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鳥取のキリシタン(1)

東洋文庫展示ChristianMissions-detail_page-0001 東洋文庫展示ChristianMissions-detail_page-0002


キリスト教交流史-宣教師のみた日本、アジアー

 「ナマズでまちおこし」する唯一のまち、埼玉県吉川市を訪ねようと思っていて、昨年訪問経験のある千葉在住のノビタにメールしたところ、上野・浅草から1時間以内で行けることが分かった。
①浅草駅→吉川駅
https://maps.app.goo.gl/rcueAqvVHaJEJBNs8
②上野駅→吉川駅
https://maps.app.goo.gl/pr8DoVk1zDhCpM6o9

 埼玉まで遠出するなら、ついでに視ておきたい展示がある。東洋文庫で開催されている企画展「キリスト教交流史-宣教師のみた日本、アジアー」である。1月27日(土)から始まったこの展示も5月12日(日)で終わる。なんとか視ておきたい、と考えている。

◆会場: 東洋文庫ミュージアム
〒113-0021 東京都文京区本駒込2-28-21  ℡03-3942-0280
駒込駅(JR山手線・東京メトロ南北線2番出口)徒歩8分
千石駅(都営地下鉄三田線A4番出口)徒歩7分


鳥取の隠れキリシタンに係る基礎文献

 ノビタは鳥取の切支丹に係る文献をいくつか紹介してくれたので、ここに整理しておく。

①浦川和三郎(1943)『浦上切支丹史』九 鳥取:p.474-
 浦上四番崩れの記述あり。
②気高町教育委員会編(1997)『気高町誌』の「亀井氏と切支丹」(p.235-)
 江戸時代初期に鹿野を治めた亀井氏と切支丹は関係が深いとし、亀井氏がキリシタン大名であったという記述あり。また、酒津をキリシタン信仰の場としたと考察(p.238)、同所の東昌寺境内にある切支丹灯籠(p.239)と子安地蔵(マリア地蔵、p.240 )についての記述あり。
③高橋伸明(2006)『杉田玄白探訪』【県立図書館蔵】
 杉田玄白の娘・稲が鳥取池田家の御転医である田中家に嫁いでいるが、これは両者が隠れ切支丹であるためと推定している。田中家にマリア観音が祀られているという記述があったはず?
④上野忠親(1915)『雪窓夜話抄』巻下【県立図書館蔵】
 上野忠親が記し、その後、滝勝胤によって延享三年(1746)~宝暦二年(1752)頃に再編された。因伯叢書発行所によって活字として発行されたもの。その中で「森元交拷問にあひながら醫道を考へし事」では池田家の医師・森 元交が切支丹であったいう記述あり。また、その頃(江戸前期?)は切支丹に日本国内で知られていない技術を持つ者がおり、医学のために切支丹に敢えて入信する者が多かった。
⑤鳥取県教育委員会(1960)『鳥取県文化財調査報告書』第1集:p.21
「文化保護財 切支丹灯籠」 概括的な解説と写真あり。「とっとり文化財ナビ」(http://db.pref.tottori.jp/bunkazainavi.nsf/bunkazai_web_view/9501FC1DED864D734925796F0007FFD9?OpenDocument)に切支丹灯籠が紹介されている。

⑥松田重雄の一連の著作
松田(1972)『池田藩主と因伯のキリシタン』
松田(1969)『切支丹灯籠の研究』など
 郷土史家、全国中学校校長会の会長を務めた。他に類書あり。
 県立図書館には「国かくれキリシタン研究会」の会誌が複数ある。
 このほか、鳥取藩史、新鳥取県史、新修鳥取市史も切支丹関連の記述があるかもしれない。

 以上の図書については、すでに何冊か古本を注文済。今年の4年生は福岡、長崎の出身者が3名いる。まさに隠れキリシタンの本場であり、これをマカオや鳥取と結びつけることができれば面白いかもしれない。『薬研堀慕情』もバカにならんよね。


 わたし自身が探し出したのは以下のブログ。

浜坂砂丘と歴史のひろば(小山真佐美)
https://sakyu-history.com/kenkyu-engoji/kinsei/

 キリシタンについても詳しく触れている。おそらく松田重雄の文献に依拠しているのであろうが、池田長吉ほか、米子城主、鹿野城主、若桜城主はみなキリシタン大名だと断じている。検証しなければなりませんね。 ちなみに、鹿野城主、亀井玆矩を主役とする歴史小説を著した佐治の郷土史家からは、以下のようなメールを頂戴した。

亀井玆矩はキリシタンだったか

 この件について、鳥取県のキリシタン研究の第一人者・松田重雄『池田藩主と因伯のキリシタン』(昭和47年7月)に記述があります。
 
  「三因伯二州の久留子紋 1 鹿野城主亀井氏の入信」(pp.32-49)
 松田重雄は玆矩が朝鮮侵攻に出陣し名古屋城に駐留したことにより伴天連を通して入信したと考える。そして、進取の気質にあふれた玆矩は戦国で頭角を表すために南蛮貿易を受け入れたと考えられると言っている。その証拠として角立四ツ目紋を平四ツ目紋(真ん中に十字架がくる)に変えたこと、城下の加知弥神社神扉裏に久留子紋を取り付けたことをあげる。なお古い神扉に詩が書かれその中央に「八十(やそ)琉球守」と記されていた。さらに、酒津海岸の地をキリシタン信仰の礼拝地とし東昌寺にキリシタン灯篭(鳥取県指定保護文化財)を設置したことをあげている。元和6年(1620)ポルロ神父が伯耆国より海路鳥取城下に巡回したとき、酒津に立ち寄ってこの地の信徒を慰問激励したことが神父の報告書に記されている。

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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