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ノビタのなまず放浪記(2)-千葉県印旛沼

 研究室OBのノビタです。昨年11月19日、「ノビタのなまず放浪記(1)-埼玉県吉川」がアップされると同時に教授からメールがあり、「おまえさんは、こういう仕事が向いているね」というお褒めの言葉を頂戴しました。学生時代に文章で教授の血圧を上げたことのある私からすると、この一文はとても嬉しいものでした。それにしても、「ノビタのなまず放浪記(1)」というタイトルは、自分がつけたものより面白いとは思いましたが、違和感を拭えないところもありました。そうなんです、タイトルにナンバーが振ってあるではありませんか。次の作品への期待がナンバーとして表れているのです。こうした書かざるを得ない状況み追い込む手法を、昭和漫画の編集者が使っていたのをどこかで読んだことがあります。
 この件(次の作品)については、昨夏から言われていたものの、なかなか食レポ・ロケの時間をとることもできませんでした。なにぶん仕事は宙ぶらりんで、恋も玩具も失っておりました。しかし、アプリの威力凄まじく、新たなcatfishを釣りあげることに成功したので、クリスマス・イブには、印旛沼漁協が直営する「水産センター」を訪れ、関東で二度目の鯰を食することができたので報告させていただきます。

1.印旛沼について

 印旛沼については、田沼意次が干拓を進めたという日本史の教科書程度の知識しかないので、公益財団法人印旛沼環境基金のサイトに基づき簡潔に紹介させていただく。印旛沼とは、千葉県北西部の下総台地のほぼ中央に位置する湖沼である。以前はアルファベットの「W」のような形状で面積は約29k㎡であったが、昭和期の開発事業による埋め立てにより、現在は北印旛沼(6.26k㎡)と西印旛沼(5.29k㎡)に分かれている。印旛沼の開発は、享保期から始まり、およそ60年ごとに計3回おこなっており、天保14年(1843)には、鳥取藩池田家も水路の掘削工事に参加している。面積については、鳥取市の湖山池が6.9k㎡だと記せば、その大きさをイメージしやすいだろう。
 印旛沼で水揚げされる魚種は豊富で、昭和期の開発事業以前と以後で大きく異なるが、開発前は利根川から遡上してくるサケ、マルタウグイ、ボラや、在来種であるシラウオ、モツゴ、ギンブナ、ナマズの他にカワムツをはじめとする移入魚種といった多くの魚介類が生息していたという。開発後は、一部の在来種が姿を消し、代わりにオオクチバスやブルーギルといった外来種を加えた40種類が平成21~30年度に確認されている。
 印旛沼全体の漁獲対象の魚種はコイ、フナ、その他の魚種が大きな割合を占める。その多くは佃煮の材料として消費されたモツゴである。漁獲量は昭和43年(1968)で約800トン。以降800トンを上限とし漁獲量は増減するが、平成16年(2004)には81トンと急激に減少している。この原因は、霞ヶ浦で発生したコイヘルペスの蔓延に加えて、消費者の淡水魚の魚食離れが大きく影響しているとされ、加えて高齢化による漁業人口の減少や食料資源としての社会的価値の低下をはじめとする種々の課題、先に挙げたオオクチバスやブルーギルなどの特定外来生物、近年ではチャネル・キャットフィッシュ(アメリカナマズ)の侵入も原因の一つとなっている。

【写真1】水産センター外観 【写真1】印旛沼漁協 水産センター外観


2.実食 ナマズの天丼

 それでは本題の「ナマズの天丼」の話に入ろう。上の建物【写真1】が印旛沼漁業協同組合直営の水産センターである。昭和40年代頃の建物というイメージだ。JR成田駅から車で11分の距離にある。建物正面の壁には「うなぎ」の文字が目を引くが、個人的にはもちろん「うなぎ・なまず養殖事業」が気にかかる。印旛沼でもナマズを養殖しているのだろうか。心は踊る。2023年のクリスマス・イブにナマズが食べられる幸福を噛みしめる。
 店内に入る前にメニュー表が置いてあった【写真2】。やはりメインとなるのはウナギであり、特上ともなればそれなりの価格である。その中でナマズの天丼は、メニューの中のご飯の上におかずを盛った定食系の中では親子丼に次ぐ安さである。


【写真2】水産センターのメニュー表 【写真2】水産センターのメニュー表


 店内は、昔懐かしい大衆食堂といった趣きで、窓から甚兵衛広沼を望むことができた。カウンター上の「こい なまず うなぎ」と書かれた暖簾にはとても驚いた。この暖簾が作られたころは、この三種が代表魚だったと察せられる。意外にも客は多く、席の7割ほどが埋まっていた。一瞥すると、皆ウナギ料理を食べている。私が注文するのはもちろんナマズの天丼。ついでに珍しさからドジョウの唐揚げも注文した。心なしかオーダー時に店員が意外な顔をしたような気がする。
 10分もしないうちに、ドジョウの唐揚げが卓に届く【写真3】。思っていたより小さいドジョウだったが、初めてのドジョウ料理に心は踊り、ただちに箸を付ける。非常にサクサクした食感で、小エビよりもその感覚は上であり、スナック菓子のようだと形容した方がよいかもしれない。見るからに丸揚げだが、骨は気にならない。箸が進むにつれてビールが欲しいと思った。臭みもなく、淡白な味であるが、料理が少し冷めてくると苦み、いわゆる内蔵の味を仄かに感じたものの、味の変化を楽しめて面白い。一尾ごとパクリと口に運んでいき、またたくまに平らげてしまった。終始ビールが欲しい一皿だった。
 少しすると、ついにナマズの天丼が運ばれてきた。盆には丼と吸物、そして香の物とシンプルなものであった【写真4】。丼の蓋を開けてお目見えしたのが写真5である。ご飯の上にはナマズの天ぷらが五切れとシイタケ、ナス、ピーマンといった野菜の天ぷら三切れが載せられタレがかかっていた。


【写真4】ナマズの天丼のセット内容 【写真4】ナマズの天丼のセット 全景


 いざ、ナマズの天ぷらを口に運ぶ。唐揚げと同じくカラっと揚がった衣を噛み潰すと、その中からフワッとしたナマズの白身が露わになる。もちろん臭みはなくとても柔らかい。久しぶりの食感である。今回は揚げたてのようで衣は温かかった。季節が冬のためか吉川のそれよりも身は締まっているように感じたが、天ぷらのやや端を掴み持ち上げると、自重で折れてしまうほどの柔らかさである。タレは甘辛、ウナギ料理のタレと同じかは定かではないが、多すぎず少なすぎず丁度良い量であった。完食まで10数分、最後に香の物で締める。腹八分とは言うものの、もう少し量があった方が良かったとは思った。しかし満足度は非常に高い。


【写真5】ナマズの天丼 【写真5】ナマズの天丼近影02 【写真5】ナマズの天丼



【写真6】北印旛沼にて 【写真6】北印旛沼にて


3.ナマズと印旛沼

 前回同様、今回も少々考察を加えたい。今回疑問になった事柄は下記の通りである。
(1)今回食した印旛沼のナマズは天然か養殖か。
(2)印旛沼周辺では昔からナマズが食されていたのか。
(3)印旛沼以外の河川や湖沼でもナマズが食べられていたのか。
 まず、(1)についてであるが、店員に聞いた限りでは「分からない」とのことだった。自身の職場が提供している物が「分からない」のも不思議な話だけれども、千葉県のホームページで「養殖ナマズ」であることが確認できた。また、完全に見落としていたが、水産センターの正面左手は養殖場になっており、ここで養殖されたナマズの可能性が高い。ブロガーSORI氏の2014年の訪問記事をみると、ナマズ(日本なまず)を養殖し直売していることを窺わせる看板の写真がみられる。ナマズがどの程度の規模で養殖されていたかは不明である。国土地理院の航空写真を精査したところ、昭和40年(1965)9月30日撮影の写真でそれらしき施設を確認できた。遅くともこの頃には養殖場が建設されており、水産センターは昭和49年(1974)11月19日までの建設であること分かった。ただし、ナマズ養殖の開始期は空撮写真だけでは分からない。


00印旛沼


 養殖から話が少し逸れるが、興味深い論文を紹介したい。尾崎真澄・梶山誠「千葉県印旛沼におけるナマズ人工苗種の放流効果」である。これは、1992~2000年にかけて印旛沼で実施されたナマズの人工種苗の放流効果に係る研究成果で、今回のレポートと関連する内容を箇条書きする。
 ①千葉県は1991年からナマズの苗種生産に着手していた。
 ②印旛沼のナマズの漁獲実態は統計資料がないため明らかにできない。そのため推測値だが、印旛沼で漁獲されたナマズの流通業者への出荷量は年間で100~200尾程度ということである。1993~2003年に漁獲されたナマズは、北印旛沼の累計のうち95%、西印旛沼の累計のうち73%が4月から5月にかけて漁獲されており、漁獲時期は4~6月の産卵期と重なっている。漁獲されたナマズが少量であれば自家消費されることが多い。
 続いて(2)だが、寺嶋昌代・荻生田憲昭「世界のナマズ食文化とその歴史」によれば、ナマズが関東地方で見られるようになったのは江戸時代中頃ということである。安政2年(1855)の『利根川図志』には、印旛沼の頁に「土産(名産) 鯉 鮒 鰻 鯰(後略)」とあり、印旛沼でナマズが確実に四大魚食であったことが分かる。また、『印旛沼物語』では、大正生まれの古老の話として、ナマズを捕獲する様子が記されている。それによれば、産卵期には、ナマズが小川を遡っていくのが見られ、1匹のメスに3~4尾のオスが取り囲むのをザブリ網という漁具で獲っていたということである。
 最後に(3)であるが、『利根川図志』でナマズを名産としているのは、印旛沼の他にはその北西部に位置する手賀沼だった。こうした東日本におけるナマズ食については、教授が琵琶湖博のフォーラム「魚食文化と水辺環境」で講演「ナマズ食の文化史的再評価」、先日のプロ研「古民家カフェと郷土料理のフードスケープ」発表会でも講じられたので、ここに引用する。

  文献史学的にみると、 中世までフォッサマグナ以西にのみ生息した
  ナマズの東日本への流入は、はるかに新しく、18世紀以降と目される。
  安永五年(1776)の『本草正譌』には、「鮧魚(略)箱根ヨリ東ニ之無クト
  云フ。近年東都甚多シ。人恐レテ食セザル者多シ」とある。ナマズは
  箱根以東にいなかったが、近年江戸(東都)でもはなはだ多くなってきた。
  これを恐がって食べない人が多い、ということである。ナマズを「鮧」と
  いう漢字(「野蛮な魚」の意)と記す点も恐怖のイメージと結びつく。
  東北ではさらに遅れ、柳田國男の聞き書き(1924等)によれば、ナマズの
  流入は文化年間(1804-1818)以降に下るという。


00要石の浮世絵


 江戸時代初期、醜い怪魚として食用を回避された関東のナマズも、ウナギの代替もしくは余興として関東の人々に親しまれるようになった。その場合、ナマズの専門店というのではなく、ウナギ屋のメニューの一部としてナマズが提供され、地域の伝統になっていったと考えられる。埼玉県吉川のナマズ料理屋が「創業四百年」というのは、ウナギ屋として出発してから四百年が経つのであって、ナマズは比較的新しい時期に付け加えられたのメニューだと捉えるべきであろう。印旛沼のナマズも、当初は今のブラックバスのような外来種であったのが、次第に食用として馴染んでいった結果である。
 千葉県の場合、ナマズ料理を提供しているのは水産センターの他に、香取郡東庄町や利根川対岸の鹿島市にも数店あるが、どこでもナマズ料理はウナギ料理店で提供されているのは示唆的である。

4.おわりに 

 以上が、今回印旛沼で食したナマズの天丼と、印旛沼のナマズに関するレポートである。ナマズで町おこしをしている地域ではなく、料理も天丼系のみということで、紀行文としては非常にまとめづらかった。ナマズ料理の影は非常に薄く、吉川はもちろん、名産として扱われていた江戸時代とは比べるべくもない。また、2010年代の水産センターのメニュー表を目にしたが、当時は「ナマズの姿からあげ」や「洗い」「柳川風」も提供されており、今よりナマズ料理に一定の力を入れたことが窺える。しかし、現在のメニューが天丼と天ぷらのみに限定されることを考えると、ナマズ料理の需要は低下していると認識せざるをえない。
 食後に訪れた北印旛沼でふと考えた。そうえいば、2週間前に鹿島神宮、その2週間前に香取神宮を参拝していた、と。この二社には要石(かなめいし)という奇石がある。かつてこの二社の神々が要石によって地中で荒れ騒ぐ大ナマズの頭尾を抑えたという聖石である。これも何かの縁であったのか。(ノビタ、教師補筆)

《参考文献》
赤松宗旦(1973)『利根川図志』1~6巻 崙書房
尾崎真澄・梶山誠(2008)「千葉県印旛沼におけるナマズ人工苗種の放流効果」『千葉県水産総合研究センター研究報告』pp.21-28
白鳥孝治(2014)「印旛沼物語」『印旛沼流域水循環健全化調査研究報告 』第2号 印旛沼流域水循環健全化会議
寺嶋昌代・荻生田憲昭(2014)「世界のナマズ食文化とその歴史」『日本食生活学会誌』25巻第3号:pp.211-220 日本食生活学会
《参考URL》
水郷佐原観光協会「旅なび佐原」(URL:https://www.suigo-sawara.ne.jp/?p=we-page-top-1)閲覧日:2023.12.25
印旛沼環境基金(URL:https://www.i-kouiki.jp/imbanuma/environment.html)閲覧日:2024.1.4
国土地理院ウェブサイト 地図・空中写真閲覧サービス(URL:https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)
 整理番号:MMKT621(撮影年月日1962.5.13(昭和37))   
 整理番号:MKT653X(撮影年月日1965.9.30(昭和40))
 整理番号:KT736Y(撮影年月日1973.12.17(昭和48))
 整理番号:KT749Y(撮影年月日1974.11.19(昭和49))閲覧日:2024.1.10
SORI 「まっくろクロスケ」(URL:https://makkurokurosk.blog.ss-blog.jp/2009-08-11-46)閲覧日:2024.1.6
千葉県(URL:https://www.pref.chiba.lg.jp/suisan/sakana/kyouryokuten/inba-suisanresutoran.html)閲覧日:024.1.6
鳥取市観光サイト(U¥RL:https://www.torican.jp/spot/detail_1043.html)閲覧日:2024.1.6
ranmaru7-0235 「蘭丸の「つぶやき動物写真館」」(URL:https://ameblo.jp/ranmaru7-0235/entry-12514747449.html)閲覧日:2024.1.14


《連載情報》ノビタのなまず放浪記
(1)埼玉県吉川 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2715.html
(2)千葉県印旛沼 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2777.html 

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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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