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崖と建築のヒエロファニー 三徳山《日本遺産》フォーラム(予報2)

三徳山フォーラムチラシ(最終校⑤)_圧縮 クリックするとチラシ拡大


 10月の上海講演からはや3週間が経ち、11月25日の三徳山《日本遺産》フォーラムが近づいてきています。予報1から35日以上過ぎてしまいましたが、ここに第2報を広報します。

崖と建築のヒエロファニー:そのアジア的視座

 アジア各地では山、森(杜)、大樹、湧水、崖などの特殊な自然物にヒエロファニー(聖性の顕現)を認めています。特殊な自然物に聖性を読み取る認識は、仏教や神道など上位の宗教が成立する以前から存在した原始的信仰ですが、論理的な思考を纏う仏教などに吞み込まれながらも、信仰の軸として今に継承されています。むしろ、前仏教的な場所の聖性は仏教化後に強化されるという見方もできるでしょう。たとえば三徳山三佛寺の場合、奥の院の崖に投入堂という小さな仏堂を配することで、崖という特殊な場所の聖性はいっそう際立ったと考えられます。本フォーラムは、こうした崖と建築のイメージの相関性を、日本だけでなく、中国/台湾、南アジアとの比較から探ろうとするものです。

《開催日時》 11月25日(土)13:00~16:00 《会場》三徳山 三佛寺本堂
開会 13:00 挨拶・趣旨説明(西田寛司三朝町教育長)
講演① 13:10 「崖と岩陰と懸造-三徳山三佛寺を中心に」
 眞田 廣幸 (倉吉文化財協会会長・公立鳥取環境大学非常勤講師)
講演② 13:40 「台湾の巌(岩寺)と霊山」
 陳 彥伯 (國立成功大學建築學系博士課程/筑波大学研究生)
講演③ 14:00 「ブータンのボン教遺産-山寺クブン寺と秘境ベンジ村」
 東 将平 (公立鳥取環境大学大学院生)
講演④ 14:15 「瞑想・礼拝と他界-日本・中国・ブータンの崖寺」
 浅川 滋男 (公立鳥取環境大学教授)
コメント・質疑 15:00
①「ブータンのドラク・ゴンパ(崖寺)」[仮題]
 サムテン・ドルジ Samten Dorji(岡山大学教員研修留学生)
②「密教系霊山と両墓制-三徳山三佛寺・喜見山と宝珠山立石寺」
 小林 克 (秋田在住、リモートによるコメント)
司会:山田 協太 (筑波大学芸術系准教授)
閉会 16:00  *講演要旨は「続き」に掲載しております

《お申込み/お問合せ先》
日本遺産三徳山三朝温泉を守る会事務局(三朝町教育委員会 社会教育課)
 〒682-0195 鳥取県東伯郡三朝町大瀬999 番地2
 電話 0858-43-3518(直通)  FAX 0858-43-0647
 E-mail shakaikyouiku@town.misasa.tottori.jp


講演要旨① 眞田廣幸「崖と岩陰と懸造-三徳山三佛寺を中心に」
 山は古来より神が住む神聖な場所として畏怖されてきた。そして、山に入り修行する者は人間を超える力を身につけることができると信じられていた。三徳山は、伯耆国(鳥取県中・西部)の東端の山並みに位置する一峰である。標高900m、北側を三徳川、南側を小鹿川に開析される厳しい山容を呈している。この三徳山の北側中腹から山麓にかけて三佛寺の境内地となっている。この三佛寺、慶雲3年(706)に役小角によって開かれ、嘉祥2年(849)に慈覚大師円仁が「浄土院美徳山三佛寺」と号したと伝承される古刹である。境内は大きく山麓の本堂などが建つ「寺域」と、国宝の奥院(投入堂)などの諸堂が建つ「宮域」に分かれる。宮域は、人を寄せ付けないかのような険しい地形で、尾根に露出する巨岩の頂部に懸造の文珠堂や地蔵堂などの諸堂が配され、最奥の断崖絶壁の岩陰に国宝の三仏寺奥院「投入堂」が建つ。文珠堂は勝手宮、地蔵堂は子守宮とも呼ばれ、雨や水に関わる権現を祀る。また、投入堂は現存する日本最古の懸造建築(11世紀末~12世紀初)で、蔵王権現を本尊とする。これらの諸堂以外にも断崖や巨岩の下部に所在する幾つかの岩陰は祭祀の場として利用されているが、地形的な条件により調査が進んでいない。今回は、現段階で判明している三徳山の状況を紹介し、かっ、なぜ三徳山が霊山になったのか考える端緒としたい。

講演要旨② 陳彥伯「台湾の巌(岩寺)と霊山」
 仏教伝来以前の中国には山を神聖な霊山として信仰する伝統があった。この信仰は山と川を最も重要な概念とする風水に受け継がれた。仏教の伝来により、これら元々の霊山は仏教の修行と信仰の場所になり、巖と呼ばれる仏寺が形成された。巖は元々、洞窟、岩山、山の平らな場所を指す語である。仏教の僧侶は山の洞窟に住んで修行しており、信仰を集めると、信者を収容する堂が近くに建てられた。堂には多くのばあい仏と菩薩像が安置されるが、信者の要望に合わせて、高僧清水祖師や仏教伝来以前の信仰に関わる土地公など地域社会や産業の神も祀られた。17 世紀以降、泉洲、漳州など中国南部(主に福建省)からの移民が台湾に入植すると、これらの信仰が伝わり、台湾の山にも巖が建てられた。しかし、台湾では巖の多くは中国南部と異なり、洞窟を含まない地形に建てられた。移民は仏教の信仰を持ちつつも仏教伝来以前からの信仰と原住民の信仰を基に台湾の山を神聖な霊山として位置づけ、山に仏寺を建てたことによる。その後、日本統治時代の近代化政策と国民党時代の中国仏教協会の活動により、巖は仏教の巖と、仏教の伝来以前からの信仰と原住民の信仰に基づく巖とに分かれ、現在に至る。

講演要旨③ 東将平「ブータンのボン教遺産-山寺クブン寺と秘境ベンジ村」
 チベット・ブータン地域は古代インド仏教の色彩をよく伝える聖地のようにイメージされがちだが、実際には、前仏教/非仏教的信仰が根強く息づいている。とくに大きな影響力をもつものとしてヒマラヤ地域の守護神(ゲンイェン、ゲンポー等)、流域の守護神(チュンドゥ、ムクツェン等)があり、寺院や邸宅の中のギョンカンという秘奥の間で祀っている。その信仰心は仏教を凌ぐほど篤い。仏教以前の体系的宗教(または法)として知られるボン(笨)教については、すでに仏教化が著しく、ブータン国内では消滅状態に近い。ただし、わたしたちは、ポプジカに残る仏笨習合のクブン寺を3回調査しており、また8世紀後半のティソン・ディツェン王(吐蕃)の時代に、ボン教徒の王子がチベットから逃れてきて居着いたと伝承される山里ベンジ村(トンサ地区)でも2回調査をおこなった。今回はこの二つの調査地の研究成果を報告する。


1125懸空寺(山西省渾源)01 懸空寺(山西省渾源)


講演要旨④ 浅川滋男「瞑想・礼拝と他界-日本・中国・ブータンの崖寺」
 三佛寺投入堂(平安後期)に代表される日本の懸造り仏堂は、山林寺院において、しばしば崖や岩陰・洞穴と複合して独特の神秘性を醸し出している。こうした特殊な仏堂の源流はどこにあるのか。おそらく東アジアの最古例は、北魏(5世紀末)創建とされる山西省渾源県の懸空寺であろう。懸空寺の場合、崖に突き刺した多くの水平材と少数の柱で建物群(清代重修)を支える。水平杭で堂宇を宙空にせり出す様は危険極まりなく、その危なっかしさによって、あの世との境界としての「崖」の意味を際立たせているのであろう。それにしても、水平杭基礎は危険すぎる。一般的には崖に形成された岩陰や洞穴を安定した敷地として利用する。その中国の最古例は福建省泰寧の甘露寺とされる。南宋紹興16年(1146)の造営だが、1961年に失火により全焼し再建された。平氏が東大寺を焼き討ちした治承四年(1180)、大仏殿再建のためにこの寺を訪れた日本人僧がいるという寺伝を残す。南宋~元初の時代(平安後期-鎌倉初期)、九州において磨崖仏が造営され始め、ほぼ時を同じくして、本格的な懸造り仏堂が増えていくと考えている。これら日中の懸造仏堂はみな仏像等をまつる祀堂である。
 ブータンにも、岩陰/洞穴複合型の懸造り仏教建築が非常に多い。寺はまず崖に立地する。これが山林寺院の前提であり、寺とは崖寺(ドラク・ゴンパ)であり、崖(ドラク)と言うだけで崖寺を意味する。そこで最も重要な施設は瞑想洞穴(ドラフ)である。小さな洞穴の正面を掛屋で隠す施設であり、僧侶はそこで長期の瞑想修行を行う。危険極まりない小さな洞穴で、絶食に近い食生活を続け、自らを生死の境に追い込む。一種の臨死体験のようなものだ。その洞穴はしばしば鳥葬場とも近く、彼岸への入口とみなされている。ブータンの懸造り施設は祀堂ではなく、あきらかに僧侶の修行場であり、中国側ではこれを「修行洞」と呼ぶ。これを石窟寺院の起源論と対照するならば、ドラフはヴィハーラ窟(僧坊窟)、日中の懸造り仏堂はチャイティヤ窟(礼拝窟)に相当し、明らかにヴィハーラ窟的性格をとどめるドラフが古式である。以上のような視点から、日中・ブータンの比較を試みる。

コメント①要旨 サムテン・ドルジ (Samten Dorji)「ブータンの僧院-自分を見つめなおす場所
 ブータンの仏教は、ボンとして知られる土着のアニミズムと仏教のユニークな組み合わせによる。ブータンにはいくつもの寺院や僧院があり、それぞれが独自の建築様式と歴史を持っている。それらは単なる礼拝所ではなく、教育・文化・地域交流のセンターとしての役割を果たしている。ブータンの寺院・僧院の芸術や建築は、仏教の生活様式と複雑に関連している。建物は仏教の宇宙の中心である須弥山(メル山)を象徴する中央寺院を中心に、仏教の宇宙観を再現するように設計されている。これらの建造物の外装や内装は、仏教の神仏群とそれらの物語を描いた色彩豊かな彫刻や絵画で飾られている。これらの芸術作品は単なる装飾ではなく、瞑想や悟りを開くための補助具でもある。ブータンの寺院や僧院の静かで平和な環境は、瞑想に最適な場所である。多忙で混沌とした世界から離れ、より深いレベルで自分自身とつながる機会を与えてくれる。僧院や寺院はまた、自分自身を見つめ直す機会も与えてくれる。静かな環境は、私たちの人生や目標、そして精神的な旅について考えることを可能にしてくれる。
 《abstract》 Bhutanese Buddhism is a unique combination of native animism known as Bon and Buddhism.Bhutan is home to several temples and monasteries, each with its own unique architecture and history. They are not just the places of worship, but rather serve as centers of education, culture and community interaction. The art and architecture of Bhutan's temples and monasteries are intricately connected with Buddhist way of life. The buildings are designed to replicate Buddhist cosmology, with central temple representing Mount Meru, which is the center of the Buddhist universe. The exterior and interior components of these structures are decorated with colourful sculptures and paintings portraying Buddhist gods, deities, and their stories. These artworks are not just decorative but also supports in meditation and attaining enlightenment. The quiet and peaceful environment of Bhutan's temples and monasteries makes them perfect places for meditation. They provide an opportunity to disengage from the busy and chaotic world and connect with ourselves on a deeper level. The monasteries and temples also provide opportunity for self-reflection. The tranquil environment allows us to reflect on our lives, our goals and the spiritual journeys.


ドルジ地図


コメント② 小林克「密教系霊山と両墓制 -三徳山三佛寺・喜見山摩尼寺と宝珠山立石寺」
 鳥取の三徳山三佛寺、喜見山摩尼寺と山形市の宝珠山立石寺(通称「山寺」)は、いずれも慈覚大師円仁が開祖と伝承される天台宗の霊山である。この三者を民俗学の立場から両墓制にかかわるものとして説いたのは、昭和の民俗学者、最上孝敬(1899‐1983)である。最上は『詣り墓』(古今書院、1956)において、青森から鹿児島まで177カ所の両墓制資料を集成して分布図を掲げ、その立地や呼称、両墓すなわち埋墓(うめばか)および詣墓(まいりばか)で執り行われる葬俗の仔細を記した。そして「詣墓に代わるもの」と題した終章において、恐山(青森)、岩舟山(栃木)、祖谷山(香川)、森の山(山形)を筆頭にした庄内各所の「モリ供養」、出羽三山のうちの月山、ニソの杜(福井)などを列記するとともに、鳥取の三佛寺と摩尼寺、そして立石寺にも触れている。
 最上が両墓制を述べる以前、すでに昭和初年に柳田國男(1875‐1962)が自身の出身地、兵庫県内陸の葬俗を語って葬墓と祭墓とがあることに注意を促していた(柳田1929「葬制の沿革について」『人類学雑誌』44‐6)。墓には死者を葬ることと祖霊を祀ることの二つの意味があり、その二つが同じ場で行われるだけではなく、時間の経過に応じて別の場所に移ることを述べたのである。柳田の指示で山村生活調査を実施した大間知篤三(1900‐1970)は、茨城から長崎までの12カ所を上げ、初めて両墓制の概念・呼称を用いて報告した(大間知1936「両墓制の資料」『山村生活調査第二回報告書』柳田国男編)
 こうした昭和の古典的業績によって両墓制をめぐる議論は進展した。近年では拡大・膨張した祭墓や詣墓の概念を整理し、祖霊祭を執り行う場としての五輪塔や板碑など石塔に限定する立場で研究を深化させる方向にある(新谷尚紀1991『両墓制と他界観』吉川弘文館)。しかし70年近く前の『詣り墓』に加えられた年忌に霊魂を祀る場として杜や山があるように、亡骸を埋めるのとは別に祖霊祭祀の場を設ける意識や具体の葬俗は列島に独自である。それは山上他界観、ひいては山岳信仰に昇華していると言えるかも知れない。三佛寺・摩尼寺・立石寺は天台宗と結びついた典型である。


《連載情報》崖と建築のヒエロファニー 日本遺産《三徳山》フォーラム
(予報1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2669.html
(予報2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2711.html
(予報3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2712.html
(予報4)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2716.html
(予報5)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2719.html

宝珠山立石寺ー「山寺」の散策
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2709.html

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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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