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菅原遺跡報告書批評のための習作(12)

第4章第1節2.上部構造の復元 「内周円形土坑列内部の構造」 pp.65-69

批評-舎利塔と多宝塔の混同

 悲しくなるような文章である。すでに何度も述べたように、円形建物SB140に葺かれた瓦は小型瓦ではない。1981年調査区で大量に出土した小型瓦は方形基壇建物(おそらく木造層塔)の所用瓦であり、小型の隅切瓦・鬼瓦もすべて方形基壇建物に使われたと考えられる。2020年度調査区で出土した小型瓦は方形囲繞施設と係りが深く、SB140には6711B型式の軒平瓦など標準サイズの瓦が採用されたと考えられる。西大寺系の瓦も割熨斗瓦もSB140に係る可能性が高い。方形隅切瓦を根拠にして、SB140を宝形(方形)屋根に復元することはできないのである。多角形基壇の建物には多角形の屋根がふさわしい。
 それにしても残念なことに、執筆者は供養堂と多宝塔の機能差ばかりか、舎利塔と多宝塔の違いも理解していない。舎利塔は仏舎利を心礎の下に埋納する一種の墓であり、その墓石の上に心柱を立ち上げて相輪をのせるものである。古代インドでは、サンチ―のストゥーパに代表されるように、本来の舎利塔は古墳の形状に近く、相輪は衣笠であった。それが高層化するのは、中国に伝来し木造楼閣と複合した南北朝あたりからであろう。舎利を地下に埋納しつつ、心柱と相輪で天を指向するようになる。両墓制のようなものである。埋め墓が心礎下の舎利容器であり、天上他界の極楽浄土を祈願し礼賛する詣り墓が木造楼閣(層塔)だと理解することもできるからだ。舎利塔は釈迦の優位性を示すものである。しかし、大乗仏教はブッダ主義(Buddhism)を掲げながら、釈迦という超越者(ブッダ)の優越性を貶め、宇宙に存在する多様な超越者(如来=ブッダ)を宗派ごとに崇拝するようになる。こんな具合に教義を変えていくので、保守的な上座部の側が「大乗仏教非仏説」を唱えることになる。その釈迦と同等か、釈迦を凌ぐ尊格を祀る代表的施設が宝塔・多宝塔であり、大日如来や多宝如来を内部中央に安置する。釈迦の象徴たる心礎・心柱も舎利容器も必要なく、設置できない。かくも初歩的な知識を改めて説法したくはないけれども、執筆者が舎利塔と多宝塔を混同して、心柱を使わない理由をぐだぐだ述べているので、あえて講釈させていただいた。


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批評-12本柱はどこから来たのか

 いろいろ言いたいことはある。まず「基壇」。円形土坑列の基壇地覆説を否定して、「大壁の地覆を受ける地覆石」などという訳の分からぬ説明していながら、結局、この円形建物は高さ2尺の基壇があって、円形土坑列は基壇外装になっている点である。2段重ねの凝灰岩切り石は基壇土のいちばん外側を囲う化粧石材ではないか。以下の部分はもっとひどい。「本末転倒の作為」の極みである。

   木造の構造体の平面は、内周土坑列が円形であることから、円形の構造と考え12本
   の柱を立ち上げる。この構造体が支持する屋根は、隅切瓦および鬼瓦の存在から、
   平面は四角で隅棟をもつ形式と考える。このように想定する場合、多宝塔の上層部分
   の構造と類似することになるので、径18尺の円形をなす平面に12基の礎石を置き、
   その上に径1尺の柱を立て、組物を置く構造体を考えた。

 円形に立ち上げる12本の柱とはいったい何なのか。後続する説明は、小型の隅切瓦と鬼瓦に頼って屋根を強引に方形とみなすことによって、多宝塔の上層部分に構造が似てくるので、「径18尺の円形をなす平面に12基の礎石を置いた」とある。明らかに逆でしょう。根拠薄弱のまま多角形基壇上に方形屋根を架けたのは、SB140を宝塔・多宝塔風に復原しようという意図が最初からあったとしか思えない。以下、本文。下線は評者。
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 内周円形土坑列内部の構造 先述のように、この円形土坑列の内部には何ら痕跡を残さないが、小型瓦を用いた木造の構造体が存在したと考える。1981年の奈良大学の発掘調査で検出した菅原遺跡の建物も、掘込地業の存在から基壇建物の存在が知れたが、基壇の内部からは礎石やその痕跡を確認することができなかった。SB140は掘込地業を確認してはいないが、円形土坑列の内部には、礎石を用いた建物があったと考える。そして、内周円形土坑列の上に乗る石材は、前述のように、旧地表面から20cmほど掘り込んで据えられ、石材は60~70cmの成があって、内部は旧地表面から40~50cm床面を上げて礎石が据えられたと考えられた。すなわち礎石の成は、最大でも50cmと考えなければならない。ここでは旧地表面から内部の高さは60cm (2尺)と考えた。木造の構造体の平面は、内周土坑列が円形であることから、円形の構造と考え12本の柱を立ち上げる。この構造体が支持する屋根は、隅切瓦および鬼瓦の存在から、平面は四角で隅棟をもつ形式と考える。このように想定する場合、多宝塔の上層部分の構造と類似することになるので、径18尺の円形をなす平面に12基の礎石を懺き、その上に径1尺の柱を立て、組物を置く構造体を考えた。
 具体的には慈光寺開山塔(埼玉県ときがわ町、1556年)の構造(図6l)を参考に、井桁に通肘木を渡して円形平面をなす8本の柱で受け、このほかの4本の柱で隅行方向および四角屋根の両脇間にあたる通肘木を受ける構造と考えた。そうした組物配置や丸桁を支持する間隔などから、上部構造を支持する円形平面の径を先述した18尺と考え、平の組物を三手先、隅組物は六手先(巻斗の挺出数)とした。柱長は円形平面の径と同じ18尺とした。ところで、多宝塔であれば相輪を受けるため心柱を立てる必要がある。奈良時代の三重塔や五重塔といった多重塔に類似するとすれば、心柱は地面から立ち上がる形式が想定できる。先述のように、礎石の成は50cmが最大と考えなければならないなかで、礎石より大きな心礎は、それよりも深くなると考えられるが、そうした痕跡は全く認められなかった。このため、心礎のない形式と考えた。現存する多宝塔でも、相輪を支持する心柱が地上まで達しないため、心礎はないのが通例である。さらに、後述する平安時代に遡る宝塔の発掘遺構である堂庭廃寺の宝塔跡でも心礎は確認できていない。堂庭廃寺の宝塔が相輪をもつかどうか不明である。以上のような様相から、九輪を備えた多重塔の相輪ではなく、簡略で短い相輪を上層から立てることとした。宝形造の屋根の納まりから露盤と伏鉢は必要となり、それより上部は金剛寺多宝塔(大阪府河内長野市、平安後期)を参考にした。



批評-復元モデルは桃山時代の宝塔

 前期講義「住まいと建築の歴史」(2年次以上)の第8回講義「平安仏教と山林寺院 -密教は何をもたらしたか」で毎年、宝塔・多宝塔について論じており、先日(12月3日)放送大学面談授業の第6回でも「平安密教と山林寺院-宝塔・多宝塔と三仏寺投入堂」と題する講義をしてきたばかりである。宝塔・多宝塔はマンダラとともに空海招来の密教文物の双璧とされるが、古代サンスクリット語のマンダラとは「円」を意味する。マンダラも宝塔・多宝塔も円と正方形の幾何学的図形をデザインの基本としており、それらが精神の安寧と係り深いことはユングも注目しているところだ。ちなみに、空海は日本で最初にサンスクリットを修学した留学僧と言われる。
 もちろん、建造物としての宝塔の遺例は慈光寺開山塔(埼玉・1556)、真福寺宝塔(愛知・18世紀)、本門寺宝塔(東京・1828)の3例しかないことや、多宝塔の最古例が石山寺多宝塔(滋賀・1194)で、焼失を繰り返した高野山根本大塔に最も近い多宝塔が根来寺大塔(和歌山・1496)であることなどを講義で説明している。菅原遺跡の報告書で、それらの代表的宝塔・多宝塔群に再会するとは思いもよらなかった。しかも、トップバッターは慈光寺開山塔。近畿の古例、石山寺多宝塔や根来寺大塔ではなく、桃山時代関東の宝塔が菅原遺跡SB140のモデルということだ。慈光寺開山塔の平面図をみて、SB140基壇内側の柱列を12本に設定したのは容易に想像される。基壇内の柱位置は不明なのだから、柱等をどのように配列するかは研究者の任意ではあるけれども、常識的には同時代の類例、この場合なら栄山寺八角堂(760-764頃)、法隆寺夢殿(737-739頃)などの供養堂を参照するのだが、執筆者が採用したのは桃山時代の宝塔であった。開いた口が塞がらない。


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 ここからの説明・批評が意味をなすとは思えないのだが、成り行き上仕方ないのでまとめておくと、①井桁に通肘木を渡して円形平面をなす8本の柱で受け、②このほかの4本柱で隅行方向および四角屋根の両脇間にあたる通肘木を受ける構造とする。③上部構造を支持する円形平面の径を先述した18尺と考え、平の組物を三手先、隅組物は六手先とした。こうした構造が奈良時代に存在したと本当に思っているのだろうか。悪多汚過不味斯羅。


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 下の文章では、基壇内部の12本柱と大壁の関係を説明しているが、そもそも構造体となる大壁が存在しえないので、議論しても詮無いことである。支輪状の天井で伏鉢を表現するなど初めて聞いたが、なんの根拠もないのに、そこまでして「多宝塔の土慢頭状の造形」に拘る発想こそ作為以外のなにものでもない。以下、原文転載。下線は評者。
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 (円形内部構造による伏鉢の空想pp65-69)円形土坑列からは壁体が立ち上がり、その内側に12本の柱をめぐらせた構造体が建つが、その間が約2m (6.5尺)ほど空く。この空間に支輪状に天井をかける。具体的には、内部柱に長押状に垂木掛を打ち付けて上端部を支持し、円形土坑列上部の台輪の上に桁を回してその間に支輪状の天井を張るこれらを上から塗り込めてしまえば、多宝塔の土慢頭状の造形になる。後述するように、裳階の垂木上端をこの支輪状の天井に添わせるため、その接続部を土で押さえる機能をもつものだったかもしれない


《連載情報》 菅原遺跡報告書批評のための習作
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《関係サイト》
大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討《2023年度卒論中間報告》
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2675.html
行基と菅原遺跡に係る意見交換@松山(8月)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2686.html
寧楽徘徊(Ⅱ)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2704.html

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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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