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菅原遺跡報告書批評のための習作(8)

 円形建物SB140を囲繞する周辺施設については、報告書第3章で遺構と遺物に分けて記述しているが、ここでは施設ごとに遺構と遺物をまとめて述べようと思う。遺物については、建物復元と係りの深い瓦にほぼ絞り、遺構との関係を考えていきたい。報告書の記載はこのページの下段より一括して圧縮転載するが、まずは報告書を読んだ当方の感想を記す。

批評-西大寺系瓦から見通して:頓挫した八角塔の匂い

 まず全体的に言えることだが、瓦などの遺物を「掘立柱の柱穴から出土した」と記述するだけで、柱穴の掘形か抜取りかを明示していない点が残念である。掘方なら建物の設置、抜取りなら廃絶と相関するので悩ましい。さて、元文研が注目する小型瓦の出土状況をみると、北側の東西棟掘立柱建物SB150で、小型瓦の可能性のある丸瓦2点(6・7)、平瓦3点(8・9・10)が出土。掘立柱の単廊SB160では、小型瓦と確定するか、それに復元できるものが2点(平瓦12・14)、小型瓦の可能性があるものも2点(平瓦13・丸瓦18)出土している。このほかでは、北西の掘立柱塀SA170で小型の平瓦1点のみ(30)、北側飛び地の整地土II出土の丸瓦(58)も小型瓦とされる。報告書を読む限り、2020年度南区で出土した小型瓦は「可能性がある」ものを含めても、丸瓦4点、平瓦7点にすぎず、その分布は南区の北側外周域に偏る傾向が認められる。円形建物SB140周辺をはじめ、最も多くの遺物を得た南側の排水溝SD034や整地土Ⅰでは小型瓦は1点もみつかっていない。
 むしろ注目すべきは、西大寺と係る軒瓦・文字瓦である。約280点の瓦片を確認した排水溝SD034では、6711B形式の軒瓦(35・36)2点に加えて、「西」という漢字を刻印する平瓦(41)が出土した。報告書を引用すると、「41は平瓦で凹面側に『西』刻印が押捺されている。《略》奈良市の西大寺26次調査出土の平瓦に同范がある(未報告)。また、同范ではないが、書体は「西(a)」(西大寺 1990)に類似する」。掘立柱塀SA170で出土した平瓦31も瓦当は残らないが、軒平瓦であった可能性が高く、凸面押圧技法は東大寺および西大寺の造瓦司にみられる技法であり、「西」刻印瓦(41)とともに重要な位置を占めると報告書に記載される。また、整地土Ⅱに含まれた56は、西大寺系の6236D型式の蓮華文軒丸瓦であり、同57は均整唐草文軒平瓦である。


西大寺八角塔跡 西大寺八角塔跡02 西大寺東塔(方形五重塔)基壇跡の下に八角七重塔掘込地業の標示あり


 ここまで記せば、誰しも思い浮かぶのは西大寺八角七重塔ではないか。孝謙上皇が重祚して称徳天皇となり、天平神護元年(765)に西大寺が創建された。行基の没年は天平21年(749)であり、菅原遺跡南区に最初に持ち込まれた軒瓦は平城宮瓦編年のIII -2期(749~757年)にあたる6711B型式の軒平瓦と考えられるが、西大寺創建時においても、円形建物SB140等が行基の供養堂としてなお造営中もしくは修復中(あるいは裳階を増設中?)であり、西大寺の力を借りたと考えられる。しかも、西大寺東西両塔は当初、八角七重塔として構想されていた。その後、規模を縮小、意匠を改め方形五重塔として建立されたが、後に焼失。1956年の発掘調査で塔跡周辺に八角の掘込地業が確認されている。西大寺の八角塔で使用予定であった瓦を菅原遺跡円形建物に転用しようとした可能性を当然想定しなければならない。報告書の瓦出土状況を読んで思った。小型瓦は円形建物以外の周辺施設(塀・門・回廊等)と関係する匂いを発しているのに対して、円形建物には西大寺の瓦とのつながりを感じる。若干の時間差があるとはいえ、頓挫した八角塔と行基供養堂の関係を無視するわけにはいかないだろう。
 なお、老婆心ながら、さらに一言。掘立柱建物SB150の柱穴gを「棟持柱にあたる」としているが、奈良時代の一般建築の場合、「棟持柱」を使うことはまずない。梁下でとまる「妻柱」と考えるべきである。以下に報告書の圧縮引用文を掲載する。太字・下線は評者による。
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 以下は、すべて報告書第3章の抜粋転載である。

掘立柱建物SB150 遺構:pp.19-22 遺物:p.31
 調査区北側で検出した桁行5間、梁行2間の東西棟掘立柱建物で、西側ではSC160、東側ではSA170に接続する。規模は桁行 14.99m、梁行5.81mを測る。柱間は桁行方向では若干のばらつきはあるものの、およそ3m を前後するものが多い。平均すると3.03mであり、10尺で設計されていた状況が看取される。染行方向は、平均では2.90mとなり、桁行の柱間に比してやや短めである。柱穴は東西方向にやや長い傾向がみられるものの、ほぼ正方形を呈し、一辺 1.1m前後のものが多い。深さも最深のものは78cmを測り、平均すると約58cmである。柱痕跡は平均して直径約43cmである。西側棟持柱にあたる柱穴gでは根固め石を検出している(図版 22下)。遺物の出土は南東側の柱穴で頭著で、柱穴a~d・mから土器片、瓦片が出土している。多くは細片であるが、柱穴cからは土師器杯B、柱穴mからは軒平瓦 (6711B) が出土している。
 瓦塼類5(図 27、以下すべて)は均整唐草文軒平瓦である。顎は曲線顎Ⅰであり、特徴的な瓦当文様から 6711B型式と判断できる。同型式の軒平瓦はSD034 (36・37)、整地土(58)からも出土している。6 • 7は丸瓦である。6は玉縁が残る。外面は縄タタキ後、ナデ消し調整を施す。内面は表面劣化のため、調整不明である。玉縁は厚さ 0.8cm前後で非常に薄く、丸瓦の復元幅は約12cmを測る小型瓦である7は外面は縄タタキ後、ナデ消し調整を施す。内面は布目浪が残る。厚さは約 1.4cm と薄く、復元幅約11cmの小型瓦である。8〜10は平瓦である。8は内外面ともに表面が劣化しており、調整は不明瞭であるが、凹面にはかすかに布目痕が残る。厚さが 1.6cm前後で小型瓦の可能性がある。9は凸面は縄タタキ、凹面は表面劣化のため調整不明である。厚さは1.4cm であり、小型瓦であると考えられる。10は凸面は細かい縄タタキ調整、凹面は布目が残る。端面はケズリ調整で側面は凸面側の面取り調整を行う。厚さは1.2~1.4cm前後で小型瓦と考えられる。

回廊SC160 遺構:pp.22-25 遺物:pp.31-35
 調査区北西で検出した掘立柱の回廊である。構造は単廊で、北辺では5間分を検出し、西辺では8間分を検出している。西辺は調査区南端で大きく攪乱、削平されているほか、調査区外へとのびているため全容は不明である。北辺はSB150 との接合部分から西端までで約13.5mを測る。柱間にはややばらつきがあり、北辺の北側柱列の柱間は、最長が2.80m、最短が2.47m で平均すると2.63m、標準偏差は0.1263 である。南側柱列の柱間は最長2.90m、最短は2.26mで平均2.76m、標準偏差0.2499 でばらつきが大きい。とくに西辺との接続部である柱穴k-1間、柱穴 q-r間は柱間が短い。延長が13.5mで5間であることからすると、計算上の1間は2.7mとなり、9尺を基本に設計されていた可能性もある。西辺は調査範囲内で北端からの検出長22.24mを測る。西辺の西側柱列の柱間は、最長が3,15m、最短が2.34mを測り、平均すると2.78m、標準偏差は0.2283 である。また、東側柱列の柱間は、最長が3.00m、最短が2.40mで平均すると2.74m で標準偏差は0.2718である。北辺同様に設計上は柱間9尺を基本として設計されていた可能性が高い。また、回廊幅の柱間寸法に関しては、比較的近似しており、最長は2.98m、最短は2.70m を測る。平均は2.83mで標準偏差は0.0923で、ばらつきは少ない。
 柱穴はほぼ正方形を呈するものが多く、攪乱により原形を留めない柱穴a・bを除く平均は東西96.1cm、南北101.1cm を測る。なお、北東側の柱穴掘方は柱穴j~l、柱穴q~sなどでは回廊の軸線に対して、斜めに触れている状況が看取される。振れ幅は北側で東に7.6~17.4°であり、平均は12.9°である。深さは柱穴a・bを除くと、最深のものが91cm、平均すると56cmを測る。柱穴c・dの底面からは板状の石材がまとまって出土しており、柱痕跡と対応している状況が看取される。このような造作は一部の柱穴に限られ、地山は比較的堅固であることなどを勘案すると、柱の不陸調整のために柱下面に埋置されたものの可能性もある(図 17)。柱痕跡の直径はSB150よりも若干細い傾向がみられ、平均して37cmである。柱穴e・i・p・uでは柱の抜き取り穴が検出されているが、方向は一定しない。
 SC160 を構成する柱穴からは、柱穴a・b・k・l・n〜pを除いて遺物が出土している。多くは土器、瓦の細片であるが、柱穴c・xからは凝灰岩片が出土しいるほか、柱穴 wからは小型丸瓦が出土している。また、特筆すべきは柱穴h・gの掘方埋土中から円形の鉄製品が出土している点である。隣り合う柱穴に意図的に埋納された可能性が高いものと判断している。鉄製円盤は柱掘方南東隅底部付近から出土している(図版 29下)。


 瓦塼類12~17(図28~30、以下同じ)は丸瓦である。12は幅9.7cmの小型瓦である。他例に比して焼成が堅緻であり、小型瓦であるにも関わらず、1.8cm前後の厚みをもつなど、特徴的な瓦である。当面は丁寧なナデ調整、四面には粗い布目が残る。端面はケズリ調整を施す。玉縁は凸面側をヘラケズリによる面取り調整とし、台形状に成形されている。1981年調査で出土した小型丸瓦Ⅲ類と共通する(菅原道跡調査会 1982)。13は全体に表面が劣化しており、調整は不明である。厚さは1.0~1.2cmで小型瓦である可能性が高い14はSC160sとSC160tから出士した破片が接合する。外面は表面劣化のために調整は不明である。内面には粗い布目痕が残る。厚さは約1.1cmで非常に薄い。幅は11~12cm前後に復元できる小型瓦である。15は外面は表面劣化のため調整は不明である。内面は粗い布目痕が残る。内面端部は面取りを行う。厚さは 1.4cm前後と薄く、幅が10cm前後に復元される小型瓦である。16は全体に表面劣化のため調整は不明である。17は全体に表面が劣化のため調整は不明である。
 18~22は平瓦である。18は広端面隅の破片である。内外面ともに表面劣化が著しいが、凸面には全面に幅3~4mmの条痕が残る。この条痕部分では砂粒の動きが見られず、押圧によるものと考えられるが成因は不明である。厚さは約 1.5cmで、小型瓦である可能性がある。19は外面は縄タタキ調整、内面は表面劣化のため調整不明である。20は凸面は縄タタキ調整、画面には布目痕が残る。21は凸面は縄タタキ調整、凹面は表面劣化により調整は不明である。割口が直角であり、全体をほぼ半裁した位置にあたることから割熨斗瓦であった可能性が残る。22は凸面は縄タタキ、凹面は表面劣化のため、調整は不明である。一方の割口が直角かつまっすぐに割れており、割熨斗瓦であった可能性がある。石製品 (25) は凝灰岩切石の破片である。一面のみ平滑に仕上げられた平坦面を残している。

掘立柱列SC180 遺構:p.26 遺物:p.35
 調査区南端で検出した柱穴列で、北側約2mの位置で平行する SD034を検出している。東半は削平や攪乱により、東西に並ぶ1列1間分の柱穴列を検出したに留まり、厳密には遺構の性格の特定は難しい。ただし、当遺跡で検出された囲繞施設をみた場合、西面は単廊となっており、そのつながりを考えた場合、南面においても、西半部は回廊であったと考えるのが穏当であると判断し、SC180とした。また、東側の柱穴aに関しては、北辺における建物(SB150)の建物西面と南北対称の位置関係にあり、南面においても、北面と同様の建物が存在していた場合、この柱穴は建物北西隅柱に該当することとなる。《略》
 遺物は柱穴aから土師器と瓦の細片が出土しているのみである。瓦塼類26(図32) は平瓦である。凸面は縄タタキ調整、凹面は布目痕が残る。

掘立柱塀SA170 遺構:pp.26-29 遺物:pp.35-38
 調査区北東で検出した掘立柱塀である。SB150の棟持柱から東にのびる柱穴列を検出し、その延長で南に向かって直列する柱穴列を検出しており、これらを一連のものと考え、合わせて SA170としている。当初、西側と同様に回廊が巡ることを想定していたが、SB150南面の延長線上の平面精査に加えて、サブトレンチによる下層確認でも柱穴は確認できず、結果、東側は掘立柱塀であったと判断している。北辺の柱穴は3基を検出している。攪乱や柱の抜き取り穴の影響で、やや不整形である。柱間は柱穴g-h間が2.21m、柱穴 h-i間が2.36m と狭く、柱穴i-SB150m、柱間が3.19m とやや広い。東辺の柱穴も調査区端にあたり、かつ攪乱や削平が及んでいることもあり、不明確な部分が多い。柱間は柱穴 a-b間が6.21mで、2間分の長さを有している。位置的には中央建物SB140の中心に対応する場所にあたり、当箇所に東門が存在した可能性が高い。その北側の柱間は2.15mから2.73m とパラつきがあり、平均すると 2.47mとなる。
 個々の柱穴に関してはその一部が調査範囲外であったり、撹乱によって削平されていたりするものが多いが、おおむね一辺 90cm前後の不整な正方形を呈するものが多い。深さは41.3cmから88.0cmでばらつきがあり、平均は57.1cmである。柱痕跡の直径は平均すると28.3cmで、SB150やSC160に比してやや細めである。SA170を構成する柱穴からは、柱穴cを除いて遺物が出土している。多くは土器や瓦の細片であるが、柱穴hからは鉄釘と考えられる鉄製品が出土している。
 瓦塼類28・29は丸瓦である(図 33・34、以下すべて)28は凸面はナデ調整を施すが、部分的に縄タタキが残る。凹面は布目痕と糸切痕が残る。29は凸面はナデ調整を施すが、縄タタキ痕が部分的に残る。凹面は布目痕が残る。場面はケズリ調整である。30〜33は平瓦である。30は凸面は細かい縄タタキ痕が残り、凹面に糸切痕と布目痕が残る。側面はケズり調整で側端面は凸面側を面取りする。厚さは1.5cm前後で小型瓦であると考えられる。須恵質で堅緻な焼成であり、側端面の面取りの特徴はSB150aから出土した10と共通する。31は凸面、凹面ともに布目痕が残る。側端部が分厚く、凸面には指頭圧痕による凸凹が顕著である。凸面押圧技法によって製作されたもので、瓦当は残らないが、軒平瓦であった可能性が高い。凸面押圧技法は東大寺および西大寺の造瓦司にみられる技法であり、「西」刻印瓦(41)とともに重要な位置を占めるものである。32は凸面は縄タタキ調整で側端部近くに指頭圧痕が残る。凹面は布目痕が残り、幅0.5~1.0cm前後の短冊状の圧痕がみられる。33は凸面は縄タタキ調整で、部分的に指頭圧痕が残る。凹面は布目痕が残る。側面はいずれもヘラケズリ調整である。

溝SD002・SD034・SD050 遺構:pp.29-30 遺物:pp.38-42
 SD002は調査区東側で検出した東西溝である。検出地点周辺は後世に大きく削平されており、当該溝も一部が残るのみである。長さは1.53m、幅 0.18~0.28m、深さ0.06mを測る。この溝は東門を構成する可能性もある柱穴SA170aの真西に位置し、中央建物SB140に向かってのびるものである。土器や瓦は出土していないが、チャートなどの礫がまとまって出土している。礫はやや角がとれた亜角礫で大きさは1.0〜3.3cmで 2cm前後のものが145点を数える。この溝を南側溝とする玉砂利敷の参道の存在が示唆されるものである。
 SD034(図24)は調査区南側で検出した東西溝である。SC180と平行し、両者の間隔は芯々距離で1.96~2.05mである。西端は調査区外となる。北側は緩やかに落ち込み、南側では0.59mの幅で一段深く掘り込まれている。検出長は4.59m、最大幅1.14m、深さは0.23mである。埋土中からは瓦片が出土しており、軒平瓦 6711B型式2点のほか、「西」の刻印を持つ平瓦が出土している。このほか、SD002と同様に埋土中からはチャートなどの亜角礫が423点出土している。礫の大きさはSD002のものよりも大きく、1.2~9.0cmと幅があり、3.0~3.5cmのものが多い。軒の出を考えると、SC180の雨落ち溝とはしがたく、排水溝であった可能が高い。
 瓦塼類は軒平瓦・丸瓦・平瓦が9点(図35~38)、細片も含めた破片数で約280点の瓦片が出土している。当該遺構出土瓦の特徴は、6711B形式の軒瓦が複数出土している点、「西」刻印の平瓦を含む点である。また、当該遺構では確実な小型瓦は確認できない。平瓦はいずれも一枚作りで、出土した瓦全般に焼成不良で土師質あるいは瓦質の瓦が目立っている。《略》当該溝はSC180に関係する排水溝と考えており、その関連において出土瓦の組成は重要な位置を占めている。35・36均整唐草文軒平瓦である。顎は曲線顎Ⅰで6711B型式である。いずれも瓦当部分を含め、全体に表面が劣化しており、36の凹面に布目痕が残る以外、調整は不明である。35の外区珠文の右上隅には范傷がある。37は丸瓦である。全体に表面劣化のため調整は不明である。凹面には布目痕がかすかに残る。復元幅は約 14cmである。38~43は平瓦である。38は凸面は縄タタキ調整、凹面には布目痕が残る。端面はケズリ調整し、側端面は凹面側を幅広く面取りする。39は凸面は縄タタキ調整を施す。矩形の当たり痕が残り、刻印の可能性を考慮して観察を行ったが、文字等は確認できない。40は平瓦である。凸面は縄タタキ調整である。凹面は表面劣化のため、調整は不明である。41平瓦で凹面側に「西」刻印が押捺されている。刻印の上端幅は2.5cmを測る。三画目の上部が四画目と五画目の間で途切れていることや、一画目の始筆が尖り気味である点を特徴とする。奈良市の西大寺26次調査出土の平瓦に同范がある(未報告)。また、同范ではないが、書体は「西(a)」(西大寺 1990)に類似する。全体に表面が劣化しているものの、凸面には縄タタキ痕が残り、凹面には布目が残る。42は平瓦である。焼成不良で表面劣化が著しく、調整は不明である。43は平瓦である。全体に表面劣化のため、調整は不明である。凹面側は部分的に黒斑状に色調が異なっている。
 SD050は調査区の東側で検出した南北溝である。SD002 と同様に上面は大きく削平を受けており、元来の形を留めていない可能性が高い。現状ではゆるやかに湾曲するものの、SA170と平行しており、両者の間隔は芯々間距離で0.76m~0.97mである。検出長は4.15m、幅は最大で0.72m、深さは0.05mである。出土遺物は瓦の細片が約20点出土しているが、原形を留めているものはない。SA170の柱穴 a-b 間に想定される東門の雨落ち溝の可能性が高いものと判断している。

整地土 遺構:p30 遺物:pp.42-46 
 遺構ではないが、南区および周辺の確認調査で検出した盛土による地業の痕跡について触れておく。南区の調査では、調査地の北東側で整地土を確認している。現況地形を俯瞰してもわかるように、方形に囲繞された区画のうち、北東隅が斜面に張り出す形となっている。この地形は東側の池や北東側谷部の耕作地造成時に改変されてはいるが、この地形に沿う形で整地土による地業の痕跡を確認している(整地土I)。現況地形をみる限りでは、もう少し西側に全体をずらすことによって、大きな造成を行わずとも方形区画を配置できるが、わざわざ北東部分を整地土による地業を行い、平坦面を確保して東寄りに造営を行っている。また、造成工事が進む中で実施した最終確認調査では、方形囲繞区画の北側でも遺物を包含する土層を確認している(整地土II)。整地土IIは断面観察と部分的に掘削調査を実施したのみであり、整地土Iとの関係は不明であり、整地土としてはいるが、人為的なものではない可能性もある。
 瓦塼類(56~63)として軒丸瓦・軒平瓦・丸瓦・平瓦が出土している。56は整地土II出土の蓮華文軒丸瓦である。瓦当の一部が剥離したような状況で破損している。連弁に比して中房が窪んでいる。西大寺系の6236D型式である。57整地土I出土の均整唐草文軒並平瓦である。顎は曲線顎であり、瓦当文様は一部が残るのみであるが、6711B型式である。いずれも瓦当部分を含め、全体に表面が劣化しているが、内面に布目痕が残る。側面は凹面、凸面側ともに面取りがなされる。58~60は整地土II出土の丸瓦である。58は外面は劣化により調整は不明である。内面には布目痕が残る。厚さ1cm 前後で薄く、幅は10cm前後に復元できる小型瓦である。59は内面には布目痕が残り、外面は劣化しているもののナデ調整と考えられる。幅約13cmを測る。60は全体に劣化が著しく、調整は不明である。幅は約 15.5cmを測る。61~63は平瓦である。いずれも須恵質で焼成は堅緻である。凸面は縄タタキ、凹面には布目痕が残る。凹面には横方向に糸切り痕が明瞭に残る。63には中位に布を平縫いした痕跡が残る。61は幅14cm前後、62は幅12cm前後、63は幅13cm前後で割れており、短冊状に半裁された状況は北区SK100出土の平瓦にみられる割れと共通する。破断面に細かな打ち欠き等は見られないものの、割熨斗瓦であった可能性がある。《続》


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《関係サイト》
大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討《2023年度卒論中間報告》
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2675.html
行基と菅原遺跡に係る意見交換@松山(8月)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2686.html
寧楽徘徊(Ⅱ)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2704.html

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魯班13世

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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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