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オーセンティシティとアメニティの両立へむけて-古民家再生の新しい潮流《2023年度卒論中間報告》

オーセンティシティとアメニティの両立へむけて-古民家再生の新しい潮流-
Toward the Compatibility of Authenticity and Amenity -New Trends around the Revitalization of Traditional Private Houses


考古学的標本としての重要文化財民家

 1960~70年代の高度経済成長期、活発な国土開発が進み、国民の生活スタイルと地域景観が劇的に変貌するとともに、大都市と地方の過疎過密問題も露呈し始めていた。これに危惧を覚えた文化庁は、日本庶民文化の特性溢れる農家・町家等の保全をめざし、全国47都道府県で緊急民家調査を実施する。そこでは主に旧地主階級の大型民家が対象とされ、突出した価値を有すると評価された物件が国や自治体の指定文化財となった。鳥取県では、昭和47~48年度に緊急調査がおこなわれ、その成果報告書『鳥取県の民家』(1974)が刊行されている。研究室では、刊行後45年を経た2018~19年度に報告書掲載39件を悉皆的に追跡調査し、報告書『古民家「終活」の時代』(2020)を公刊した。ここでそのすべての内容を紹介する余裕はないが、最も身近な例として、大学近隣の鳥取市紙子谷に所在する重要文化財「福田家住宅」を取り上げる。
 福田家住宅は典型的な「広間型三間取り」の平面をもち、小屋組の梁にはオダチの挿し込み痕跡を残す。壁は大壁、玄関まわりの部材には手斧はつりの痕跡を確認できる。これら一連の特徴により、17世紀の建立と推定される。中世的な特徴を残す重要な歴史的建造物であり、『鳥取県の民家』刊行直後に国の重要文化財に指定された。以来、断続的な維持修理が施されており、近年はほぼ常時公開の状態になっている。そうした公開が可能になったのは、居住者が古民家の対面に新居を構えて引っ越したからである。残念なことではあるが、古式の要素を維持もしくは復原した重要文化財古民家は文化財建造物としてのオーセンティシティ(真実性)を維持している反面、現代生活にみあう変更は禁じられており、住まいとしての居住性能あるいはアメニティ(快適性)の向上が極めて難しい。このため、居住者は重要文化財民家での居住を断念し、近隣に新居を設けて移り住むのである。結果、重要文化財民家は空き家化して生活臭を失い、一種の考古学的標本の展示物と化して、一般公開が可能となる。
 筆者がみたもう一つの実例は、京都府南丹市美山の重要文化財「石田家住宅」である。慶安3年(1650)の棟札を残す稀少な摂丹型民家で、とりわけその内部空間の古めかしい真実性には圧倒された。しかし、やはり居住者不在の空き家であり、考古学的標本として日々公開されている。重要文化財の使命とされる文化財価値=オーセンティの素晴らしさと共に、人間らしい生活の条件である住み心地の良さの喪失を実感した。


図 福田家 図2 石だ家 
福田家住宅(鳥取市 重文 17世紀)外観 (左)石田家住宅(美山 重文 1650)内部(右)


苦境に陥る自治体指定民家

 重要文化財民家の場合、居住者が消えてしまっても維持修理の補助金は潤沢であり、国の手厚い補助があるため、建造物そのものが滅失したり、指定が解除されたりすることはまずない。しかし、県市町村の指定民家になると状況が一変する。まずなにより、民家を維持保全しようにも補助金が少なく、自己負担に耐え切れなくなるばかりか、住み心地を改善しようとして申請しても認められないため、「指定解除」を居住者が求めるケースが出てくる。加えて、鳥取のような豪雪過疎地帯になると、後継者が都市部に流出して完全に管理者不在となったり、雪害や地震などの災害で建造物が損壊し、建造物の維持自体が困難になる。鳥取県では、この半世紀の間に4件の指定解除が発生している。

重伝建と登録文化財民家における内部改装

 昭和50年(1975)の文化財保護法改正で重要伝統的建造物群保存地区(重伝建築)の制度が導入され、状況がやや変化する。国の町並み保全地区(重伝建)を構成する民家・町家等の場合、外観を維持又は復原的修景すれば、上限一千万円の補助金が支給されるが、その場合内部の改修に規制はないと定められた。また、阪神・淡路大震災(1995)の建造物被災を反省し、文化財保護法が再改正され始まった登録有形文化財の制度も、民家等歴史的建造物の内部改装には寛容である。ここにいう「登録」とは表彰の制度であり、対象の建造物を歴史的に価値が高いものとして評価するが、原則として補助金は支出されない(災害や戦災の場合、救済の措置はある)。補助金(税金)を投入しないため、保全建造物に対する規制は緩く、改変のための事前申請は必要なく、事後の届出だけでよいとされる。
 重伝建と登録文化財の制度では、いずれも民家等文化財建造物の内部の改変は自由であり、民家内部のアメニティの向上に期待が持たれた。しかし、それでオーセンティシティとアメニティの矛盾が完全に解消されたわけではない。一例として、兵庫県丹波篠山市の重伝建「篠山」の中心にあたる河原町の蕎麦屋Hを取り上げてみよう。蕎麦屋Hの外観は、重伝建「篠山」の旧城下町並みにふさわしい見事なタカ2階型の妻入土蔵造である。店内で蕎麦を食べるのを楽しみにしていたが、いざ中に入ってみると、新材のパネルが壁や天井に張り巡らされており、オーセンティックな内部空間が著しく損なわれていて落胆した。木造のインテリアや山水の風景にふさわしい蕎麦食のフードスケープではなかった、ということである。自由に内部を改装していると、こうして文化財建造物のオーセンティシティや魅力を大きく損失する危険性があることを肝に銘じるべきだろう。


花格子外観 花格子内部 重伝建「篠山」蕎麦屋H 外観(左) 内部(右)


 一方、京都府南丹市の重伝建「美山北」は日本を代表する茅葺き民家集落であり、ここに軒を連ねる古民家レストランは大きな内装改変が加えられていない。オーセンティックな木造空間の中で飲食を楽しむことができるが、バリアフリーの配慮を欠くところに憾みがある。土間と畳座敷の段差や畳の座り心地の問題は古民家再生にとって永遠の課題だろう。畳は日本の住文化の象徴的存在だが、現実問題として高齢化社会にふさわしい家具とは言いにくい。高齢者・障がい者は、畳上に胡坐をかいたり、畳から立ち上がることが容易ではなく、ときに苦痛さえ覚えるからだ。段差も同類の問題を孕んでいる。快適な内部空間の向上のため、畳と段差の問題をどう改善していくべきだろうか。


美山カフェ内部 美山北(京都府南丹市 重伝建) カフェ内部


 大学の近隣に所在する鳥取市古郡家の蕎麦きり「たかや」は、その点有意義な示唆を与えてくれる歴史的建造物の改装例である。「たかや」は昭和戦前期の農業倉庫を改装した店であり、外観はもちろん、内部の軸組や立体トラスの小屋組をよく残しており、オーセンティシティが発露している。その一方で、低めのテーブルやカウンターに椅子を配して客が座りやすく立ちやすい工夫をしているし、壁などの装飾に骨董・地元の窯元の器・水墨画屏風などを小綺麗にあしらい、数奇屋の風情を演出している。極上の蕎麦食のフードスケープと言えるだろう。蕎麦きり「たかや」は、重伝建の一部でもなければ、登録文化財でもない。蕎麦を愛する主人が自らの美学で構想した店構えであり、行政主導の古民家再生に先んじて、オーセンティシティ維持とアメニティ向上の両立を実践している点、次項に示すカール・ベンクス氏の活動と同じ方向を向いている。


たかや 内部 そば切り「たかや」(鳥取市 未指定未登録)内部


カール・ベンクスの古民家再生

 先述してきたように、内部の改装を自由にし過ぎると、古民家がもつ本質的な価値や魅力が大きく損なわれる。こうした矛盾を改善し前進させたのは、旧東ドイツ出身の建築家、カール・ベンクス(Karl Bengs 1941-)である。カール氏は新潟県の限界集落「竹所」に30年近く暮らしながら、古民家を再生し続けている。とくに有名な作品は自邸「双鶴庵」とアトリエ兼カフェ「松代カールベンクスハウス」である。双鶴庵の外観は北陸特有の「中門造」であり、内部でも古い軸組・梁組・小屋組みを露出させるが、ペアガラス・断熱材・床暖房などで防寒機能を強化したうえで、積極的に現代的または東欧風の家具・インテリアを導入し、和洋折衷・新旧融合の再生スタイルを確立している。松代カールベンクスハウスは、明治末の旅館を再生したもので、やはり古材と東欧風のインテリアや骨董を融合させており、いずれも重厚な存在感を発揮しながら快適性も備えている。さらにカール氏の場合、古民家の外観をドイツ式ハーフティンバーに変える作風も多用する。その場合でも内部の和風木造構法は維持しており、和と洋の絶妙なバランスを楽しめる。和風の木造構法と古材を露出させるカール氏の再生手法には、古民家のオーセンティシティを強く訴える力があり、それでいて高いアメニティを備える。このため人気が高く、特に都会での仕事をリタイアした年配世代は好んでカール氏の作品を購入し、竹所周辺の豪雪過疎地域に移住し、自然に恵まれた古民家スローライフを満喫している。その結果竹所の人口は倍増し、廃村間近だった集落コミュニティは大いに活性化してきている。


カール01 カール02 
カール氏自邸「双鶴庵」(新潟県 竹所集落) 内部(左) 外観(右)


 日本海側の諸地域は過疎と高齢化が進み、地域の活力が失われ、そこに住む人たちの誇りが薄れつつある。しかし、もともと自然や文化に恵まれた地域であり、やり方を工夫すれば人間の幸福な居場所として十分蘇生しうる場所である。そのことを教えてくれたのが外国から移住した高齢の建築家であることを、我々日本人は反省しなければならないだろう。カール氏の活動に刺激され、研究室では鳥取市河原町にある旧地主邸宅T家の再生計画に取り組んでいる[上野2023]。驚いたのは、土蔵2棟に徳川家の葵御紋のコテ絵が残っていたことである。昨年、江戸時代に遡る2棟の土蔵の調査と再生計画を考察したが、カール氏の作品と比べると、広々とした開放感に欠けていた。現在設計案を再考中で、今後の重要な課題だろう。

ブータンの「生きている古民家」活用

 筆者は、この夏休みにブータン第10次調査に参加した。ブータン王国は1961年の社会改革に伴って鎖国制度を廃止し、外国との交流に乗り出した。いま首都ティンプーなどの都市部では市場経済への移行が進んでいるが、地方の農牧地域では依然、自給自足の生活が継承されている。そうした僻地には、ホテルもレストランも極めて少ないが、一般の民家が代替施設としてよく機能している。エコツアーの一部として、こうした古民家での宿泊・食事が重要なコンテンツとなっている。
 飲食・宿泊を提供する民家は、道路沿いに看板などの標示をしている。通常そうした登録済の建物がツアーで使われるが、標示や登録のない一般民家でもその役割を果たすことが稀ではない。例えば今回の調査で、まずハ地区の守護神チュンドゥの祭りで知り合った女性の実家に招かれ、親しくなったためその翌日の昼食をその家で取ることにした(有料)。蕎麦のクレープ、乾燥マツタケの炒め物、エマダツィ(トウガラシ+チーズ)、干した蕪の葉のスープというシンプルな食事であったが、標高2,800mのハ地区の食文化と本来のフードスケープを堪能した。
 また、チベットから逃れてきたボン教徒の隠れ里として知られるトンサ地区のベンジ村では、旧領主の大邸宅ナグツァンに2泊した。寝室は3階、厨房兼食堂は2階にある(平面図実測済作図中)。ここで9度食事した。主食は赤米とケプタン(小麦のパンケーキ)で、副食は地産の菜食中心だが、トンサ市街で購入してきた肉類(インドからの輸入)の一品も含まれた。食事する部屋(タプサム)の中心を占めるのは大型の薪ストーブであり、そこでチーズと蒸留酒の製造過程も見学できた。加えて、タプサムの面取角柱上の大型の肘木と梁の迫力が凄まじく、また法要で集まった母系親族が一同に会しての共食の姿にも強力なコミュニティの維持を実感できた。

 
ナグツァン タプサム ナグツァン外観
ベンジ村 ナグツァン(ブータン王国トンサ地区) 厨房兼食堂タプサム(左) 外観(右)


 まさに有形と無形のオーセンティシティが満ち溢れており、都会の瀟洒な古民家再生とは違った。文化の根源的なあり方を体感したのは貴重な経験である。こうしたブータンの得難い体験を日本での古民家再生にどのようにフィードバックしていくのか、多くの事例研究を積み重ね、今後考察を深めていきたい。(尾前)

《参考文献》
1.浅川編(2005)『河本家住宅-建造物調査報告書-』琴浦市教育委員会
2.浅川編(2007)『尾崎家住宅-建造物調査報告書-』湯梨浜町教育委員会
3.浅川編(2020)『古民家「終活」の時代』公立鳥取環境大学
4.カール&クリスティーナ・ベンクス(2022)『NHKカールさんとティーナさんの古民家村だより』主婦と生活社

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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