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米子の八幡神社を訪ねて

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 環境大学西部サテライトでの公開講座の後、おぎんさんは山登りをされたようですが、ぼくは米子の八幡神社に行ってきました。というのも、教授の講演で、八幡神社で最近確認された平安時代の木彫神像と摩尼寺奥の院の木彫物の年代が近いのではないかと指摘されていたので、気になったのです。行くには行ったのですが、境内に人影はなく、残念ながら、その木彫神像を見ることができませんでした。

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八幡神社の案内板によると、豊臣秀吉奉納の「翁の面」は、当社で能楽が催された名残りであろうとされる。また、米子城主奉納の「三十六歌仙の絵」、等身大の木製「神馬」もあり、古い「神輿」三基が残っているようです。社殿の建築様式は「室町時代、安土桃山時代の両様式にわたっていることが、本殿の彫刻や蟇股などから推定され、神仏混淆による独特な八幡造りである」とあります。しかし、実際に観察してみると、本殿の様式は「流造(ながれづくり)」であり、その彫刻は江戸時代の終わりごろから明治時代の様式を示しているので、看板の説明とは様式・年代とも異なっていると感じました。いつか平安時代にさかのぼる神仏を見てみたいものです。(白帯)

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↑米子・八幡神社で平安期の木彫神像発見の記事(チャック先輩送信)

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建築彫刻の見方

米子八幡神社の建築年代は、本殿は天保12のもので、彫刻のそれに類する。
が、拝殿は、時代がグーと古く、特に彫刻類は、その建物よりも更に古い。
というのも、はめ込み式の蛙又が使われており、その年代が室町期のもの、安土桃山期を下るものでは無い。---国の技官の調査報告。
かっては、朱塗りの社殿の可能性がある。 
最近、戦国期の棟札も発見された。
-------コメントの訂正をお願いします。

御礼

私自身は社殿をみておらず、旧学部生が見学し報告したもので、おそらく貴方がおっしゃるとおりなのでしょう。拝殿が室町なら「重文」ですね。鳥取にまた一つ重文が増えるというのは誠に喜ばしいことです。ただ、学部生は「本殿」の様式を「幕末~明治」と推定しているのですから、天保12年と一致するのではありませんか。本文では拝殿について、一言も触れていませんので、修正する部分がありません。

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