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菅原遺跡報告書批評のための習作(7)

報告書 第3章第2節 奈良時代の遺構と遺物 第1項 南区(2)遺構:pp.13-

 【円形建物跡SB140】①内周土坑列: 《略》当該建物の遺構は内周の土坑列とその外周を巡る柱穴列で構成される。内周土坑列は12基を確認しているが、北東部をはじめとして、部分的に後世の攪乱、削平によって消失もしくは不明瞭となっている。各土坑間の間隔も不均衡であり、全体の配置を俯瞰すると、内周土坑列と外周柱列は同心円状に展開する以外、放射状に直列するなどの状況は看取できない。(土坑の)平面形は基本的には矩形を呈し、円周方向に長辺をもつ長方形のを呈するものが多い。長さはばらつきがあり、1m前後のものと2mを超えるものもある。幅は比較的まとまっており、残りのよいものを平均すると約70.5cmを測る。
 深さに関しては上面の削平の度合いで変化しており、一様には扱えないものの、最も深いAcで18.3cmを測り、平均は約13cmである。また、Abのように部分的に土坑状に深く掘られるものもある。底面は若干の起伏はあるものの比較的平滑なものが多い。また、当該土坑列の内側からは柱穴などの痕跡はまったく検出されていない。いずれも上面を削平された状態での検出であり、整地土や盛土の痕跡は確認できていない。埋土中からの土器・瓦などの出土遺物は皆無である一方、微細ながらも凝灰岩の破片が出土している壁の立ち上がりはほぼ重直で、特に Ag、Aj、Akではその傾向が顕著であるが、複数の土坑に円周内側へ石材を抜き取った痕跡が確認できる。Ajは147°前後の角度で角を持つ痕跡も見られる。これらの事から上記の土抗については凝灰岩切石を埋設していた痕跡と判断した。Aa、Abは長方形土抗の短辺底部にそれぞれ隅丸方形土抗が穿たれており、方形石材の上に長方形石材を埋設した可能性が考えられる。
 これらの石材について、これを基壇地覆石埋設痕とみる意見もあるが、Ajの切石側辺の角度は石材の円周に合致しない(図14)。さらに石材の規模・形状は統一性がなく、これをそのまま地覆石の下部痕跡とすることはできない。これらの土抗は基壇や亀腹造成に際して様々な形状、規模の石材(転用材)を埋設した内護列石のような機能を想定したい。また、北側では少し外れてSK018を検出している。長辺132cm、短辺77cm、深さ5cmで、他の土坑と共通した規模と形状をもち、当該建物に帰属する可能性がある。礼拝石の痕跡かとも考えたが、長軸方向の角度が建物全体の方位とは全く合致せず、現状ではその機能は不明である。

批評-環状土坑列は大壁の基礎になりえない

 まず、断続的ではあるけれども環状にめぐる溝状遺構を「土坑」とネーミングすることに違和感がある。ごみ捨て穴や瓦溜りなど建造物の構造とは関係ない穴を一般的には「土坑」と呼ぶ。ここにいう土抗列が基壇の地覆にあたるものか否かはさておき、建物本体の基礎になっていることは自らの復元図(pp.66-67:図59-60)でも示しており、とすれば、それにふさわしい遺構分類名称を与えるべきだった。以下、気になった点を箇条書きする。
 ①この土坑列に(大壁の)基礎となる凝灰岩が収まって抜き取られたとするならば、石を設置する時点の遺構と抜き取った時点の遺構の両方が重複して検出されるべきだが、両者の識別を怠ったようで、断続的な溝状遺構は一時期の土坑として認識されている。据え付けた状態をよく反映しているのは、おそらく長方形に近い直線状の土坑であり、丸みを帯びた土坑は抜取りが影響している可能性があるだろう。土坑Ajの隅の角度が147°になることを図14(p.19)で強調しているが、それは石そのものの角度ではなく、石の抜取り穴の角度でしかなく、基壇の形状に直結するとは言い難い。こうした細かい点を大目に見ても、本体の基壇は円形ではなく、多角形を呈していたのは自明である。これを多角形として受け入れる者は八角円堂系の復元に進み、「略円形」と表現する者は多宝塔系の復元に進む。前者は奈良時代に類例があり、後者はそれがない。
 ②「当該土坑列の内側からは柱穴などの痕跡はまったく検出されていない」(p.17): とても重要な記載である。8世紀の大壁構造であったなら、壁筋にあたる溝状遺構(この遺跡では内周土坑列)の内側に多数の杭根・杭跡を含む。それが全くないのだから、この土坑列は大壁の地業にはなりえない。
 ③「埋土中からの土器・瓦などの出土遺物は皆無である一方、微細ながらも凝灰岩の破片が出土している」: この証拠により土坑列には凝灰岩切石が据え付けられていたとみるわけで、それが正しいとすれば、②で述べた大壁の地業としてはますますふさわしくないことになる。むしろ、基壇の地覆石・側石のイメージに近くなる。
 ④「これらの土坑は基壇や亀腹造成に際して様々な形状、規模の石材(転用材)を埋設した内護列石のような機能を想定したい」(pp.18-19): 基壇はよいとして、亀腹が古代にあるのか。また、「内護列石」という用語が意味不明なので検索してみたところ、古墳で用いるようだが、建築史では使わないので、別の用語で説明すべきであろう。城郭史などに類例はないか。なにやら分かりにくい表現になっているが、復元図をみる限り、この土坑列に収まるという凝灰岩切石は基壇端大壁の基礎であり、同時に基壇の地覆・側石に相当しているので、さほど意味のある解釈とは思えない。なにより②で述べたように、この土坑列は大壁の地業にはなりえないので、大壁を用いた復原案そのものが成立しえないことを知るべきである。 


 報告書【円形建物跡SB140】②外周柱列: 外周の柱列は15基を検出している。正確に円周を16等分した位置に配置されており、南南西の一つが攪乱によって消失している。柱配置の割付は図 13に示したとおりで、当該建物を囲続する回廊や塀がほぼ座標系と平行するのに対して、外周柱列の基準線は座標北から西に7.66°の振れがみられる。柱穴は直径約14.7mの円周上に配置されており、明瞭に柱痕跡が残る柱穴dとその対角にあたる柱穴lの芯々間距離は14.71m、同様に柱穴b-j間は14.78m、柱穴 e-m 間は14.79mを測る。個々の柱穴の平面形は放射方向に長軸をもつ楕円形、もしくは隅丸長方形を呈するものが多い。削平により旧状を留めない柱穴fを除いた平均は長辺 83.1cm、短辺 62.2cm を測る。
 深さは削平の度合いにより一様ではなく、最も深い柱穴cでは 65.0cmを測り、平均すると31.4cmである。また、柱痕跡に関しては掘方のやや外側寄りから検出されることが多い。柱痕跡の直径は最大で約20cm、最小で約12cm、平均すると約17cmである。柱はいずれも抜き取られている。遺物は柱穴b・g・oから土師器細片、柱穴hから土師器細片に加えて、柱抜き取り痕から瓦片が出土しているが、いずれも細片で図化に耐えるものではない

批評-小型瓦を葺いたのは土庇かも??

 とくに大きな問題はないと思われる。ただ、「柱抜き取り痕から瓦片が出土している」点は頭に残しておいた方がよいかもしれない。SB140廃絶後、瓦の破片が裳階(もこし)の柱の抜取り穴に廃棄された。これまで円形建物の本体は瓦葺き、裳階(土庇)は檜皮葺きと推定してきたが、裳階だって瓦葺きの可能性を全否定できないからだ。そして、土庇のような小振りで不安定な構造物にこそ小型瓦は似つかわしいとも思うのだけれども、元文研にそういう発想はなく、どうしても小型の隅切瓦をSB140の方形屋根に使いたかったようだ。ところで、次回詳しく述べるけれども、2020年調査区において、小型瓦の破片は円形建物以外の囲繞施設(の主に北半)で少数出土しているだけで、隅切瓦はみつかっていない。だから、単廊・塀・棟門なども小型瓦を葺材とした候補になりうる。誤解を招く恐れがあるので、敢えて追記しておくと、わたし個人は、土庇にふさわしい屋根葺き材は檜皮だと思っているが。《続》


《連載情報》 菅原遺跡報告書批評のための習作
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《関係サイト》
大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討《2023年度卒論中間報告》
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2675.html
行基と菅原遺跡に係る意見交換@松山(8月)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2686.html
寧楽徘徊(Ⅱ)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2704.html

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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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