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崖と建築のヒエロファニー 三徳山《日本遺産》フォーラム(報告3)

1125三仏寺本堂前記念写真01 クリック拡大


講演2)瞑想・礼拝と他界-日本・中国・ブータンの崖寺

 投入堂登拝で苦戦した学生たちに謝罪した後、スピーチを開始した。チラシでは、わたしは前半の4番目、大ラスを予定していたが、発表用のパワポが集まるにつれ、全体のイントロとして自らスピーチしなければならないだろうと考えを改めた。まず「ヒエロファニー」とは何か、について語る必要がある。宗教学ではあまりにも有名なエリアーデの分析概念も、知らぬ人は知らぬのだから概説なしでは済まされないし、「アジア的視座」という部分も、たぶんわたし以外では語れないだろう。そう思って事務局と協議し、開催1週間前に打順変更。1番バッターを務めることに改めたのだが、天候に伴う登山の進捗が影響して2番目のスピーチとなった。講演の構成は以下のとおり。

  0.ヒエロファニーの諸相
  1.蔵王権現の宮室「投入堂」 -崖と懸造り
  2.中国に投入堂の源流を探る -崖か岩陰か
  3.ブータンの崖寺と瞑想洞穴
  4.仏教のチベット化/ブータン化/日本化

とくに言いたかったことを簡単にまとめておく。


スライド1ヒエロ スライド4ヒエロ


崖の紫宸殿-投入堂

 三佛寺投入堂の屋根形式が同時代(平安後期)の「平安宮紫宸殿」に似ている問題。とくに落棟(おちむね)の屋根形式は年中行事絵巻に描く紫宸殿とそっくりだと言われる。これは素直に投入堂を、崖の「内裏正殿」と捉えればよい。修験道の本尊「蔵王権現」が巌を切り裂いて出現し尋常でない法力を発揮するという特性に注目するならば、崖の向こうから此岸にあらわれた蔵王権現の宮室(神殿)が投入堂だと解釈される。だからこそ、投入堂は紫宸殿を圧縮した姿をしているのであって、おそらくその建物は丹塗りされていたであろう。この場合、崖の向こうは彼岸であり、崖は彼岸と此岸とを隔てる分厚い境界壁という言い方ができるだろう。


スライド17内裏 スライド18内裏 スライド19起源


 次に年代と源流の問題。とくに九州で比較的大型の掛け屋や懸造りの類が目立つようになるのは、九州で摩崖仏が増える平安後期~鎌倉初期とほぼ一致する。春日造のような小振りな建物は別にして、比較的大がかりな懸造りは摩崖仏の掛け屋としての発生的意味があるのではないか。これを中国側からみると、北宋末・南宋・元初の時期にあたる。12~13世紀、遼や元などの北方騎馬遊牧民族の国家的勢力が宋の漢民族を圧迫し、海外への亡命を招く時代である。大仏様のフィクサー陳和卿、鎌倉に純粋禅の道場を開いた蘭渓道隆(建長寺)や無学祖元(円覚寺)などは皆そういう漢人移住者である。こうした中央での動きと呼応するように、九州では摩崖仏の造営が進み、その覆屋としての掛け屋・懸造りが発達した可能性があると想像している。ただ、この動きと三佛寺投入堂は連動していない。投入堂のほうが一段階古いことは間違いなく、今のところ「蔵王権現の宮室」以外理解しようがない。


00講演asa01


チベット(日本)で仏教がチベット(日本)化した

 ブータンにおける瞑想、とりわけ悟りを開くための白壁洞穴での瞑想は、鳥葬場と近い位置関係にもあり、あの世への入口ともみなしうる。まず第一に、鳥葬は遊牧民的ではあるかもしれないが、仏教的ではないようにみえる。あまりにも残酷すぎる。
 ブータンの瞑想洞穴ドラフは、非常に危険な岩崖にある。悟りをめざす白壁の洞穴では、一日2回の軽食をとるだけのぎりぎりの状態に身を置く。自らを生と死の境において一種の臨死体験を続けていると考えられる。そこで生と死の境を体験し、無意識のなかで「生きるも死ぬも一つ」という認識を自覚できるようにすることが悟りへの道だとわたしは思っている。いわば、生の側にありながら死の側を覗きみる行だと言えようが、チベット仏教の場合、輪廻が大きな問題となる。これについては、今枝先生[Imaeda 2010]が革新的な見方をされているので、不十分な理解かもしれないが、ここに紹介させていただく。


スライド22ブータン スライド33ブータン スライド34ブータン


 たとえば仏教側は、仏教思想と矛盾する「生け贄」の代替を提案するなど、従来の葬送儀礼を否定することなく、土着の方向性をそのまま残すよう努めた。しかしながら、人間世界への輪廻は仏教的ではない。もういちど別の人間に生まれ変わっても、煩悩や苦しみの繰り返しであり、悟りを開いたことにはならないからである。これを仏教的にしようとすると、死者はブッダの住む超越的世界に再生し苦しみのサイクルから逃れる必要がある。通常の輪廻のサイクルに加えて、こういう超越的世界への指向を加えることで輪廻は仏教的に変化する。つまり鳥葬がそうであるように、輪廻もまた前仏教的な土着の思想であり、仏教側はそれを勢い否定することなく、うまく調整して仏教化していったと考えられる。これを先生は、以下のようにまとめている。

  チベットが「仏教化」したのではなく、仏教がチベットで「チベット化」した。
  (略)チベット仏教の歴史とは、チベットという天才が仏教という宗教を通して
  表現した本来の姿の歴史である。

IMAEDA Yoshiro (2010) The /Bar do thos grol/, or ‘The Tibetan Book of the Dead’: Tibetan Conversion to Buddhism or Tibetanisation of Buddhism?. In: Matthew T. Kapstein and Sam van Schaik (eds), /Esoteric Buddhism at Dunhuang/ Leiden: Brill,pp.143-158.


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ガラパゴス仏教ー日本

 上の最終3行における「チベット」を「ブータン」に置き換えても、そのまま通用する解釈であり、ひいては遠い僻遠の「日本」に置き換えても、ほとんど問題はなかろう。日本が「仏教化」したのではなく、仏教が日本で「日本化」した。わたしはずっと以前から日本は仏教国ではない、と思っている人間なので、大変親近感をもってこの一文に接することができた。これについて、今枝先生は、最新の訳書、ジャン=ノエル・ロベール『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか(講談社選書メチエ、2023)の「解説」で、日本の仏教はガラケーならぬ「ガラ仏」と述べておられる。大乗仏教の最末端に位置する日本の仏教は、世界的にみた場合、異端極まる存在だということである。こうして仏堂を会場にしてフォーラムを開催し、参加する日本人の誰もが日本の仏教を当たり前のように感じているが、それは異端なのだということを自覚する必要があるだろう。


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3人の学生・留学生が発表、コメント

 わたしに続く3番目の講演は院生滅私くんの「ブータンにおけるボン教/非仏教系の遺産-クブン寺とベンジ村を中心に-」。ブータンの非仏教/前仏教系信仰に関する発表でパワポの制作には骨を折り、その完成は前日の午後にまでずれこんだ。おかげで、内容は高度なレベルになったので、ここでは修論の第2中間報告として扱い、別に発表者本人からブログに公開していただく。
 4番目の講演は、台湾から筑波大に留学したばかりの陳彥伯さん。演題は「台湾の巌(岩寺)と霊山」。事前に送信されてきたパワポは短くまとめられていたが、本番はスライドがかなり追加されていた。どうやら前夜睡眠時間を削って改訂したものらしい。しかし時間をかけて努力すれば成功するわけではない。午前中、質疑の通訳のために科白原稿を読んだ通訳の張くんは「長くて難しい、ヤバい」と話していた。実際、発表は冗長で聞き取りにくいものとなった。台湾では山での修行(苦行)がなく、むしろ岩山から運気のエネルギーを引き出すことに主眼をおいているようだが、事例数が多すぎた。それでも、日本人はやさしいので、外国語でスピーチした話者に対して大きな拍手を送った。後で、指導教官とわたしでこってりこってりしておきましたが。


00講演asa04ドルジ01 00講演asa04ドルジ02sam Dorji


 15分の休憩をはさんで、コメント・質疑に移行。コメントの一人目はブータンから岡山大に留学しているサムテン・ドルジ(Samaten Dorji)さんの「ブータンの僧院-自分を見つめなおす場所」。こちらは一転して要領よく手短に英語でまとめ、山田准教授の通訳も見事なものだった。客席の日本人年配者の感想も良好、「ブータン人の心性は日本人に近い」と感心しきり、ぜひブータンを訪問したいとのことであった。


三徳山摩尼寺糖尿堂

 最後のコメンテータ、秋田の小林さん(リモート参加)は予想通りのトラブル続き。Wi-Fi通信不良のため中断時間が長くなった。話題は「密教系霊山と両墓制-三徳山三佛寺・喜見山摩尼寺と宝珠山立石寺」。小林さんが初めて要旨を送ってきたとき、「三徳山摩尼寺」と記しており、三徳山と摩尼寺を同一の霊山と認識しているし、投入堂は「とうにゅうどう」と読む始末。いくら自分が糖尿だとはいえ、「とうにょうどう」はあまりに悲惨なので、このたびの発表は宝珠山立石寺(山形)ほか東北・北陸の霊山に限り、鳥取は今回会場の出席者にコメントを求める方がよいのではないか、と提案したのだが、なにぶんマイペースを崩さぬ方で、11月20~21日に来鳥し、三徳山と摩尼山を一人で登拝したのだが、それで理解が一気に深まるわけでもなかろう。


00講演asa05ネズミ男トラブル Wi-Fiトラブル


 通信不能となった会場では、年配の聴講者が「詣り墓」はここにもある、どこにもあるとかまびすしく、会場の一部は騒然としていた。通信が回復し、いちおう最後まで小林さんはスピーチしたが、その後の質疑応答では、正式な発言を嫌がる年配者を説き伏せ、いくつか具体的な事例をあげていただいた。その後、投入堂まで到達したA班の女子学生1名の感想を経て、米田住職の閉会辞となったが、ここでも詣り墓の話題になり、転法輪寺にもあるし、じつは三徳山にも五輪塔・宝篋印塔が大量にある、ということで、やはり小林さんは鳥取に短期滞在して中途半端な知識で発表するのではなく、むしろ会場に列席し、参加者に情報提供を委ねたほうが良かったと思われる。Wi-Fi接続は滅私くんなどの大きな負担にもなった。
 そんなこんなでまたたくまに午後4時を過ぎ、閉会となった。会の運営を支えてくださった三朝町社会教育課の皆様、ASALABのゼミ生、人間環境実習・演習の2年次履修生、遠方よりお出でのお客様など全ての関係者に深く感謝申し上げます。帰鳥後、筑波大の2名と夕食をともにしましたが、繰り返すまでもなく、陳くんにはこってりこってりです。お疲れさまでした。秋田にむけてメッセージを一言。大勢の研究者等が交流する会場でマイペースの行動をとると、学生や事務局に迷惑がかかることをリフレクトしていただきたい。わたし自身自戒しなければならないと思った。


00講演asa10住職01 00講演asa10住職03記念撮影
(左)住職閉会辞 (右)沢山記念撮影


《連載情報》崖と建築のヒエロファニー 日本遺産《三徳山》フォーラム
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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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