天国への階段(ⅩⅣ)

埋 葬
駅前まで散髪に行った。もちろん走る。走るとまた「悲しくてやりきれない」が頭を駆け巡る。帰りも走る。途中、コープ前のたこ焼き屋台に立ち寄り、野菜焼き2枚とネギジャンボ1箱買った。オヤジに「17年間も家に住み着いていた猫が死んでね」というと、仰天した顔をした。
「じっ、じゅうななねん・・・人間ならエラい歳でっしゃろな」
「90歳くらいかな?」
「いや、もっと上でっしゃろ」
そこから走って家に戻り、さっそくスコップを手にした。庭の中央に立つ楓の樹の下の尾根筋に穴を掘った。家内を呼ぶ。彼女はこの場所が気に入らない。もっと手前の低いところとかなんとかまくしたてるのだが、水はけなどを考えると、尾根筋の高いところに埋めてマウンドを築くほかないと私は考えていた。白い布にくるまれたデブの骨をその穴に埋めた。土で埋め、さらに土を盛りあげ、使わなくなった洗濯物干しのコンクリート製土台で蓋をした。陵墓の形をした墓石である。これでだれも骨の上の土を踏めないだろう。四角錐の土台の頂部には鉄パイプの竿を差し込むホゾ穴もあいている。そこに土を詰めた。これで香炉の代わりになる。さっそく線香を5本立て二人で合掌した。


それから特養に向かった。玄関でなじみのHさんと顔をあわせたところ、連絡を待っていたという。じつは、六弦倶楽部の一部のメンバーが鳥取県西部の特養をまわってギター演奏していることに刺激され、わたしも奈良で同じような活動を始めるべく昨年末から打ち合わせしていたのだが、年明けから強烈なノロウィルスとインフルエンザが奈良を席巻し、特養は長く面会謝絶状態が続いていた。面会時は必ずマスクをし手を消毒して、ロビーでの会話だけが許されるようになったが、とても音楽会など開くのは無理だった。Hさんによると、「デイサービスの方ならやれたんですが」とおっしゃる。しかし、あのウィルス蔓延下で音楽会を演るような気にはなれなかったし、演ったとしても母はそれを聴くことができなかっただろう。
3ヶ月ぶりに個室に入った。懐かしい風景だ。好物のたこ焼きを渡し雑談していると、担当の看護師さんがあらわれ、ある市販の薬品が必要になっていることを教えられた。そこでまた猫の話をした。17年以上住み着いていた猫が亡くなったと伝えるとやはりとても驚いた顔をした。「猫の1歳は人の5歳だから」と彼女は言う。17歳ならば85歳、18歳ならば90歳、19歳ならば95歳、20歳ならば100歳ということである。母は90歳になったばかりだが、すでにデブが母を追い越していたのかもしれない。
生きられる限界まで生きてくれた。そのことに深く感謝している。
