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菅原遺跡報告書批評のための習作(14)

第4章第1節 3.復元の建築史的意義(続)「SB140の復元案の評価」pp.73-74


批評-堂庭廃寺とSB140に類似点はほぼない

 信じられないことに、自らなしたSB140復元案を慈光寺開山塔や堂庭廃寺宝塔と比較して、「円形の軸部と、12本の柱を地盤上から立ち上げて、上層の構造を支持する方法は、宝塔の初現的な構造と言える」と自画自賛している。桃山時代の慈光寺開山塔を参照し、平安時代前期の堂庭廃寺宝塔跡を解釈して両者が類似していると説き、その両者を参考にして復元したのが菅原遺跡SB140なのだから、これら3者が相関し類似するのは当たり前のことである。
 ここで比較検討すべきは、堂庭廃寺宝塔跡と菅原遺跡SB140の出土遺構である。両者を比較すると、共通性はほとんどないことが分かる。堂庭廃寺宝塔跡の特徴を執筆者の解釈によって再度整理すると、①径18尺の12基の円形礎石列で塔身の軸部を支持し、②その4尺外側の同心円状もしくは十二角形の石列が円形軸部の地覆石であり、③瓦積基壇の外側に方形屋根からの雨水を落とす川原石の溝がある、という3点に絞られる。一方、菅原遺跡SB140では、①の12本柱の基礎は未発見、②円形軸部の地覆石部分には円形土坑列が並ぶが、それは大壁の基礎になりえず、③方形屋根からの雨落溝がない代わりに16本の掘立柱列が円形にめぐるが、多宝塔に特有な正方形裳階の形状を呈していない。つまり、SB140の本体が建つ基壇の形が略円形もしくは多角形を呈している事実以外に、堂庭廃寺宝塔跡とSB140に類似点は確認できないのである。しかも、構造壁となる大壁は成立せず、方形屋根の根拠もない。裳階とは言い難い十六角形の土庇を本体まわりにめぐらす点はとくに異質である。こういう状況にあって、SB140を「多宝塔の初現的な構造」と位置づけることはできない。むしろ多宝塔とは別系統の建物と考えるべき証拠が揃っていると言えよう。 以下、原文。下線評者。
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 SB140の復元案の評価  そのうえで、菅原遺跡のS8140の復元案について考えてみたい。SB140は、慈光寺開山塔や堂庭廃寺宝塔よりも規模が大きいために、鎌倉時代以降の工芸品の宝塔に見られるようなプロポーションではないが、円形の軸部と、12本の柱を地盤上から立ち上げて、上層の構造を支持する方法は、宝塔の初現的な構造と言える。さらにその周囲には、平面略円形(十六角形)をなす掘立柱列をめぐらせる。それを掘立柱で造らなければならなかった理由は、柱を自立させて屋根を支持しなければならなかったためであるが、内部の構造体(主屋)と水平方向でつなぐことが難しかったためでもあると推測する。掘立柱列の内部にあるのは、円形軸部の壁体であり、これと水平材で連結できなかったことがその理由として考えられる。また、上層屋根の張り出しでは下層の円形軸部を覆いきれず、円形平面の外周掘立柱列を設ける必要が生じたと推定した。
 下層軸部が円形である点、また略円形平面の裳階をもつ点が特異だが、これらは発掘遺構で検出されたものであり、小型瓦を用いた上層は多宝塔とほぼ同様の構造を想定した。板床を張らずに土間と推定したが、発掘遺構では板床を張った床束の痕跡も確認できていない。堂庭廃寺が土間であることを勘案して土間と考えた。以上のSB140の構造は、多宝塔の初現的な形態と評価できると思う。上層に小型瓦を用いるため、上層の12本の柱からなる平面は、小さくなるように考えなければならなかった。また、そうしないと上層の対面する組物どうしをつなぐ通肘木を一木で造れなくなるといった材料上の制限もある。


  多宝塔の起源は、平安時代初期の空海や最澄によるというのが、教科書的な理解と思う。奈良時代にも「多宝仏塔」(銅板法華説相図)、「多宝之塔」(行基瓶記)といった文言は現れるが、それが、現在、多宝塔と呼んでいる形式の塔になるのかは立証できていない(濱島正士1975)。空海や最澄が導入した多宝塔の形式は、その後、国内に流布して確立されるという点では、その起源と言えるのかもしれないが、そもそも、そうした多宝塔の形式が大陸にあったとすれば、それ以前に日本にもたらされていたと考えることは不可能でない。たとえば敦煙莫高窟の第217窟(盛唐)や361窟(中唐)に、宝塔あるいは多宝塔に似た形式の塔が描かれており(減島正士1999および岩永省三2007、図75)、また、玉虫厨子の宮殿部背後には、相輪を備えた宝塔形式の土鰻頭の中に仏が座す建物が描かれている。空海や最澄以前に、少なくとも絵画では、そうした建物の情報は日本にもたらされていたことがわかる(西岡秀輔1998)。また、大陸にはそうした建築が存在した可能性もあろう。それが空海や最澄よりも早く日本にもたらされたとすれば、SB140を多宝塔の形式に考えることは、無稽な話ではないと考えたい。
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批評ー玉虫厨子「宝塔図」の解釈

 舎利塔と宝塔の区別もできていない人物が、「多宝塔は空海がもたらしたという説は教科書的だ」と上から目線で語っている。それに続く文章にも相当問題があるので触れておかなければならないだろう。すでに卒論中間報告(武内)で詳述したとおり、長谷寺銅板法華説相図にみえる多寶佛塔は、六角三重塔の初重に釈迦・多宝二仏併座を描いており、平安期以後の宝塔とはまったく異なる。建築形式としてみれば六角もしくは八角の円堂系建物が高層化し、陸屋根の上に相輪を複数立てたものである。一方、『行基瓶記』にみえる「多宝之塔」とは『法華経』見宝塔品から引用であり、宝物で溢れた大きく美しい塔を表す。それを図化したのが銅板法華説相図の多寶佛塔であることは誰でも知っている。その一方で、空海型の宝塔・多宝塔が敦煌莫高窟に描かれているというが、すでに述べたように、
  1) 東トルキスタン東端の敦煌に壁画として建物が描かれていること
  2) 遣隋使・遣唐使等がその種の建物を中国でみたこと
  3) 日本にその種の建物が存在したこと
は別次元に捉えなければならない。1)を強調しても3)の証明にならないということである。それに、敦煌壁画の宝塔は屋根が方形ではなく、陸屋根系でむしろ宝篋印塔に近く、多宝塔風の方は多角形の二階建ではあるけれども、後にいう「多宝塔」とは限らない。ともかく、敦煌壁画に描かれているから、それが7~8世紀の日本に存在したとみなすのは大変危険である。


玉虫厨子背面宝塔図


 玉虫厨子背面の「宝塔図」の場合、3本の相輪の下に3体の仏像を描くから仏塔のようにみえるけれども、不思議なことに屋根を描いていない。これを宝塔ではなく、仏龕とみなす意見もある(上原和「玉虫厨子制作年代考(七) 」)。わたしも3本の相輪に注目している。3本の相輪は銅板法華説相図の多寶佛塔(六角三重塔)と共通しているからだ。法隆寺多聞天像の掌にのる小塔(宝塔)が台形状塔身の陸屋根に5本の相輪を立ち上げている様を参考にすると、多寶佛塔の六角陸屋根にも5本の相輪が立っていたと考えられ、それらはブッダガヤのマハーボディ大塔の省略表現の可能性がある。とすれば、玉虫厨子「宝塔図」の3本の相輪もじつは5本あって、正面側から捉えた壁面仏龕の展開図にもみえる。法隆寺多聞天像の台形小塔が大きくなって四面の壁の仏龕に仏像を置いた状態という理解である。あるいは、金剛宝座上に立つ5基のストゥーパ(仏塔)の壁面に仏像が描かれていたとみることもできるかもしれない。このように考えると、「宝塔図」の相輪の下に屋根がないことにも説明がつくであろう。

批評-大野寺土塔最上層こそが宝塔・多宝塔の原型

 これらの絵画資料以上に重要なのが、連載5で取り上げた堺市大野寺の土塔であろう。大野寺は行基49院の一つであり、土塔は727年に行基が自ら造営した十三重塔とされ、最上層に円形の粘土ブロックを残す。現地では、十二重までは瓦直葺きの屋根と壁で遺構上に復元表示がなされているが、最上層は模型によって八角円堂を復元している。これに対して評者は、円形粘土ブロック上に短い壁を立ち上げ、その上の屋根の軒先に3列ばかり円形の瓦を葺いて短い瓦葺きの裳階をつくり、その内側は土饅頭形の盛り上げた伏鉢を露天にさらし、心柱上に相輪を立ち上げる姿を復元のイメージとしている。心柱があるので舎利塔に分類されるであろうが、伏鉢か裳階下の壁に仏龕を設けて仏像を安置すれば、敦煌壁画の「宝塔」や玉虫厨子「宝塔図」の姿と近くなるであろう。
 ところで評者の復元案の場合、円形裳階を構成する瓦を台形につくる必要がある。これについては、台形の上底と下底にさほど寸法差がないなら隙間に丸瓦を被せることができるというアイデアを示したところ、瓦の専門家から「平瓦を削らずに扇形に並べることができれば一番簡単」であり、「土塔・頭塔の場合、雨漏りの心配は全くしなくて良いので、少々隙間が大きくなっても葺土を多めにして丸瓦をのせれば収まりそうな気がします」との激励を頂戴し、喜んでいるところである。この復元案は未だ図化していないが、楊鴻勛による東大寺頭塔復元3案のうちの「方案1」に近く、塔の基礎となる瓦葺き基壇(最上層5層目)ではなく、評者の土塔案では、最上層の基壇に近い部分に短い裳階を設けたものである。一方、楊の方案2は豪壮華麗だが、中世的すぎる。方形屋根をかけるため4本柱が必要になるが、土塔・頭塔にそのような痕跡はない。いま述べた土塔最上層の円形構造物の復元イメージは、敦煌壁画の「宝塔」や玉虫厨子「宝塔図」と近いものであり、こういう小塔こそ「宝塔の初現形式」であり、仮にそれが短い裳階をもつならば「多宝塔の初現形式」と評価できるであろう。元文研のSB140復元案とは全く異なる。
 行基の大野寺土塔や、行基の没後、良弁・実忠によって造営された東大寺頭塔は、チベット周辺から東南アジアに多い立体マンダラの日本版である。インドを震源地として、密教の世界観を表すマンダラが、一方は中国を経由して日本へ、一方は上座部に先行して東南アジアへ波及したことの証拠である。その造形は最上層中心のストゥーパ(舎利塔)を中心にして、複数のテラスの仏龕に如来・菩薩・護法尊などを規則的に配列したものである。この最上層の塔の造形こそが後の宝塔・多宝塔の系譜につながるものと考える。また、頭塔で顕著なように、伽藍から離れた位置に独立して造営され、回廊など囲繞施設を伴わない配置にも特徴がある。一方、法隆寺夢殿や興福寺北円堂に代表される八角円堂(供養堂)は伽藍内部の囲繞区画の中軸線北寄りに設置される。こうした差異をみるならば、同じ行基に係る遺跡とはいえ、大野寺土塔(とくに最上層)こそが後の宝塔・多宝塔の原型であり、菅原遺跡円形建物SB140は同時代の八角円堂(供養堂)のバリエーションとして位置づけられる。菅原遺跡SB140を「多宝塔の初現形式」とするのは無稽の思考と言わざるをえない。


《連載情報》 菅原遺跡報告書批評のための習作
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2684.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2706.html
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(16)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2751.html
(17)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2752.html

《関係サイト》
大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討《2023年度卒論中間報告》
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2675.html
行基と菅原遺跡に係る意見交換@松山(8月)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2686.html
寧楽徘徊(Ⅱ)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2704.html

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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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