奇屋がよみがえるだろう。


上野-スライド09

上野 追加9-1 上野 追加9-2 スライド9+追加2枚


 ⑤裏木戸・味噌蔵: 西蔵に隣接する裏木戸とミソグラは背戸川沿いの景観を大いに向上させている。映画「寅次朗の告白」でも、鮎の選別などを行う場所として、すがすがしい風景を提供している。裏木戸は棟門の梁間が長くなった形式、ミソグラは大きな招き屋根で屋敷側に尾垂(庇)を付けている。ただし、裏木戸とミソグラの屋敷側の軒と庇は著しく劣化しており、緊急の修理を要する。裏木戸の洗い場に近い側に引き戸があり、旧ハナレの雨戸と同形式であるため、旧ハナレと同じ昭和戦前の建築と推定される(スライド9追加2枚)。【続】

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
04 | 2024/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR