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菅原遺跡報告書批評のための習作(13)

第4章第1節2.「外周掘立柱列」 p.69

 憂鬱だが、中途半端に終わるわけにはいかないので、書評習作を再開しよう。


批評-外周掘立柱列は本体と時期差のある土庇であり、扇垂木もありえない

 外周掘立柱列については、「板葺きにして葺板の長さを均一にすれば、多宝塔の裳階のような造形になる」としているが、現実には、裳階は十六角形を呈する。檜皮葺き十六角形の土庇であって、多宝塔下層のような方形裳階には決してならない。そもそも、円形にめぐる掘立柱列を純然たる「裳階」として評価するのは如何なものか。これは土庇である。いま平城京内の事例を思い出せないので、絵巻物を参照すると、『年中行事絵巻』巻1に描かれる平安宮内裏建礼門の背面に掘立柱と思われる檜皮葺きの土庇が描かれている。また、満田さおりの論文「平安宮内裏の土庇と雨儀」(日本建築学会計画系論文集 第77巻 第677号:pp.1739-1748,2012)は多数の土庇のある建物を引用している。これらの例をみると、土庇は階段を覆う向拝というよりも、基壇端全体を保護している。つまり、SB140の場合、円堂の四方にあった扉口前の石階の向拝をつないで環状にしたもののように思われる。あるいは、石階は多角形全周をめぐっていて、十六角形土庇はその向拝だったのかもしれない。向拝という点では、養老2年(718)、光明皇后の母、橘夫人の発願によって行基が建立したと伝える法隆寺西円堂(1250再建)が参考になる。法隆寺西円堂の正面には錣葺き風に向拝がつく。鎌倉時代初期の再建だけに、礎石建瓦葺きとするが、本体と向拝の接続関係がよく分かる。
 SB140の場合、本体基壇建物部分と十六角形掘立柱列には方位軸にずれがあるので、若干の時期差を想定できる。我々は、まず八角円堂が建立され、その後やや遅れて土庇を付加したと考えている。多宝塔説の場合、基壇上の主屋と貧相な掘立柱が同時に構想されていたことになるが、それならば両者の構造形式にもう少し一体性があってもよいのではないか。本体と土庇であまりにも落差が大きすぎる。ともかく、土庇(裳階)十六角形は確定なので、方形大屋根との形態差は明らかである。この点が、元文研復元案を醜くしている最大の要因と言える。見られた造形ではない。
 もう一つ、図60(p.67)の復元見上げ図をみると、この「裳階」部分が扇垂木になっている点が気にかかる。7世紀の四天王寺や山田寺ならいざしらず、8世紀中期以降の奈良時代建築に扇垂木を使ってよいのか。我々の八角円堂案では、十六角形の土庇はあくまで平行垂木と配付垂木による檜皮葺き屋根としている。元文研案が、かような規則違反というべき扇垂木になったのは、基壇端に構築した大壁構造壁のせいである。何度も述べたように、地業・杭・柱なしで大壁は存在しえないので、当然、扇垂木もありえない。小型の隅切瓦を遠隔地で用いたとする無根拠の理由で、上層は無理矢理、宝塔風の方形屋根にしたものの、下層が方形にならないことは明々白々である。下層との整合性を考えると、上層は素直に八角形とみるべきである。八本の隅棟があったとすれば、熨斗瓦として使う平瓦・割熨斗瓦が多い出土状況も説明しやすい。以上、下層(掘立柱裳階)の形態からも多宝塔説は破綻していることがよく分かる。以下、原文。下線評者。
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 外周掘立柱列 すでに述べたように、円形土坑列の外側で検出した柱列は、掘立柱の構造である。主屋の構造が掘立柱ではないながらも、外周柱を掘立柱としている。掘立柱の特性は、柱が自立すること、あるいは簡易に設置できることであり、柱が自立すれば水平方向の支持材(水平材)の役割は小さくなる。SB140の円形土坑列は壁構造と考えたので、この上にさらに重い瓦葺の構造体を重ねることは難しい。また、外周柱の頂部高さに主屋とをつなぐ水平材を入れることも難しかったのであろう。このため、主屋に礎石建ちを用いる技術をもちながらも、掘立柱を用いなければならなかったと考えられる。この場合、隣り合う外周柱頂部どうしを水平材(桁)でつないで、その上に屋根の骨組み(垂木)を掛け渡したと推定される。
 この外周掘立柱で支持した屋根は、内周円形土坑列の壁体と、その内部の上層屋根の軸部では、覆いきれなかった部分を覆って、雨水から守る機能を有していたと考えられる。であれば、その平面形状は略円形(十六角形)でなくてもよかったのではないか。この点を屋根材とからめて検討する。まず、径17cmと細い柱であるのは、重い屋根材ではないことを意味しており、瓦葺は考えにくい。屋根平面は十六角形をなし、屋根面は扇状に広がるので、板をかけ渡す流し板葺とすると、一面の屋根の中央部は長い材が必要となり、また両端部は現場あわせで材の長さを調整する必要がある。板葺であれば、板の長さをおよそ一定にできる四角平面とするのが簡易である。このとき、四隅にあたる柱穴に隅木がかかり、支持する重量も隅にあたらない平の部分よりも重くなる。このため太い柱4本と細い柱8本程度が必要になる。この形態がまさに多宝塔の下層になることが理解できる。しかし、遺構は平面略円形(十六角形)になっているのであるから、この平面で簡易に屋根を造るとすれば、檜皮葺が適当と考えられる。761年の「法隆寺縁起井資財帳」(いわゆる法隆寺東院資財帳)にみえる檜皮葺の「屋」は、昭和の解体修理に伴う発掘調査によって、掘立柱の構造であることが判明しており(國立博物館1948)、掘立柱と檜皮葺は整合的である。
 その構造は以下の通りである。先述した内部土坑列上の壁体と上層軸部との間に設けた支輪状の天井の上に、裳階の垂木の上端を添わせて置き、外周柱筋の桁に垂木を掛け渡し、直交方向に木舞を渡して檜皮を葺く。


第4章第1節 3.復元の建築史的意義 pp.71-


批評-「平安期宝塔の原型」でありえても空海以前に遡る証拠なし

 ようやく種明かしが始まる。現存する建造物のうち、金剛三昧院多宝塔(和歌山、1223)や根来寺多宝塔(和歌山、1547)は円形平面と下層屋根上の亀腹が構造的に無関係で、外観で裳階にみえる部分も構造的には裳階ではなく、よい参考例ではない。一方、国内で建造物として残る宝塔3例のうち最古の慈光寺開山塔(埼玉、1556)は、下層の円形軸部とは別に上層の柱12本を立てる点、「宝塔の初現的な構造」を彷彿とさせる、という。「彷彿とさせる」という表現はおかしい。すでにあるモノが存在していて、それに似た風貌をしているとき「彷彿とさせる」と言うのであって、「宝塔の初現的な構造」が不可視の状態では彷彿となるわけはない。個人的な思い入れである。
 次に発掘調査でみつかった遺構を2つだけ紹介する。しかし、そのうちの神感寺跡(鎌倉時代)は円形の柱列を部分的に確認しているものの、十分な情報開示がなされていないので、資料として使うには信頼性が劣る。具体的に参照可能なのは、仙台市の堂庭廃寺(10世紀前半)のみである。堂庭廃寺については、坂田泉の先行復元研究があるけれども、執筆者は坂田案を否定し、慈光寺開山塔の構造を参照して、「径18尺の12基の円形礎石列で塔身の軸部を支持し、その4尺外側の同心円状もしくは十二角形の石列を円形軸部の地覆石」と「瓦積基壇の外側に屋根からの雨水を落とす」と解釈する。無難な理解ではあるけれども、慈光寺開山塔をモデルにして堂庭廃寺の平面を解釈しているのだから、両者の平面が近似するのは当然のことである。その結果として、「地盤から12本の柱を立てて上層の上部構造を支持し、その外側に円形平面の下層軸部の構造を別に造る方法は、現存する他の宝塔や多宝塔には見られない「(宝塔の)初現的な形態」と評価する。何をもって「初現」というのか。堂庭廃寺は10世紀前半の遺構であり、空海帰国から1世紀以上後の作であり、密教伝来以降における「平安期宝塔の原型(の一つ)」とでも表現すれば、まだ納得できないわけではないけれども、それが空海以前にさかのぼりうるという推測の根拠となる証拠はどこにもない。
 話は宝塔から「多宝塔の初現形式」に進む。宝塔の外側に、方形の下層屋根をかけた形式が多宝塔であり、すると平面は、二重の円形柱列の外側に、方形の裳階の柱列がめぐることになるが、『高野春秋編年輯録』所収の金剛峯寺大塔の平面がほぼこの形式となる。慈光寺開山塔や堂庭廃寺宝塔跡などから想定できる宝塔に、裳階をめぐらせた形態と評価できる。これこそが、「多宝塔の初現的形態」と評価できるだろう、と述べる。金剛峯寺大塔の平面をみると、「中央4本柱(ご仏壇=宝形屋根)+入側柱列12本(中陣:うち4本は宝形軒支持)+側柱列12本(外陣=円形外壁)+正方形裳階」となる。入側は基壇上独立円形12本柱列で宝形屋根を支えるのに対して、側柱位置にある12本柱列は上層とは独立しており、外壁を取り付けているが、荷重を受けているのはあくまで12本の柱であって壁ではない。この壁はいわゆるカーテンウォールである。SB140元文研復元案のような大壁構造体では決してない。次に裳階は正方形の柱列である。正方形の裳階だからこそ多宝塔になるであって、十六角形の裳階をもつ多宝塔などどこにも存在しない。以下、原文。下線評者。
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 現存する多宝塔の構造   慈光寺開山塔がもつ12本の柱を地面から立ち上げて宝塔の主屋および屋根を支持する構造は、現存する多宝塔には見られない構法である。現存する多宝塔の構造については、濱島正士による研究に詳しく、方形の下層は、面取り角柱を用いるなど裳階の扱いをするものの、その上に上層をのせるため、裳階の構造にはなっていないことが指摘されている(濱島正士1975)。図62は、現存する多宝塔では最古級の金剛三昧院多宝塔(和歌山県高野町、1223年)の断面図で、ここから濱島が指摘する、下層が裳階の構造になっていないことが理解できるが、さらに、外観で下層屋根の上に見える亀腹も、意匠の一部であって、構造的な役割をもたないことがわかる。現存する多宝塔としては、唯一、円形の平面を残して大塔形式といわれる根来寺多宝塔(和歌山県岩出市、1547年)も、円形平面と下層屋根上の亀腹は、構造的には全く関係がないことが、図63から理解できる。一方、発掘遺構では、円形の礎石列をもつ建物跡が発見されており、慈光寺開山塔の柱配置を彷彿とさせるものがある。それらを確認しながら、菅原遺跡のSB140の復元案について、その建築史的意義を考えてみたい。
 現存する木造宝塔  下層屋根のない宝塔の造形は、鎌倉時代以降の美術工芸品には比較的多数の例があるが、建造物に相当する規模の大きな木造の事例は、慈光寺開山塔に加えて、真福寺宝塔(愛知県岡崎市、18世紀?)、本門寺宝塔(東京都大田区、1828年)が知られている(濱島正士1999)。本門寺宝塔は、12本の柱を立てた円形の軸部上に梁を渡すなどして、上層の12本の柱を受ける構造で、近世的な手法と考えられる(図64)。真福寺宝塔は未指定のため詳細が不明。これに比べると、慈光寺開山塔は、下層の円形の軸部とは別に上層の柱12本を立てる点で、木造の宝塔の具体的な構造を知る上で重要である。規模が小さなためかもしれないが、現存する多宝塔に比べて単純な構造であり、宝塔の初現的な構造を彷彿とさせる。
 堂庭廃寺宝塔跡  ところで、宝塔あるいは多宝塔の遺跡と考えられる、円形平面の礎石列を備えた発掘事例が2例ある。一つは堂庭廃寺(宮城県仙台市泉区、10世紀前半)、もう一つは神感寺跡(大阪府東大阪市、鎌倉時代力)である。堂庭廃寺では、礎石間約1.50 mで12基の礎石あるいは礎石下の根石をめぐらせ、その約1.40m外側に同心円状に人頭大の川原石をならべさらにその外側に瓦積基壇を備えた遺構が発見されている(図65 泉町教育委員会1968)。泉町教育委員会1968では、この川原石列を基壇とし、瓦積基壇の外側には砂粒が堆禎することから、雨落ちと推定している。また、礎石や根石の内側には、黄粘土を敷き詰めた土間が造られていることから、板床を張らない土間と考えられ、瓦積基壇以外の瓦が出土しないことから、この建物は槍皮葺か杮葺と考えられるという。
 坂田泉は、この遺構から、礎石列からなる円形の軸部を直径18尺とし、その上に塔身軸部を径7.5尺、軒の出を4尺の宝塔に復元できると考えた(図66 坂田泉1969)。この推定だと、塔身が円形の軸部上に乗る本門寺宝塔のような構造を考えなければならない。また軒先の一辺15.5尺(4.0+7.5+4.0)は径18尺の円形軸部より小さくなるので、円形の軸部を雨から防ぐ裳階状の屋根を別途考えなければならない。さらに礎石の外側の同心円状(図66では十二角形)をなす石列の機能が明確でなく、その外側の方形の瓦積基壇も、軒先からの雨落ちではなく、雨水排水溝と理解しなければならなくなるなど、現代的視点から見ると遺構との齟齬が多い。
 ここは、むしろ慈光寺開山塔の構造を参照して、径18尺の12基の円形礎石列で塔身の軸部を支持し、その4尺外側の同心円状もしくは十二角形の石列を円形軸部の地覆石と解釈する方が自然と思う。その場合、平の部分の基壇の出が8尺となり、軒の出も9尺程度となれば、瓦積基壇の外側に屋根からの雨水を落とすことができる。                               
 神感寺跡   もう一つの事例である神感寺跡は、一辺23尺(7m)、高さ70cmの乱石積基壇上に、方3間の礎石列を確認し、その内部に環状をなす7つの礎石を検出したといい、多宝塔の遺構と想定されている。遺構の年代は鎌倉時代のようだが、残念ながら概要報告(註8参照)では礎石列の規模など詳細が不明である。ただし、現存する多宝塔は、いずれも鎌倉時代以降のものながら、環状をなす柱配置をもつものはなく、周囲から古代の瓦が出土していることから、古代の形式を踏襲している可能性も否定できない。
 宝塔の初現形式  この2例の円形礎石列上に立つ柱が何を支持していたかは明確でない。また、円形平面をもつ多宝塔は、先述した根来寺大塔を除けば存在しないなかで、これらの遺構を宝塔あるいは多宝塔に比定する根拠も明確に記されてはいない
 しかし、類似する柱配置をもつのが多宝塔の上層であること、そして何よりも円形の平面をもつ歴史的建造物は、日本の建築史上、宝塔や多宝塔以外にないためであろう。こうした点で、慈光寺開山塔のもつ、地盤から12本の柱を立てて上層の上部構造を支持し、その外側に円形平面の下層軸部の構造を別に造る方法は、宝塔の上部構造としてきわめて単純であり、現存する他の宝塔や多宝塔には見られない初現的な形態と評価できると思う。すなわち、現状の慈光寺開山塔は16世紀の建物ではあるが、 2つの発掘事例を勘案すれば、宝塔の初現的な形態を踏襲している可能性を指摘できると思う。
 多宝塔の初現形式  そうした宝塔の外側に、方形の下層屋根をかけた形式が多宝塔と考えられている。すると、平面は、二重の円形柱列の外側に、方形の裳階の柱列がめぐることになるが、『高野春秋編年輯録』に載せる金剛峯寺大塔の平面(図67)がほぼこの形式となる。濱島正士は、外側の円形平面が亀腹(下層の軸部)と同径で、内側の円形平面が上層の軸部と同径であることを指摘しており(濱島正士1999)、上層軸部を礎石上に立ち上げる宝塔の構造に、裳階をめぐらせた形式となるのであり、慈光寺開山塔や堂庭廃寺宝塔跡などから想定できる宝塔に、裳階をめぐらせた形態と評価できる。これこそが、多宝塔の初現的形態と評価できるだろう。

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《関係サイト》
大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討《2023年度卒論中間報告》
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2675.html
行基と菅原遺跡に係る意見交換@松山(8月)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2686.html
寧楽徘徊(Ⅱ)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2704.html
法隆寺西円堂・夢殿と喜光寺
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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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