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古民家再生の新機軸ー過疎地にさぐる居場所のあり方(1)

1.日本の過疎過密問題と古民家再生

1-1.大都市の過密と地方の過疎 ―表日本と裏日本

 日本列島のうち本州島はその南北中央の境に標高数百メートル~3,000m級の山々が連なる。その背骨となる山脈を軸として、日本海側を「裏日本」、太平洋側を「表日本」と呼び分けている。この山脈は北東側のシベリア方面から寒風を受けとめる障壁となるので、日本海側には冬に積雪が多く、夏の降雨量も太平洋側より多い。こうした気候と地勢が、日本全体の社会構造にも大きく影響している。雨雪の多い裏日本の人々は卑湿な風土を嫌って表日本側の都市部に移住する傾向が強く、とくに昭和戦後から人口流出が激化している。この結果、裏日本では人口が著しく減少する「過疎」が進行し、表日本の大都市に人口が集中して「過密」な状態を生み出した。これは、現代日本の深刻な社会問題だが、この地域格差の解消に真剣に取り組もうとする政治家や研究者は多くない。

1-2.過疎地と居場所の諸課題

 日本海側の諸地域すなわち裏日本は、いま過疎と高齢化が勢いよく進んでいる。私の住む鳥取県は日本で最も人口の少ない県であり(約55万人)、日本有数の豪雪地帯である東北地方の秋田県は日本で最も人口流出の激しい県として知られている。こうした地域に住み続けることを、とりわけ若い世代は嫌うので、地域の活力は失われてきている。その一方で、そうした過疎地の自然や文化を愛する人たちもいる。厳しい気候条件さえ、かれらは愛しており、いくら不便でも「故郷」を離れることをしない。こうした過疎地は、その人たちにとって、かけがえのない「居場所」だからである。
 この「居場所」という言葉を日本人はよく使う。「居場所」は住所という意味ではない。英語に訳すなら、wellbeing place for dwelling とでもなるだろうか。「居心地の良い場所」という意味である。この場合の wellbeing は幸福(happiness)とはちょっと違って、心(精神)が持続的に健全な状態を表している。健やかで、安らかな気持である。現在、日本では、子どもや若者や高齢者が「居場所」失っているとして、社会学の重要課題になっている。都市・地域計画の分野でも「福祉のまちづくり」を推進する上で、居場所が鍵を握っている。
 ここ10年ばかり調査を継続しているブータン王国での経験も、示唆に富むものであった。とくに、2019年にリリースされた映画『ブータン 山の教室』(原題:Yak in the Classroom)をみてから、居場所やwellbeingの問題を強く意識するようになった。標高4,800mの山間高地にある小学校の教師として慕われる若者が、ミュージシャンになる夢を捨てきれず、オーストラリアに渡ったのだけれども、そこでの生活に違和感を覚え、自分のアイデンティティと居場所を考え直すストーリの映画である。
 ブータンも裏日本と同じく、過疎と高齢化、若者の国外流出の問題で苦悩しており、ここでは日本とブータンの両国の状況を、古民家の保全・再生・活用と関連づけて論じてみようと思う。


2.文化財となった古民家の実態

2-1.古民家の緊急調査と文化財指定

(1)考古学的標本としての重要文化財民家

 1960~70年代の高度経済成長期、活発な国土開発が進み、国民の生活スタイルと地域景観が劇的に変貌するとともに、大都市と地方の過疎過密問題も露呈し始めていた。これを危惧した文化庁は、日本庶民文化の特性溢れる農家・町家等の保全をめざし、全国47都道府県で緊急民家調査を実施する。そこでは主に旧地主階級の大型民家が対象とされ、突出した価値を有する民家が国や自治体の指定文化財となったのである。
鳥取県では、1972~73年度に緊急調査がおこなわれ、報告書『鳥取県の民家』(1974)が刊行された。この報告書に掲載された39件のうち、とくに文化財価値の高い民家が国の重要文化財(重文)や自治体の文化財に指定されたのである。ここにいう国の重要文化財を「重文」と略称する。中国の「重点文物保護単位」にあたる。県の指定文化財が「省級文物保護単位」相当である。わたしたちは、緊急民家調査報告書の刊行から45年を経た2018~19年度に、報告書掲載39件の民家を悉皆的に追跡調査し、その変化のパターンを読みとった。
 分布図に示したように、39件のうち6件が(矢部家・福田家・尾崎家・河本家・門脇家・後藤家)が重文、10件が自治体の文化財に指定された。しかし、自治体指定のうち4件がすでに指定解除になっている。指定解除の理由については、後で述べる。
 福田家住宅(重文): まず、環境大学の近隣に所在する鳥取市の重文「福田家住宅」を取り上げる。福田家住宅は典型的な広間型の三室構成で、部材の加工痕や壁・屋根の構法に古式を残すことから、17世紀の建立と推定されている。1974年の指定以来、断続的な維持修理が施されており、近年はほぼ常時公開されている。公開が可能になったのは、居住者(老夫婦2名)が古民家の近くに新居を構えて引っ越したからである。古態を残す重文民家は、文化財建造物としてのオーセンティシティ(真実性)に充ちているけれども、現代生活にみあう改装を禁じられており、住まいとしてのアメニティ(快適性)の向上が極めて難しいのである。このため、居住者は重文民家での生活を断念し、近隣に新居を設けて移り住むケースが増えている。近隣に住みながら、重文民家を管理するので、それは完全な空き家になったわけではない。
 石田家住宅(重文): 江戸時代(清代)の民家の中で最古の墨書を残す例を紹介しよう。京都府美山の重文「石田家住宅」では、西暦1650年の墨書が建築部材に残っていた。この民家を訪問すると、手斧で削られた痕跡のある古い部材などの真実性に圧倒される。しかし、やはり居住者不在の空き家であり、考古学的標本として日々公開されている。重要文化財の使命とされるオーセンティックな文化財価値の凄みを体感するとともに、人間らしい生活の条件である「住み心地の良さ」の喪失を知ることができる。
 箱木家住宅(千年家・重文): 日本最古の古民家を紹介しておく。箱木家住宅は、移築以前、大きな屋根に覆われた1棟の大型民家であった。移築に伴う解体調査の結果、当初は主屋と隠居屋の2棟に分かれていたことが明らかになった。隠居屋は江戸時代(清代)、主屋は室町時代(明代)の建築と推定されていた。ところが、発掘調査と部材の科学的年代測定の結果、主屋の建築は鎌倉時代(元代)にまで遡ると考え直されている。1977年までは実際に人が住んでいたが、ダムの建設により旧所在地が水没するため、神戸市北区の田園地帯に移築され、その後は無人化した野外博物館として一般公開されている。
尾崎家・河本家住宅(鳥取): いままで紹介した古民家は、とくに江戸時代初期(清初)から中世(元・明)にまで遡る年代の古さに最大の文化財価値を認めることができる。一方、芸術性の高い民家も存在する。鳥取県の場合、中世戦国時代(明末)の武家が敗戦などのため帰農し、土着した場所で地主になって住んだ豪農の大邸宅がいくつかある。座敷と一体になった庭園も見事である。
武家が豪農になったのだから、その住宅には武家屋敷に特有な「書院造」の風格が強く影響します。書院造は、現代和風住宅の原型でもある。これら豪農の大邸宅の一部(キッチン・バス・トイレなど)は指定前から現代的に改装されていたため、今も重文民家に住む人がいる。しかしながら、住み手は老夫婦など少数であって、後継者不在の状況に陥っている。後継者不在であるから、面積の広い民家・庭園を管理するのは大変であり、多くの場合、近隣住民や文化財愛好者によって「保存会」が組織され、公開・活用等のサポートをしている。とはいうものの、そう遠くないうちに空き家となるのは、ほぼ確実であり、明るい未来が開けているとは言えないだろう。

(2)苦境に陥る自治体指定の古民家
 重文民家の場合、居住者が流出してしまっても 国の手厚い補助があるため、建造物そのものが滅失したり、指定が解除されたりすることはまずない。しかし、自治体指定の民家になると状況が一変する。まずなにより、維持修理のための補助金が少なく、自己負担金に耐え切れなくなる。また、住み心地を改善しようとして自治体に改装を申請しても認められない。これらの理由から、「指定解除」を居住者が申請するケースが増えてくるのである。
 地方自治体がいったん民家を文化財指定しながら、結果として指定解除になった4件の民家の位置を示している。4件とも山間部の超過疎地にあり、予算不足、居住者流出による後継者・管理者不在に加え、雪害や地震などの災害で建造物が損壊し、文化財としての維持が困難になっている。 たとえば鳥取県西部の限界集落、日野町内井谷では、江戸時代末期(清代後期)に建立された内藤家住宅が1974年に県指定文化財となった。毎年の豪雪などで建物の劣化が進んでいたが、2000年の大地震で倒壊し、指定解除を余儀なくされたのである。今はただの空き地になっている。まわりに建つ2棟の民家にも住み手はなく、集落は廃村化している。これが裏日本の山間過疎集落の現実である。


2-2.町並み保全と登録有形文化財

(1)重要伝統的建造物群―町家の修景と再生
 1975年の文化財保護法改正で重要伝統的建造物群保存地区(略称:重伝建)の制度が導入され、状況がやや変化する。重伝建とは国の町並み保全地区であり、広い範囲に多くの古民家が群をなして建っていて、もちろん多くの人がそこに暮らしている。当然のことながら、住まいとしての民家のアメニティ(快適性)を向上させる必要がある。重要文化財的な凍結保存では、その地に人は住めないし、商売もできない。そこで、以下のような原則が設定された。すなわち、民家の外観を伝統的なスタイルにすれば、内部の改装は自由にできる。その方式に従う場合、1棟につき上限一千万円の補助金が支給されるのである。
 重伝建は、過疎地の観光拠点となるブランド力があった。街道に面する民家の多くは、土産物などを販売する小店やレストラン、ホテル等に衣替えして、多くの旅客を集めたのである。しかし近年は、重伝建の数が増えすぎてしまい、ブランド力に陰りが見え始めている。数が少ないことで価値のあった世界遺産が、数を増したことでブランド力を弱め、人を集めにくくなった状況と似ている。

(2)アメニティの向上とオーセンティシティの減衰
 重伝建の制度では、民家等建造物の内部の改変は自由であり、内部のアメニティの向上に期待が持たれた。しかし、それでオーセンティシティとアメニティの矛盾が完全に解消されたわけではない。一例として、兵庫県丹波篠山市の重伝建「篠山」の蕎麦屋Hを取り上げる。蕎麦屋Hの外観は、旧城下町並みにふさわしい見事な2階建の「土蔵造」である。ところが、いざ中に入ると、新建材のパネルで壁や天井が覆われており、オーセンティック(真正)な和風木造の内部空間は失われていた。このように自由に内部を改装してしまうと、文化財建造物のオーセンティシティを喪失しかねない。こういう危険性があることを肝に銘じるべきだろう。
 もちろん、全てがこのような失敗に陥っているわけではない。同じ丹波篠山市の重伝建「福住」にあるパン屋Nは、店主が古い部材に拘っており、カウンターなど一部を除いては、ほぼ全ての木材・壁を古い姿に維持しており、オーセンティシティを強力に発露させている。

(3)バリアフリーの障害となる畳と段差
 鳥取県選定の伝統的建造物群保存地区「板井原」は、豪雪山間部の盆地にある秘境である。この集落には、現在2世帯しか住んでいない。かつては養蚕を主な生業としており、2階を養蚕場とする民家が軒を連ねている。すでに多くの村人が平野部に移住してしまったが、転出者の一部は、今もこの集落に通って畑で耕作を続けている。大根が重要な農作物である。
板井原は 廃村間近の集落だが、町並み保全に取り組んでいる。集落内には養蚕民家を再生転用したカフェが1軒あり、古民家活用の山菜料理店を老夫婦が営んで、好評を博していた。山菜料理店のメニューは、伝統的なカマドで焚いた白米、肉をいっさい使わない山菜・野菜のオカズとみそ汁である。素朴な味付け、オーセンティックな手作りの味覚に胸を打たれる。
この山菜料理店は、民家内部をほとんど改装していない。食事はイロリまわりの畳の上でとる。畳に尻をついて胡坐か正座し食事する。まさに日本の「食」「住」文化の原点である。ぜひ外国の皆さんにも体験していただきたい。しかし、その一方で、和風空間のシンボルである畳が、住まいのアメニティの向上と矛盾していることにもお気づきいただきたい。
 高齢者や障碍者は、畳上に直接座ったり、畳から立ち上がることが容易ではなく、ときに苦痛さえ覚える。玄関の土間と畳座敷の間の段差も同じ問題を孕んでいる。畳や段差は、バリアフリーの障害になる。椅子、ソファやベッドの快適さを知ってしまった日本人にとって、畳と段差の問題の解消は、古民家再生の大きな課題になっている。

2-3.登録文化財としての古民家再生

(1)阪神・淡路大震災の影響
 1995年の阪神・淡路大震災では数万棟の木造家屋が倒壊した。そこに多くの歴史的建造物も含まれたのだが、未指定のため救済の手を差し伸べることができなかった。これを反省して、翌96年に文化財保護法を再改正し、登録有形文化財(建造物)の制度が施行される。ここにいう「登録」とは表彰の制度であり、建造物の所有者に保存の意欲を奨励しようとするものなので、原則として維持修理のための補助金(税金)は平時にあっては支出されない(被災など有事の場合は別予算)。このため、規制は緩く、やはり内装の改変には寛容である。

(2)登録文化財民家の内部改装
 登録文化財となった民家の改装例を示しておこう。。
 ホテルとしての再活用: 国指定史跡「竹田城」の山麓にある登録文化財「旧木村酒造場」は、大型のホテルとして再活用されている。客室にはベッドやソファが設えられ、旅客がくつろぎやすいようになっている。客室では、畳を剥がして、断熱材を敷き詰めた上に杉板でフローリングし、建具敷居との段差を解消している。ささやかな改装かもしれないが、重要文化財ではこういう変更はできない。
 茅葺き風板屋根とロフト: 鳥取市の登録文化財「加藤家住宅」の修復・改修には、わたしたちの研究室が自ら取り組んだ。この民家は創建が18世紀に遡り、一部で劣化が激しくなっている。とくに屋根の茅葺き部分にはすでに茅(ススキ)が全くなく、垂木の上に直接鉄板を被せているだけになっていた。改修前と改修後の立面図を比較すると、ほとんど違いはないが、じつは屋根の構造を大きく変更し、その内側にロフトを設けている。
 加藤家の屋根に茅(ススキ)を葺きなおすと、2,000万円程度の予算が必要である。その支出は不可能であり、別の方法で「茅葺き風」の屋根をつくることにした。元の垂木はそのまま残しつつ。補強の新しい垂木材を入れて構造を強化する。その上にスギ板の斜め天井を、間隔をあけて二重に敷き、その全体に鉄板を被せると、外観は、茅葺き屋根を鉄板で被覆したようにみえる。内部には杉の床板を張った。こうすることで、屋根裏の部屋(ロフト)が誕生したのである。完成したロフトの写真を示す。古い垂木はそのまま残っている。人類学者クロード・レヴィ・ストロースが『野生の思考』La Pensee sauvageで説いた「ブリコラージュ」の一種である。その他の家具類はリサイクルショップで安価に入手した。【続】


《連載情報》 古民家再生の新機軸ー過疎地にさぐる居場所のあり方
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2673.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2676.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2677.html

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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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