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菅原遺跡報告書批評のための習作(2)

20231023大極殿6c0 00平城第一次大極殿01


平城宮第一次大極殿に係る中国建築史の見方-平屋説

 2019年11月8日(金)夕刻、わたしは北京工業大学建国飯店の一室にいた。中華人民共和国建国70周年中国建築学会建築史分会シンポジウムでの招聘講演を翌日に控えた歓迎の宴席である。10人ばかりの建築史研究者が集まっていた。日本人はわたし一人、台湾人夫妻のほかはみな中国人の研究者であった。以前、その人たちの多くを日本国内で案内したことがあり、中には「私の家で食事した」そうで、「あなたの奥さんの手料理はとても美味しかった」とのお誉めの言葉を頂戴したりしたのだが、当のわたしの記憶が薄れてしまっている。宴席の料理は極上、酒も絶品で、気分良く会は進んでいったが、盛り上がってきたところで、平城宮の話題になった。かれらはみな高名な研究者もしくは行政官だったので、奈良を何度も訪問している。
  
  「平城宮の大極殿ですけどね、あれは二階建ではなくて、平屋じゃないですか?」

と誰かが口火を切った。まわりの人たちも「そうだ、そうだ」という目でわたしを凝視している。中国建築史の立場からみても、あれほど巨大な二重入母屋の純木造建築は異常に映るのだろう。
 一時は遺構解釈の責任者であった関係上、返答せざるえをえない。わたしも第一次大極殿は平屋だと思っている研究者の一人である。研究所在籍中は、唐長安城大明宮含元殿との空間的類似性を鑑み、中国的な裳階付寄棟造(大仏殿の形式)を模索していたが、ある時点から入母屋造平屋建が正しい理解だろうと思い始め、今に至る。ぐだぐだ書いても仕方ないので、その理由を箇条書きしておこう。

 (1)柱間寸法: 復元平面図に従うならば、桁行柱間17尺、梁行柱間18尺であり、仏教寺院と対比するならば、金堂型ではなく、講堂型の平面である。法隆寺大講堂や唐招提寺講堂のような入母屋造平屋建がイメージされる。伊東忠太設計の平安神宮外拝殿(平安宮大極殿を2/3に圧縮)も、これに近い形式としているが、外拝殿については逆に疑問もある。
 (2)移築し易さ: 藤原宮大極殿と平城宮第一次大極殿の平面規模は一致しており、後者は前者を解体移築したものであったと考えられる。後者はまた恭仁宮/山城国分寺に再移築される(続日本紀)。巨大な建造物ではあるけれども、身軽な平屋の建物だったからこそ、二度の解体移築が可能になったと推定される。
 (3)前面開放: 年中行事絵巻(平安後期)の描写に従うならば、大極殿は前面の柱間を開放としており、平城宮の第一次大極殿復元建物はこれに倣った。初重前面開放の二階建の場合、構造的な不安定さが強く、 二階が前方に倒れやすい。復元された大極殿が倒れないのは鉄骨構造補強と強化ガラスのおかげである。平屋の建物なら、前面開放でも構造的な不安定は著しくは生じない。なお、年中行事絵巻の描写は大極殿内部を表現するための建具省略の可能性も十分ある。


01平安神宮01 09唐招提寺講堂01 法隆寺01大講堂02経蔵
 (左)平安神宮外拝殿 (中)唐招提寺講堂 (右)法隆寺大講堂+経蔵


大極殿はなぜ二重に復元されたのか

 以上は、わたしが2年次「住まいと建築の歴史」や3年次「歴史遺産保全論」で20年以上講義してきた内容である。研究所を出たからこそ、こういう発言ができるのであって、内部に居続けたら、こうはいかなかったかもしれない。ではなぜ、第一次大極殿は巨大な二重入母屋造になったのか。建築的な指向性は第2代所長の意向が強く働いたのは間違いない。何度かの検討会で所外の専門家を交えての意見交換もあったが、決め手に欠けた。鈴木所長と岡田教授(前平城部長)も単層か重層か、入母屋か寄棟かで悩まれていたが、結局、なんとなく雰囲気に流され、日本的な二重入母屋造に落ち着いたというところであった。しかし、時間が経つにつれ、さまざまな矛盾が露呈してきたので、わたし個人は平屋説に傾いていった。そして、所長が3代目に変わった時期の第一次大極殿の委員会で、遺構調査室長として「平屋の可能性が高い」と思う旨発言したところ、初代所長の激怒を買った。

   「昔から、難波宮は平屋、平城は二重と決めとんのや!」


00難波宮大極殿案 00難波宮大極殿案01唐招提寺金堂
(左)後期難波宮大極殿復元パース。単層寄棟の外観は唐招提寺金堂(左)を思わせる。大阪市教委作成。



00平城第一次大極殿05第二次から01 第二次大極殿から第一次大極殿を望む


 ご存じのように、鬼瓦のような存在感のある方で(じつは優しい方らしいが)、ものすごい剣幕に一同たじろぎ、一見落着。歴史的根拠皆無の説得力である。三下は黙るしかない。この問題には構造力学家の思惑も絡んでいた。施工を請け負う竹中工務店の構造設計担当者が二重案に強く固執していたのである。平屋案ではおもしろくない、二重案の構造解析・構造設計に挑みたいという意欲を強く示していた。もちろん施工に係わる予算も二重案の方が高くなる。実施設計進行中で、後戻りできない状況でもあった。

大極殿変遷の歴史観

 上海から帰国した翌日、2023年10月24日に元興寺・興福寺経由で研究所を訪ねた。古巣ではあるけれども、あまり頻繁に行ってはいけない、と思っている。若手研究者のプレッシャーになり、仕事の邪魔になるのは分かっているから。ただし今回は、上海土産を渡したかったのと、学生に日本の文化遺産センターをみせたいという思いがあった。学生ごときに対して、研究室のスタッフはとても丁寧に対応してくれた。本当に有難い。時間も遅いので、見学できる場所は限られている。第一次大極殿院しかない。ということで、少々大極殿を話題にした。若い人たちの参考になればという老婆心から、以下のような個人的歴史観を披露したのだ。

   平城宮の第一次大極殿は藤原宮の大極殿を移設した平屋の入母屋造であり、奈良時代前半の
   終わりには恭仁宮に再移設されて生涯を終える。奈良時代後半に新設される第二次大極殿は
   別の場所で面積を2/3に縮小し新築されたが、その代わりに高層化して二重になった(屋根形式不明)
   この奈良時代後半の二重形式が平安宮にも踏襲され、桁行柱間を2間長くした。
   このような歴史観に従う場合、奈文研による平城宮前半の二重入母屋と伊東忠太による
   平安宮大極殿の単層入母屋の形式を入れ替える必要がある。

 第一次大極殿院の見学は、もちろん教育上有意義な活動である。それは分かっているのだけれども、個人的には億劫であった。大極殿に良い想い出はない。在職中、大極殿の復元事業がいやでいやでたまらなかった。この仕事がなかったら、今の大学に移ることもなかったかもしれない。それほどのアレルギーがあったし、今もある。大極殿本体以上に懸念のある復元建物が今まさに建設中だからだ。
 大極殿院南門の脇に建つ東楼である。【続】


1024平城宮01大極殿02南門02楼閣03 1024平城宮01大極殿02南門01


《連載情報》 菅原遺跡報告書批評のための習作
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《関係サイト》
大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討《2023年度卒論中間報告》
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2675.html
行基と菅原遺跡に係る意見交換@松山(8月)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2686.html
寧楽徘徊(Ⅱ)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2704.html

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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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