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菅原遺跡報告書批評のための習作(11)

第4章第1節1.「周辺遺構の様相」「建物の配置」 pp.62-65


批評-南と東のアプローチは併存しうる

 これら遺構・遺物の説明と解釈の後、第4章第1節1.は「周辺遺構の様相」「建物の配置」と続くが、第3章第2節(連載8)との重複も多く、冗長で分かり難い記述に終始する。これだ冗長に説明するなら、平面配置の復元図を示してもらいたいものだが、5尺メッシュで区切った遺構図を2枚掲載するにとどまる(図57・58)。それでも、完全無視というわけにはいかないので、原文を抜粋引用しつつコメントしておく。

 ①単廊SC160は桁行柱間寸法が2.40~3.15 mとばらつき、梁行は2.70~2.98 mで平均2.83 m。梁行規模は施工誤差の範囲だが、桁行柱間のばらつきの明確な意図は読み込めない。そこまでの精度を求める建物ではなかったと考え、桁行・梁行とも9尺を基本としたと解釈した。【コメント①】「そこまでの精度を求める建物ではなかった」という割には、桁行柱間2.40~3.15 mの寸法差は大きすぎる。なんらかの意図が働いていたはずである。地形との対応、古材の転用などか。
 ②東面の南北塀SA170は柱間寸法2.21~3.19m、平均2.47m。柱穴の深さも41.3~88.0cm、平均57.1cmとばらつく。【コメント②】SC160の柱間と同じく柱間の長短が大きすぎる。以下、同上。
 ③南面回廊SC180と東西溝SD034は、検出した遺構から、直接、性格を明らかにすることは難しい。SC180の柱穴柱痕跡からSD034の溝心までは3.9m(13尺)を測る。(以下略、冗長で分かり難い文章が続く)【コメント③】SD034を南側建物の雨落溝とみるのは無理。排水溝だとしても、280点という瓦片出土状況からみて、施設廃絶時には瓦溜りのような土坑と化していたと判断すべきであろう。排水溝周辺の複数の建物に用いられた瓦が投棄された可能性がある。
 ④区画全体は125尺四方に復元され、円形建物SB140は東西方向の中軸線上にあり、南北中軸線より8尺北寄りにあった。この場合の造営尺は0.300m前後に復元できる。【コメント④】無難な解釈と思われる。それにしても、このような施設配置計画を建築復元の担当者に委ねるのは如何なものであろうか。発掘調査担当者(考古学)が配置計画全体を分析し、その復元図を描くべきであった。
 ⑤平城京の条坊との関係から、東を正面と考えられないこともない(87 • 88頁)が、区画外の道路などとの関係は、必ずしも区両内の建物の正面性とは関係しない。他の重要施設(東大寺・興福寺・法隆寺東院等)をみても、明らかに南面を原則としており、菅原遺跡もそう考えるべきである。東面を塀SA170としたのは、中心建物から平城京を見えやすくする、また平城京から中心建物を見えやすくする効果を期待でき、伽藍の構築の原理とは異なる。【コメント⑤】発掘調査の見解とは違った見方をしている。伽藍全体の正面が南であるのはよいとして、東に東大寺を遥拝できる立地を考慮するならば、調査者が推測するとおり、東側の塀に棟門を想定するアイデアはわるくないと思う。執筆者自身、東大寺・興福寺北円堂・法隆寺東院には南と西(あるいは東)の二方向のアプローチが存在することを記している。菅原遺跡の区画においても、南以外に東のアプローチがあって不思議ではなかろう。東側の塀の成立背景を眺望景観だけに求めるのは見方が単一的過ぎる。少なくとも、<1>傾斜面を造成した整地土の範囲を大規模に確保するのは難しく、回廊ではなく、塀とした。<2>東に東大寺を遠望できる塀の一部を荘厳し、棟門を設置した。<3>東からのサブのアプローチも可能にしたなどの理由を想定すべき。この点については、建築復元担当者より発掘調査担当者の見解に賛同したい。
 さて、それにしても、これだけ施設配置の検討をしながら、回廊等で囲まれる多角形の施設を夢殿・北円堂の空間構成と近似するという指摘が全くないことに違和感を覚える。すでに何度も述べたように、回廊を伴う八角円堂ではなく、回廊のない多宝塔に復元が向かう理由は作為的であり、配置計画を一切考慮していないことが分かる。



第4章第1節2.上部構造の復元 「内周円形土坑列上の構造」 p.65

 ここからSB140の「上部構造の復元」考察となるが、最初は歪んだ遺構解釈の繰り返しである。何度説明しても駄目なものは駄目なのだが、本人は分かってないだろうから、こちらも何度でも書いて、根拠のなさを強調するほかない。
 すでに本連載2「大壁の偽造」で評した部分を再度取り上げるしかない。「壁下の地覆を受ける地覆石」の凝灰岩切石2重構造の上側にある地覆の上に「径数cm程度の垂直材を立てならべて壁体を造り、その上に台輪を乗せる構造」を想定している。第2章で述べた批評をそのまま引用する。

   おそらく奈良時代の大陸式大壁を意識しているのであろうが、その場合、壁の地下には
   深い地業溝を掘り、夥しい数の杭を打ち込んで小舞とし、壁の構造を堅牢なものとして
   いる。筆者が実際にみた例としては、滋賀県野洲町(旧中主町)の光相寺遺跡の建物跡が
   まさにそのような特徴を有していた。それほど多くの杭を地下に埋め込まなければ大壁
   は安定しないと思われる。凝灰岩上に縦小舞を並べたぐらいでは大壁と雖も壁はまもなく
   崩れるであろう。

 基壇端に大壁をめぐらして構造体としたいなら、それにふさわしい地業(溝状遺構と杭列)が必要だが、SB140にはそのような遺構はまったくなく、凝灰岩切石の上に壁が存在したとすれば構造壁ではなく、荷重から解放された薄い仕切り壁をつくるのが精いっぱいであろう。構造壁にならないのだから、これ以後の復元は図面では表現できても、実際の建築としては成立しえないのは明らかである。
 以下、原文。下線は筆者。このあたりから、「考える」「考えた」という述語が連続する。少し語彙力を高めたほうがいい。
--

 内周円形土坑列上の構造 以上の遺構の様相から、SB140の上部構造について検討する。内周円形上坑列は、先述のように壁受け地覆を支持する石材と考えるので、この上には壁を受ける地覆が円形に乗る。この材を土台としてその上に柱を立てる方法も考えられるが、そうすると土台を置かずに礎石建ちで柱を立てる方法のほうが合理的になってしまうことから、この地覆材の上には、壁構造、すなわち壁体が上部の重量を受ける構造と考える。具体的には、地覆上に径数cm程度の垂直材を立てならべて壁体を造り、その上に台輪を乗せる構造と考えた。台輪を含む壁体の高さは2.4m (8尺)と考えた。南を正面とするが、四方に扉口を設ける。


《連載情報》 菅原遺跡報告書批評のための習作
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《関係サイト》
大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討《2023年度卒論中間報告》
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2675.html
行基と菅原遺跡に係る意見交換@松山(8月)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2686.html
寧楽徘徊(Ⅱ)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2704.html

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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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