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菅原遺跡報告書批評のための習作(1)

作為の復元

 上海から帰国した翌日の10月24日(火)、ゼミ生とともに、元興寺法輪館の特別展「菅原遺跡と大僧正行基・長岡院」をみた。同じ場所に、ぼそぼそ喋る人がいて、まもなく、その人物が元文研の所長であることに気づく。彼は、わたしが国立研究所に在籍した当時の部長であり、後にその研究所(元文研ではない)の所長に昇格する。現所長から数えて二代前なので、ここでは元所長と呼ぶことにする。約二十年ぶりに再会した法輪館での会話を再現してみよう。

  「あれ、〇〇さんでしょ?、浅川です」
  「・・・あっ、そういえば、あんたも復元やっとっとたな・・・」

 わかりきったことである。小声で反論した。

  「わたしの復元が正しい」

 ご老体はにやついた。前代未聞にして奇妙奇天烈な復元案によほど自信があるのだろう。当方からみれば、信じがたい暴挙である。菅原遺跡のあの遺構から、どうしたら「多宝塔の初現形式」などという結論が導きだせるのか、さっぱり理解できない。卒論「中間報告」で論じたとおり、仮に7~8世紀に「多宝塔」なる呼称のモニュメントが存在したとしても、その形状は後の多宝塔とは異なる。『法華経』見宝塔品の経文を読み、長谷寺銅板法華説相図などの画像資料を観察するならば、平安期(空海)以降の多宝塔と奈良時代以前の多宝塔は別物であり、繰り返すけれども、前者が奈良時代にまで遡る証拠はどこにもない。桃山時代の宝塔をモデルにして、それが堂庭廃寺宝塔跡など10世紀以降(空海よりかなり後)の円形建物跡と似た構造であるというのも、一方は立体、他方は平面での比較であり、実際の系譜関係は不確実である。仮にその推定を認めるとしても、その種の平面が、これだけ痕跡の少ない菅原遺跡円形建物跡と近しいなどとは口が裂けても言えないはずである。妄想に基づく捏造に近い作為と言うほかない。

根拠のない12柱と方形屋根

 あらためて述べるまでもなく、菅原遺跡円形建物の遺構は、基壇の縁石と思われる基礎の据付もしくは抜取痕跡と、その周辺に配列された16基の掘立柱穴しか検出されていない。基壇相当部分に12基の柱礎石の痕跡が発見されてもいないのに、それと桃山期の宝塔「慈光寺開山塔」(1556)の平面が同系統と断ずるなどもってのほかである。すなわち、元文研の12本柱による復元案は、科学的根拠によって導かれた成果ではなく、「多宝塔が奈良時代に遡る」という思い込みから作為された本末転倒の結果である。 
 12本柱はもちろんのこと、方形の大屋根を導く遺構情報は皆無であり、かれらはこれを瓦に頼った。1981年に奈良大学が発掘した別の調査区で出土した小型の隅切瓦に依拠している。このたびの展覧会で、その隅切瓦を実際にみることができた。2020年の調査区では、奈良時代中期の普通サイズの瓦とともに少数の小型瓦も出土しているが、隅切瓦はみつかっていない。隅切瓦が存在したとしても、回廊の隅など別の場所に使う可能性も否定できないので、小型瓦・隅切瓦を円形建物に使ったという証拠にはならない。報告書の文章を引用しておく(2023:p.62)

   1981年の奈良大学の調査で出土した小型瓦が、現時点では、この建物に
   用いられていた可能性が高い。そこでは少数ながら隅切瓦が出土している。
   ここから、隅棟をもつ屋根形式であったことがわかるが、隅切の角度は
   約45°であり、正方形平面の屋根をもつ上部構造であった可能性が高い
   (後略)
   屋根瓦が下ろされたのち丁寧に保管されていたらしいことから、分類して
   保管されていたものが比較的一括して出土したものとして解釈する
   (すべての下線は評者による)

 隅切瓦から隅棟をもつ建物(入母屋もしくは寄棟・方形)が存在したことが「わかる」のはよいとして、その建物=円形建物という図式を現状で導くのは困難である。「可能性がある」とはいえるかもしれないが、「可能性が高い」とまで踏み込むのは相当の勇気が必要であろう。あくまで元文研の「解釈」にすぎない。ひるがえって、隅切瓦が方形屋根の根拠になるのはなぜだろうか。寄棟や入母屋でも、隅行45°なら必要な瓦であり、なぜ方形屋根の建物にフォーカスしてしまうのか。仮に方形屋根の瓦だったとしても、それを使った建物として真っ先にイメージされるのは木造層塔(舎利塔)であろう。元興寺五重小塔がもう少し大きくなったような層塔がひろい境内のどこかに存在した、という発想は浮かばなかったのだろうか。そして、そのような正方形平面をもつ遺構としてふさわしいのは、小型瓦とともに1981年にみつかった方形基壇建物にほかならぬ、とどうして結論づけないのであろうか。
 要するに、隅切の小型瓦を宝塔大屋根に結びつける操作もまた本末転倒の作為である。慈光寺開山塔を意識するあまり、12本の柱のうち4本を立ち上げて、方形の大屋根をかけたい言訳として、1981年出土の小型瓦を利用したにすぎない。そうした解釈のいいわけとして、2020年調査区で出土した普通サイズの瓦は回廊に(熨斗瓦として?)使われていた、としている。掘立柱に似合うのは檜皮葺きであり、排水溝等に軒瓦が放り込んであったとしても、その瓦を回廊の葺材だと判断して、円形建物とは無縁だと決めつけることはできない。どうしても小型瓦に拘るのは、隅切瓦を方形屋根に結び付けたい作為による。

デザイン力を欠く憾み

 一方、裳階(もこし)の方は柱穴の位置から十六角形と決まっている。これは事実である。ここに、大屋根=方形、裳階=十六角形という意匠上のアンバランスが発生する。裳階が十六角形(多角形)なら、大屋根も多角形であったと考えるほうが、建築デザインに整合性がある。現存する多宝塔は、大屋根も裳階も方形としてデザインを整え、見るものを引き付けるが、元文研案は、そうした多宝塔のデザインとは似て非なるものだということに、おそらく設計者自身が気付いていない。このように、元文研案は歴史考証や遺構解釈に偏向・曲解が露呈しているばかりか、デザイン力に欠ける憾みがある。こういう非力の作為が連続した結果として、前代未聞の奇妙奇天烈な造形が創作されたのである。あえて口を滑らせる。展示場に陳列された復元模型は、角帽を被ったオバQがフリルのスカートを履いたような姿をしている。
 ここで、わたしたちが菅原遺跡円形建物の復元に取り組もうと考えたモチーフを素直に告白しておく。元文研が2021年5月に記者発表し、その復元パース(当初案)が大きく報道された。日本人の多くは、このような二重円形型の多宝塔風建物が奈良時代に存在したと思い込みかねない。これは不味い、訂正しなければならない、という想いがただちに芽生え、急がなければならない、とも思った。あのときのわたしは、元興寺案をネパールのストゥーパだとイメージしていた。チベット仏教のストゥーパのうち、チベット式は上円下方、ブータン式は上方下方(もしくは単層方形)、ネパール式は上円下円という形態的特徴があるからだ。おまけに屋根は北京の天壇のようになっている。それでも、まだ世界建築史のなかでイメージできる類例がないわけではなかった。今回は違う。展示場の復元模型をみて改めて思った。こんな建築が世界のどこにあるのだろう。日本建築史にあるか、中国建築史にあるか、インド建築史にあるか、東南アジア建築史にあるか。管見の限り、どこにもない。少なくとも私は寡聞にして知らない。このまま放置しておくと、この歪な復元案が古代史を覆す発見として世間に衆知され、中高社会の教科書に掲載されるというような過ちを招くかもしれない。わたしと同じような反論を内に秘めていても、権力側に忖度し、黙秘を貫く若手研究者もいるだろう。脳梗塞を患って老い先知れぬわたしのような研究者が声をあげるしかない、と決意を固めたしだいである。
 そもそも菅原遺跡報告書の復元考察には、上記引用文にみえるように、「らしい」という表現がかなりな頻度で使用されている。調査報告・復元考察の当事者が「らしい」を連発して、自身の主張の根拠を弱めているにも拘わらず、その結論は断定的である。世にも奇妙な建物が奈良時代に存在し、おまけにそれを「多宝塔の初現形式」と断じて大々的に報道した点、捏造・偽造に準ずる行為であり、執筆・編集の関係者だけでなく、組織の代表者はその責任を免れないだろう。



伽藍配置に読みとる機能とスケールアウトの問題

 伽藍配置の問題も元文研は軽視している。わたしたちは2020年の発掘調査区を翌21年5月に訪れた。引率は奈良市教委文化財係長、同行したのは同年代の考古学者2名、若手研究者(建築史)1名の3名であった。そのとき円形建物の上部構造の具体的イメージはまだ湧いていなかったが、少なくとも回廊等が円形建物を囲む配置状況をみたとき、ただちに思い浮かんだのは法隆寺東院夢殿である。これは訪問者の共通認識に近い感覚であったと記憶する(1名は最近も「夢殿」的な建物だと発言している)。いま公開中の興福寺北円堂も回廊で囲まれている。いずれも賢者・権力者の供養堂であり、その建築を八角円堂とする。一方、多宝塔はどうであろうか。石山寺多宝塔も、金剛峯寺根本大塔も、境外のオープンスペースに回廊なしで衆目に曝されている。これはチベット・ブータン地域で、ストゥーパ(チョルテン)や立体マンダラが伽藍の外側に建って境内を守護する役割を果たしているのと似ている。こうして八角円堂(供養堂)と多宝塔の配置構造を比較してみれば、菅原遺跡の円形建物の配置構造が前者の系列に属するのは自ずと明らかではないか。
 元文研は回廊などの周辺施設の寸法計画に触れていないわけではないが、周辺施設の存在から円形建物の機能を推定していないし、なにより周辺施設を復元することで、円形建物とのヴォリューム・バランスや意匠の整合性を検証していない。我々の場合、復元案を4案示し、それぞれを回廊など周辺施設の内部に置いたパースも示した上で、円形建物のヴォリュームを抑えないとスケールアウトになると考え、バランス的には小ぶりのA案かB1案が妥当だと判断している。最も大きなC案になると、回廊を円形建物が圧迫する。元文研復元案は我がC案よりさらに大きい。スケールアウトは明白であり、意匠上のアンバランスも際立つであろう。  

大壁の偽造

 わたしは、とりあえず基壇上の大壁復元をどう思うか、元所長に訊ねた。元文研の報告書では、円形建物の平面復元にあたって、円形もしくは多角形にめぐる石の据付/抜取列を基壇地覆の痕跡とみる考えを否定し、それを大壁の基礎であるとして、凝灰岩の切石を二段立ち上げ、基壇端にあたる切石上に大壁をめぐらしている。報告書(2023:p.65)の記載に基づくと、「地覆上に径数㎝程度の垂直材を立てならべて壁体を造り、その上に台輪を乗せる構造と考えた」とある。おそらく奈良時代の大陸式大壁を意識しているのであろうが、その場合、壁の地下には深い地業溝を掘り、夥しい数の杭を打ち込んで小舞とし、壁の構造を堅牢なものとしている。筆者が実際にみた例としては、滋賀県野洲町(旧中主町)の光相寺遺跡の建物跡がまさにそのような特徴を有していた。それほど多くの杭を地下に埋め込まなければ大壁は安定しないと思われる。凝灰岩上に縦小舞を並べたぐらいでは大壁と雖も壁はまもなく崩れるであろう。
 こういう大壁の元祖は、古代中国の「土木構造」である。「どぼく」構造ではなく、「ど・もく」構造であって、その名のとおり、土構造と木構造を併用するものである。北魏永寧寺九重塔跡がその良い例である。無数の杭と粘土を絡みあわせて高層建築の塔身を造る。その杭が石の上に立つことはない。土に突き刺すか、孔に落として掘立柱状にしない限り、構造的な安定性を確保できないのである。こうした類例を一切無視して、基壇上の縁石に小舞を立ち上げ、ドーナツリング状の大壁をめぐらすのは、前代未聞の復元案である。そして、このドーナツ状大壁がありえないという事実を受け入れるならば、元文研の復元案自体が成立しえなくなる。


光相寺99-S-1441 光相寺99-S-1430 光相寺99-S-1420
光相寺遺跡の大壁建物(滋賀、8世紀)1999撮影。菅原遺跡円形建物にこのような遺構はない。


所長になった元所長の責任ー 飛鳥池に想いを馳せて

 だからこそ、元所長に「基壇端の大壁をどう思うか」と訊ねたのだ。このほか一連の問に対して、この人物がどう答えたのかというと、

  「わしは、所長いうても、週に1回しか来うへんから」

にはまいった。いくら非常勤であっても、刊行物や展示等の全責任は所長が負うべきものだと思う。ふと飛鳥池のことが頭をよぎった。2年前、国立研究所が遠い昔に刊行したはずの『飛鳥池』発掘調査報告書が正式に刊行され、それ以前にHP上で公開されている同報告書が偽造だと判明したのである。その件で、新所長(現在の所長)が記者会見を開き、頭を深々と下げている報道をテレビでみた。いくつものチャンネルで流していた。新所長にはなんの責任もない。飛鳥池と聞いて、思い浮かぶ人物はただ一人。飛鳥池の発掘調査で有名になり、科研を繰り返し採択され、重要なポストを獲得した。その人物は9年間も所長の職にいて権力を謳歌しながら、ついに報告書を刊行しなかった。そして、『飛鳥池』報告書が世に出るべき年度に所長を務めていたのは、ほかでもない、元所長である。元所長の庇護の下、前所長は報告書の偽造を画策し、その嘘を退官まで貫き通したのだ。これは告発でも何でもない。考古学の世界では誰でも知っている。この件を知らない者は考古学界ではモグリである。
 報告書の偽造が明るみに出た際、一部のメディアから私のところにも電話がかかってきた。「どう思われますか」と問われ、「新所長に責任を押し付けるのはもってのほかであり、前所長と元所長は記者会見を開いて謝罪すべきだと思う」と答えた。その記者は、この権力者2名にインタビューしたいという希望をもっていたが、案の定、実現しなかった。さらに、「(国立研究所の)元所長は元文研の所長職を辞すべきだ」とも述べた。わたしも同意した。
 あのとき逃げた態度と、今回の復元からの逃避はどこか似ている。旧石器捏造の尻拭いを強いられたある考古学者は、菅原遺跡の報告書を読んで、とくに、この大壁部分の復元をみて、「旧石器捏造と同レベル」だと嘆息した。大壁の地下遺構もなければ、壁土も残っていないからである。旧石器捏造に比肩しうるというのは大袈裟なようで、そうでもない評価だと思う。自分たちの復元案を図化するために、存在したはずのない大壁を無根拠ででっち上げたからである。考えれば考えるほど、この作為の復元の悪質さは根が深い。
 元所長は展示室を出ていく去り際に、ばつの悪い顔をして、小声でこう言った。

  「復元したヤツに言ってくれ」

 実際にはこういう曖昧な表現ではなく、当該者の苗字を彼は口にしたのだが、流石にここでは匿名とする。それにしても、これもまた問題発言ではないか。自分に火の粉が降りかかろうとしているときに、所長たる自分や報告書の編集者ではなく、復元考察を依頼した機関外の人物に責任をなすりつけようとしているのだから。

共同幻想にも似た熱量の産物

 菅原遺跡の報告書には熱量を感じる。空海帰国以前に存在しないはずの「多宝塔」が奈良時代に存在したことを証明しようとするには、共同幻想にも似た熱量が必要ではあろうけれども、繰り返し述べるまでもなく、十分な証拠が揃っているわけではない。証拠不十分な状態のなかで、いくら「らしい」連発の憶測を積み重ねようと、確実な根拠がないという事実は揺るがない。強引に歪曲された復元の企てが失敗に終わったことは、復元のプロセスの端々に読み取れるだけでなく、結果として採用された「多宝塔の初現形式」の復元図をみれば何より明らかである。このたびの特別展に陳列された復元模型をみて、改めてまた奇妙奇天烈な復元案に腰を抜かした。
 多宝塔が奈良時代に遡るという、日本史/日本建築史の常識を覆すような結論を断じて報道するからには、まず学会誌で厳正な審査を受けるべきであった。報告書は事実記載に徹し、空想的復元については学会誌で信を問うてから、「復原考察篇」として別に報告書を世に出すべきであったと思う。審査を経ていないのだから、書評するしかなかろう。隅々まで事実と憶測と論理(の欠落)を検証し、その批評を公開せざるをえない。本ブログ記事は、その習作の第一歩である。


《連載情報》 菅原遺跡報告書批評のための習作
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《関係サイト》
大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討《2023年度卒論中間報告》
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2675.html
行基と菅原遺跡に係る意見交換@松山(8月)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2686.html
寧楽徘徊(Ⅱ)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2704.html

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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