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菅原遺跡報告書批評のための習作(16)

第5章 調査のまとめ-要点の整理と課題(続)
 3.創建年代と維持管理について pp.88-89
 4.中央建物の構造について pp.89-90


 メリー・クリスマス! 菅原ブルーの夜に、サンタさん来るかな?


批評-堀方/抜取からの出土を明確に区別して解釈せよ!

 菅原遺跡2020年度調査区でみつかった複数の遺物を取り上げ、創建年代を749~760年に位置づける解釈は妥当であろう。ただし、遺物の出土位置に着目すると、北側建物SB150柱穴m抜取痕と南側排水路SDO34から出土した6711B型式軒平瓦(5·35·36)は施設の廃絶と関わる遺物である。円形建物SB140に用いられていた軒瓦が伽藍廃絶時に投棄されたものと考えられる。一方、SB150柱穴c掘方から出土している土師器杯B(1:730~760年)こそが施設設置に伴う遺物と言える。同じ柱穴と言っても、抜取で出土した遺物は廃絶、堀方で出土した遺物は設置を反映しているからである。この土師器こそが伽藍造営の鍵を握っているが、廃絶時に投棄された6711B型式軒平瓦は西側の整地土Ⅰでも出土しているので、区画内施設群の当初から用いられていたとみてよい。ただし、何度も述べてきたように、造営工程から考えて、行基没後まもない749年以降10年以内に編年される6711B型式軒平瓦はSB140の大屋根に使用されていたとみなすべきである。

批評-SB140多宝塔案に根拠がない理由一覧

 またまたまたSB140多宝塔説の根拠と起源説が繰り返し語られる。何度でも反論してさしあげます。今回は箇条書にコメント形式とする。

 ①内周土坑列の性格については、その配置が円形を呈すること、その性格として転用石を埋設したものである: 【コメント】「転用石を埋設」という説明は初見。あとで「切石など廃材利用」という表現も出てくる。「転用石」「廃材」の根拠不明。事実ではなく、推定あるいは解釈であることを明記すべし。
 ②(土坑列のうち)一つは147゜の角度を持つ切石の痕跡が確認でき、これは正八角形の内角(135゜)とは異なること、またその配置は内周土坑列の配置と整合性を持たないことなどから、これらの石材は八角形や円形の石造基壇地覆石にはなり得ない(18頁): 【コメント】前にもに述べたように、土坑列の抜取穴の角度が147゜であって、切石の角度そのものではない。「石材」は一点も出土していない。執筆者たちは「略円形」の「壁地覆の地覆石」説を採っているが、結果として基壇は存在し、凝灰岩の地覆石は基壇外装になっている。また、基壇形状は八角形でなくとも十六角形もありうる。十二角形にはなりうるのか?
 ③内周土坑列はその配置から八角円堂の8本柱の礎石痕跡にも、多宝塔にみられる12本柱の礎石にもなり得ない: 【コメント】八角円堂の場合、八角に並ぶ柱列は基壇端から数尺内側に並ぶので、基壇端に柱を立てる必要はない。むしろ立ててはいけない。多宝塔案の場合、基壇端に12本の柱を円状に並べる必要がある。それができないと自白しているのだから、ここに構造壁を構築するのは不可能である。一般的にこの位置で壁をつくる場合、カーテンウォールとするが、その場合は必ず12本の柱が必要になる。大壁にする場合でも、柱は必要であり、柱がないというのなら、深い溝状遺構に杭を並べて大壁の小舞が多数必要だが、そのような痕跡も一切ない。したがって、多宝塔説の基壇端大壁復元は成立しない。
 ④外周柱列は《略》周辺から小型瓦が出土しているが、回廊は通常の瓦を利用した甍棟構造であることが判明しているため、小型瓦は中央建物に使用したものと考えざるを得ない: 【コメント】回廊が通常の瓦を利用した甍棟構造であるとしているのは執筆者の大胆な「解釈」であって、事実として受け入れることはできない。中央建物に小型瓦を使用したという論理も成り立たない。6711B型式軒平瓦を回廊に使ったとすれば、行基没後最初に回廊等囲繞施設が完成し、その後に内側のSB140の造営に移行したことになる。作業上ありえない工程であり、当然、SB140を真っ先に完成させ、その後、囲繞施設の建設に移行したであろうから、6711B型式軒平瓦など普通サイズの瓦を用いたのはSB140であり、むしろ小型瓦は囲繞施設のどこかで少数使ったと考えるべきである。
 ⑤内周土坑列をかなりの重量を支えるための基礎構築物を抜き取った痕跡と判断した: 【コメント】内周土坑列が大重量を受ける基礎の痕跡のようにはみえない。また、遺構は基礎構築物の「抜取り」痕跡ではなく、「据付け」と「抜取り」の痕跡が重複したものである。凝灰岩粉が底面でわずかにみつかっているので、凝灰岩の切石が収まっていたのはたしかだろうが、大壁の基礎となる杭列も柱礎石列も皆無である。凝灰岩は柔らかい化粧石材なので、基礎そのものにはならない。基壇端に大壁(構造壁)をつくることはできない。


 ⑥本遺跡及び1981年調査で出土した小型瓦は、本遺跡の中央建物に使用していたものと考えられるが、これらは上層に葺かれていたものと考えられる。1981年調査では約45゜の角度を持つ隅切瓦が出土しており、上層屋根は正方形が想定される: 【コメント】円形建物の近隣で小型瓦は1点もみつかっていない。小型瓦はむしろ囲繞施設の範囲で出土しており、回廊等の一部分で使用された可能性が高い。数十メートルも離れた1981年調査区でみつかった小型瓦・隅切瓦・鬼瓦は同年に検出された方形基壇建物の所用瓦であり、SB140とは何の関係もない。何度も説くことになるけれども、行基没年に近い6711B型式軒平瓦は工程から考えてSB140の当初葺材であり、後に西大寺系の瓦で差し替えや補足したと思われる。以下、本文。下線評者。
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3.創建年代と維持管理について
(1)創建年代
 本遺跡検出建物の創建時期については、造成時に敷設された整地層から6711B 型式軒平瓦(57)(平城宮瓦編年Ⅲ-2期(749~757年))が出土しており、また北側建物SB150柱穴c掘方から出土している土師器杯B(1)は平城宮土器編Ⅲ期(730~760年)に位置づけられ、その形態は天平勝宝2年(750)木筒を伴う平城宮SK2102との類似性が見られる。6711B型式軒平瓦は北側建物SB150柱穴m抜取痕、南側排水路SDO34からも出土しており(5·35·36)、本遺跡の主要瓦がこの型式であったと考えられる。以上の点から、本施設の創建年代は749~760年に位置づけることができる。
(2)補修・廃絶年代
 SD034出土平瓦の中には、「西」の刻印をもつものがある(4])。この刻印は西大寺出土資料に同笵資料が確認でき、西大寺創建(天平宝字4年(760))以降に瓦の差し替えが行われていたことが判明した。また、追加調査で調査区北側に確認した遺物包含層(整地土Ⅱ)からは、平城宮土器編年V期(770~784年)以降の土器(45 • 46)や、西大寺創建軒丸瓦(6236D型式)が出上しており(56)、当地での活動が8世紀後半まで継続していたことがわかる。ただし回廊や塀の柱穴に建て替えの痕跡は一切確認できず、中央建物SB140を含め、瓦の差し替え程度の修復にとどまっていたと考えられる。
 西大寺系瓦の問題も非常に重要である。これについても、すでに述べたように、頓挫した西大寺八角七重塔構想と考えると示唆的であり、中央建物SB140の補修瓦、追加瓦とみなすべきであろう。
(3)廃絶の状況
 本遺跡の最終廃絶時期については、周辺の表採士器・瓦(91~93 • 95)、奈良大学調査で出土した小型軒丸瓦(SB140に使用されていたと思われる)などの型式から、9世紀初頭に位置づけられる。廃絶に際しては全ての柱材を丁寧に抜き取り、柱を抜き取った柱穴を丁寧に埋め戻していることや、軒瓦を含め瓦類に完形のものが見られず、瓦の移動が行われたと推定されることから、移建を視野に置いた計画的な廃絶状況を想定できる。

4.中央建物の構造について
(1)内周土坑列と外周柱列の性格
 内周土坑列の性格については、その配置が円形を呈すること、その性格として転用石を埋設したものであること、うち一つは147゜の角度を持つ切石の痕跡が確認でき、これは正八角形の内角(135゜)とは異なること、またその配置は内周土坑列の配置と整合性を持たないことなどから、これらの石材は八角形や円形の石造基壇地覆石にはなり得ないことが指摘できる(18頁)。また、内周土坑列はその配置から八角円堂の8本柱の礎石痕跡にも、多宝塔にみられる12本柱の礎石にもなり得ない
 続いて外周柱列は等間隔で直径17cm前後の柱を据える。外周柱列は上饅頭形のストゥーパを取り囲む柵とすることも不可能ではないが、門となるべき部分がなく、また囲続施設内にさらに柵を回す理由が説明しにくい。周辺から小型瓦が出土しているが、回廊は通常の瓦を利用した甍棟構造であることが判明しているため、小型瓦は中央建物に使用したものと考えざるを得ない。ただし外周柱列を、屋根を支える掘立柱建物とした場合、16角形掘立柱構造となり、後に述べるように繋梁を持たない構造では瓦を利用できない。そうすると瓦を葺いていたのは上層ということになり、これに檜皮葺の裳階を持つ構造が想定できる。
(2)中央建物の構造案
 円形壁立構造  内周土坑列が長方形石材や不定形石材を不規則な間隔で並べる不自然な構造をもつこと、切石など廃材利用をうかがわせる石材利用状況であること、基壇とするには中途半端な直径をもつことから、内周土坑列をかなりの重量を支えるための基礎構築物を抜き取った痕跡と判断した。そしてその構造を円形の壁立構造と考えた。また、外周柱列が掘立柱であるのは、壁立構造では繋梁など水平材を支持させにくいため、裳階を掘立柱構造にして自立させたことが理由と考えられる。
 上層は方形屋根  本遺跡及び1981年調査で出土した小型瓦は、本遺跡の中央建物に使用していたものと考えられるが、これらは上層に葺かれていたものと考えられる。1981年調査では約45゜の角度を持つ隅切瓦が出土しており、上層屋根は正方形が想定される。小型瓦は通常瓦の2/3のサイズであり、上層屋根も通常の2/3で復元した。


《連載情報》 菅原遺跡報告書批評のための習作
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《関係サイト》
大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討《2023年度卒論中間報告》
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2675.html
行基と菅原遺跡に係る意見交換@松山(8月)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2686.html
寧楽徘徊(Ⅱ)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2704.html

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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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