国英神社

幼少のころ、八頭郡河原町には5つの小学校があった。わたしが通っていたのは河原小学校で、他の4校は国英(くにふさ)小学校、八上(やかみ)小学校、西郷小学校、散岐(さぬき)小学校である。河原小学校区から最も近い位置にあったのが国英小学校で、自転車で遠征したり、千代川沿いの道を歩いて行ったりしていた。
ただ、国英神社のことはよく知らない。所在地は河原町片山854番地とあり、白帯くんにグーグル地図をみてもらいながら、なんとか境内まで車で辿りついた。そこは霊石山の山麓で、子供のころ鮎釣りをしていた八東川の川縁であった。鳥居の脇に「鳥取市指定文化財 大イチョウ」の所在を示す杭が打ってある。平成20年の案内板(鳥取市教委)によると、樹齢は約480年で、「天正九年(1581)国英神社が片山字宮畑からこの地に遷宮した以前からあったと思われる」とのこと。字宮畑がどこなのか、少し検索してみたが、よく分からない。

鳥居をぬけて拝殿に至る石畳の参道から左に目をやると、社務所の上手に祈祷所があり、その虹梁に残る絵様が細くて円形に近く、18世紀に遡るだろうと思われた。本殿の絵様は、昨日紹介した聖神社本殿に近い。全面扇垂木に台輪をもつ禅宗様系の影響が強いところも同じであり、建築年代は幕末に下るであろう。平面は流造系だが、屋根はいわゆる「宮殿(くうでん)」系の派手な造りにしている。入母屋造平入の瓦屋根に千鳥破風と軒唐破風をつける。規模は小さいが有力な神社であったことを物語る意匠である。
問題の梵鐘はどこにもみあたらなかった。鐘楼らしき建物もない。通りすがりの老女に訊ねたところ、たしかに以前に釣り鐘はあったが、市の職員がもっていったそうである。鐘楼ではなく、拝殿の軒先に吊していたともいう。

帰学後、鳥取市教委の知人にメールで訊ねたところ、その梵鐘は現在、鳥取県立博物館の常設展示室に陳列されているという。「伯州久米郷長谷寺鐘」という14世紀の銘が記された梵鐘である。いちど会長さんとともに足を運んでみよう。

↑繋虹梁・実肘木の渦の形は聖神社に近い