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宝珠山立石寺ー「山寺」の散策

0722立石寺(小林)01納経堂01 立石寺11


山寺という愛称をもつ山寺

 こんにちは、滅私です。2023年7月22日(土)、灼熱の晴天下、教授と東北在住の考古学者(匿名希望)の3名で山形市の宝珠山立石寺を参拝しました。東北地方ではひろく「山寺」という愛称で親しまれている山寺です。仙台市からわずか1時間の場所にあり、仙台縄文の森で聞いたところでは、小学校の遠足でよく行く名勝地とのこと。立石寺は、貞観2年(860)清和天皇の勅命によって円仁(慈覚大師)が開山したとされる天台宗の御山とされますが、円仁開山縁起をもつ寺院は600以上に及び、一般的には伝承の域を出ないものと認識されています。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 という松尾芭蕉の句でも知られています。現在は、約百町歩(約33万坪)の境内に、大小30余りの堂塔が残されており、「三つの不滅(法灯・香・写経行)」を今に伝えています。
 来たる11月25日、三徳山三佛寺本堂で開催されるフォーラム「崖と建築のヒエロファニー: そのアジア的視座」のための情報収集が立石寺訪問の目的でした。同じ天台宗の山陰の山寺、三徳山や摩尼山との比較はもちろんのこと、ブータンの崖寺に想いを馳せています。麓から1080段の石段が続く奥の院、五大堂をめざしました。


立石寺3 焔藏内装 立石寺2 焔藏


そばがそばがきになったラバトリー@焔藏
 
 まずは、腹ごしらえです。山寺門前にある「山形蕎麦の焔藏」に入りました。「十割板そば」や最上地方の在来品種「最上早生」が人気のお店ですが、メニュー表に「週末限定 そば1時間食べ放題1500円」を発見。人生初のそば食べ放題を開始しました。板そば600gが出てきますが、すぐに平らげ、おかわりをします。その後も食べ続け、結果的に3人で1800g、1人6人前のそばをたいらげたのです。店員のおばちゃんから「まだ食べるのか」と訝し気に睨まれておりましたが、「食べ放題」で時間が余っているのですから、食うしかない。蕎麦は美味しかったのですが、食べすぎでお腹が苦しい。入院以来お通じがよくない教授は、ラバトリーまで往復された後、いつもはナマズなのに、今日は蕎麦がきだったなどと訳に分からぬことを呟いておりました。


立石寺8 立石寺1

 
 登山口の階段を登った正面には、重要文化財の根本中堂があります(↑右)。天台宗道場の形式がよく保存され、堂内には、円仁作と伝える木造薬師如来坐像が安置されています。山門から長い石段を登り始めたのですが、すでに教授はきつそうです。脳梗塞の入院から2か月が経過し、体調が戻ってきたとはいえ、右脚の不調は相変わらずであり、土産物店で買った長い杖に頼ってのスローな登山になりました(↑左)。私も、先生が心配でゆっくりと後を追います。匿名希望の考古学者は、私と先生に構わず、すたすたと登っていきます。


0722立石寺(小林)01納経堂03 0722宝珠山立石寺納経堂(左)と開山堂(右)01


開山堂と五大堂

 開山堂は、祖師円仁を祀る施設です。慈覚大師の木造の尊像が安置されており、朝夕、食飯と香を供えています。向かって左、岩の上の赤い小さな堂は、写経を納める納経堂で、山内で最も古い建物です。宝珠山立石寺は規模がとても大きく、五大堂など懸造の建造物が数多くあります。11月には立石寺と同様に円仁開山伝承のある摩尼山・三徳山を登るわけですが、教授の感想としては、三徳山より摩尼山と構成が似ており、宝珠山をモデルとした行場の可能性すらあるとのことでした。
 一般客が通常1時間半で往来できる行程を、往復3時間かけてゆっくり巡り歩きました。崖や洞穴、豊かな自然の神秘的な空間、五大堂からの眺望には感激しました。11月のフォーラムでは、ありがたいことに私も発表の機会をいただきました。私はいつも取り掛かりが遅いため、迅速に作業を進め、いい発表ができるよう準備していきます。鳥取に来て6年目ですが、不動院岩屋堂、三徳山三佛寺投入堂、摩尼山「奥の院」のいずれも訪れたことがないため、こちらもとても楽しみです。(滅私)
 

立石寺5 0722立石寺(小林)03参道01
五大堂内部と参道


00バカ矢視04五輪塔  立石寺10
 重文「三重小塔」(右)とそれを囲う巨岩上の五輪塔(左)


密教系霊山と両墓制 -三佛寺・摩尼寺と立石寺-

 令和5年7月22日、抜けるような蒼天の昼下がり、千段余りの石段を上る途中、立石寺五大堂から展望した山間景観とその底を細く流れ下る立谷川、石段を挟むように林立する板碑と卒塔婆および後生車。しばし脳裏に焼き付いたその光景は、柳田国男に始まる民俗学がいう「両墓制」を想起させた。

柳田国男1929「葬制の沿革について」『人類学雑誌』44-6
「…私の生まれた中国東部の村などでは、三昧は遠く離れた原の端に大きなものが一つあって、埋葬の儀式は勿論そこに行われ、七七中陰の読経までは、その新墓の前でしたやふに思ふ。それが何れの時を限りにしたものか(中略)兎に角三年目の盆の墓参には、最早三昧の方に行かなかったのである(中略)各部落には十戸二十戸分づゝ一群を為して、極めて民家と接近した寺の裏手などに、我々の墓所という處があって、そこには小さな石塔が狭苦しく並列して居た。盆彼岸は元より後々の年忌にも、供養は常に此墓所の方でのみ営むことになって居て、事実上の埋葬地は、何人も之を省みようとしなかった…」
「墓地には斯の如く、もと二つの種類があって、仮に区別の名を設けるとすれば一方を葬地、他の一方を祭地とでも謂わなければならなかったことは、現在各地方の仕来りの中からでも、可なり明瞭に之を実証することが出来るように思ふ」

大間知篤三1936「両墓制の資料」『山村生活調査第二回報告書』柳田国男編
「死者埋葬の地を以後永く供養の地に当てることは、今日都鄙を通じて変わらざる一般的慣習である。しかるにこれに反して、その「葬地」と「祭地」とを別の地となす慣習、葬地以外に石碑を建てて祭地とする慣習、いわば墓地を第一次墓地と第二次墓地とに区別する慣習が、点々諸地から報告せられていた…」
 → 1936年段階で茨城から長崎までの12カ所、増補版1975年段階で30カ所を列記

最上孝敬1956『詣り墓』古今書院
青森から鹿児島までの177カ所を集成し、葬地を「埋墓」、祭地を「詣墓」とした上で、各地の立地や呼び名、そして葬俗を詳述
終章(第九章)「詣墓に代わるもの」
「同じく慈覚大師の開基をつたえる山形県山寺はあまりにも有名であるが、…(中略)…この地が祖霊をまつる山上の霊地として古くから遠近の信仰をあつめていたろうことは想像される」(pp.239‐242)
「…慈覚大師の開基をつたえる同じような山上の霊地はとおく山陰地方にもある。今は鳥取市内の東北端になっている摩尼山がそれで、その山上に天台宗の摩尼寺がある…(中略)…鳥取県も伯耆の方では三朝温泉の近くにある三徳山が同様の霊地になっているというし、有名な大山もかつてはそのような霊地であったという」(pp.249‐250)

 「両墓制」の課題は柳田以来、日本民俗学上の主要テーマの一つとなった。そして今から70年近く前のことではあるが、日本独特の祖霊信仰さらに山上他界といった死生観に関わる例として、最上孝敬が三徳山三佛寺と喜見山摩尼寺と宝珠山立石寺を示した意義はとても大きい、と言える。


00バカ矢視02石柱 00バカ矢視03奥の院 00バカ矢視01
左から、こけし塚、奥の院、匿名希望の考古学者


《連載情報》崖と建築のヒエロファニー 日本遺産《三徳山》フォーラム
(予報1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2669.html
(予報2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2711.html
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宝珠山立石寺ー「山寺」の散策
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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