天国への階段(ⅩⅢ)

葬 儀
昨日はまず夕方に次女が帰宅し、玄関の祭壇におかれた猫の遺体を目にして泣き崩れた。「慟哭」というに足る泣き方だった。私は夕食の準備を兼ねて、朱雀コープまで走ることにした。走りながら、フォークルの「悲しくてやりきれない」の歌詞とメロディが頭を駆け巡り、ベソをかいている自分を知った。息子は9時すぎに帰宅した。普段より2~3時間早い帰りで、リビングの扉をあけ「デブはどこ?」と口にして、自分の足もとに安置されていることを告げられ、その様をみてやはり泣き崩れた。小学校1年生からのつきあいなのだ。兄弟姉妹を失ったかのように、かれも泣き続けた。


東京にいる長女は懸命に残業を続けていた。翌日の仕事をあけるために、彼女ばかりか上司までもが残業につきあっているらしい。その長女は、今日の午後2時ごろ奈良の家に戻ってきた。すでに次女が火葬の手配を済ませている。家族5名が2台の車に分乗し、猫の遺体と好物を携え、生駒の向こうにある東大阪市の稲荷山動物霊園に向かった。家形をした紙の棺にデブは納められ、般若心経を聞きながら焼香し、最後のお別れをした。火葬のボタンは家族ではなく、職員が押した。1時間後、デブは白骨になってあらわれ、私たちは骨をひろった。遺体をみていると泣いてしまう子供たちも、骨には涙しなかった。少し気持ちが晴れたような気がした。
家に戻って、みんなおかしな感傷に襲われた。家の中にデブはいない。昨日まではいた。帰宅した直後の挨拶は「ただいま」ではなく、「デブは?」だった。デブはもういない。
サイドボードの上に仮の仏壇をつくって骨を祭っている。骨壺に「愛猫デブの霊」と書いてある。骨壺に入らない骨は白い風呂敷に包んでもって帰ってきた。明日、庭に埋葬する。
