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『建築考古学の実証と復元研究』書評(1)

 拙著『建築考古学の実証と復元研究』の書評がでました。六一書房のネット上書評リレーの第4回(2013年9月3日)に島根県の松本さんが執筆されたものです。紛らわしいので念押ししておくと、鳥取県教委の松本さん(建築史)ではなくて、島根県教委の松本さん(考古学)の書評です。松本さんらしい誠実な文章で、ありがたい限りです。ありがとうございました。

 同成社から出した『先史日本の住居とその周辺』(1998)、『埋もれた中近世の住まい』(2001)、『出雲大社の建築考古学』(2010)については、結構頑張って広報活動をしました。なにぶん高価な本だから、一定量の売り上げがないと出版社にご迷惑がかかる。だから、いろんな専門誌に書評を書いてもらったり、新聞夕刊の文化欄で取り上げてもらったりしたんです。今回の本については、科研の出版助成を得ているわけだし、そういう宣伝めいたことを一切控えようと心に決めています。あんまり売れる本ではないでしょうが、密かなブームというか、隠れたマニアの愛読書というか、そういう立ち位置の本になれば嬉しい。
 書評は以下のサイトに掲載されています。

  http://www.book61.co.jp/book_review.php/61


 まことにもって厚かましい限りだが、以下に転載させていただきます。


縄文から近世のあらゆる建築構造物復元を手がけた著者による復元研究の全容を集大成

 だだっ広い野原にしか見えない遺跡の中に忽然と姿を現した大極殿。平城宮跡第1次大極殿の復元建物は、平城遷都1300年を記念して2010年に完成した。その大規模な木造建築は、訪れる人びとに往時を偲ばせ、感動を与える構造物として多くの興味をそそる。国(文化庁)の事業として整備されたものであり、復元案作成にあたっては奈良文化財研究所(以下、奈文研)を中心に、現存する古代建築や今日までの建築史研究の成果、明治以来百年を越える蓄積をもつ文化財建造物修理の知見、発掘調査によって明らかになった資料に再検討を加え、国の総力をあげて取り組まれたもので、現段階の研究成果の到達点を示す建築物と言ってもよい。
 しかし、本書の著者浅川滋男氏は「復元された大極殿上屋構造はどこまで確かなものであろうか。基礎情報が乏しいものを復元すべきではなかったのでは」という疑問を投げかける。著者は現在鳥取環境大学教授であるが、元は奈文研の職員であり大極殿復元検討チームの主要メンバーの一人でもあった。何故にそのような発言があったのか。


 もともと文化庁は史跡整備にあたっては実証性の高い根拠がなければ「復元」を認めなかったが、著者は1989年以降大きく方針転換がなされたとみる。その一つが文化庁の「ふるさと歴史の広場」事業の開始で、遺構の「立体復元」を行い史跡の活用をはかろうとするもの。それを機に地方自治体から建物復元に関する依頼が増加したようであるが、筆者は常に「遺構上に建物を復元する」という行為自体に不信感を拭えないでいたという。1964年に採択されたベニス憲章においても、建造物の修理にともなう復原(Restoration)、遺跡整備にともなう復元(再建、Reconstruction)のいずれに対しても否定的である。憲章のエッセンスを最もよくあらわしているのは第9条の「推測による復原を行ってはならない」という文言ではないか。苦悩のなか、朱雀門・東院庭園中央建物・大極殿復元などは奈文研主体事業であるので「保存は実務だ」と割り切って史跡整備に携わっていたという。
 ところが、1991年に中国に留学し、中国社会科学院考古研究所の楊鴻勛教授が実践されていた「建築考古学」(日本では馴染みのない用語であるが)なる「遺跡から出土した建築遺構を復元する」という研究法に大きな刺激を受け、「民族建築学」から「建築考古学」へ転換することになった。2001年に鳥取環境大学に赴任されてからも各自治体からの「建物復元」業務の要請が増加していったようだ。その際に、それぞれの遺構に真正面から対峙しながら、この遺構から復元してよいのか、復元するための情報は十分あるのか、など様々な自問自答を繰り返しながら多くの遺構復元に関わってきた。本書はその実践成果をまとめた論集である。
 「序―建築考古学への途」では研究の軌跡・遍歴を概括する。
 「第1章 倭人伝の建築世界」では第1節で正史東夷伝にみえる住まいについて中国の文献をもとに詳細な検討を加えているが、圧巻は第2節以下の鳥取県青谷上寺地出土建築部材による弥生建築の復元であろう。これまでの弥生建築の復元にあたっては、日本各地から出土した一部の材をパッチワークで作るしか手立てはなかった。ところが2005年から青谷上寺地出土建築部材検討会がスタートし、約7000点におよぶ部材データシートが順次ネット上で公開されることとなった。著者は鳥取県埋蔵文化財センターが実施した部材データ公開事業の中心的役割を果たすとともに、山陰地域の建築遺構復元を精力的におこなった。各種大量の部材は、弥生時代の楼観や大型建物・高床倉庫を反復的に復元することが可能で、復元にあたっては必ず部材対応シート(建物のどこにどの部材を使ったのかを明示する)が作成されているのが特徴。したがって、一つひとつの材が空想でも借用でもなく、その実証性が明確に示されているわけである。ほぼ 100%青谷上寺地出土建築部材を用いた実証性の高い建物復元がなされており、青谷上寺地出土部材による復元研究は弥生時代建築の復元を一段高いステージに押し上げたといえる。
 「第2章 竪穴住居の空間と構造」では縄文焼失住居跡・弥生焼失住居跡の復元のほかオホーツク文化の船形住居の復元が試みられている。なかでも岩手県御所野遺跡(縄文中期)の竪穴建物(住居)の焼失実験を伴う復元研究は興味深い。復元に至るプロセスは、調査→分析→初期復元設計→実験的復元建設→焼却実験→基本設計変更→実施設計→施行という理想的な形で進められた。2002年に「御所野縄文公園」としてオープンし、高い評価を受けているが、著者自身は「まだまだ検討の余地を残している」という。
 「第3章 歴史時代の建築考古学」では発掘情報のほか、文献・絵図・同時代の古建築などを手掛かりとした建築遺構の復元について記されている。安土城摠見寺本堂・摩尼寺「奥の院」・出雲大社本殿をはじめ、東アジアの古代都城が取り上げられている。ベニス憲章は石造やレンガ造りなどの立体的なモニュメントを共有するヨーロッパ人の認識のもとに採択された規範であり、日本に代表される木造文化圏の遺跡整備についてはそのまま応用するのは難しい。だから遺跡の標示には何らかの操作が必要となる。平城宮跡の場合、(1)覆屋内での遺構の露出展示、(2)植栽による柱位置のみの表示、(3)基壇部分のみの復原表示、(4)約1mの高さまでの建物復元、(5)建物上部構造の完全復元、の5段階があるとする。開かれた遺跡博物館とするためには、さらなる多様なプレゼンテーションを組み合わせ、一般の人びとから専門家まで、多種多様な訪問者を受け入れる容量を高める必要があるとする。
 「第4章 建築考古学と史跡整備」では考古学と建築史学は文化遺産の保存と復原(復元)という分野において課題を共有しているとし、日本における木造建築遺産の保存と復原における問題点と可能性を示す。「オーセンティシティ(authenticity)に関する奈良ドキュメント 1994」は、文化は多様だから、文化遺産の修復方法も多様であることを認めようとするもの。これは日本にとって一見有利にみえるが、著者はベニス憲章の精神を骨抜きにしてしまったと評価する。「文化や地域を超えて大切なものは何なのか」、木造建築の文化圏においてもベニス憲章の根本理念を踏まえた保存修復のあり方を可能な限り模索すべきと主張する。すなわち「奈良ドキュメント」を安易に受け入れることは、自国の修復手法の再検討を回避し思考を停止してしまうことになるという筆者の警鐘であり、その中で、いかにして世界のスタンダードに近づけることができるのかという、筆者が自らに課した試練ともみえる。
 「終章 スコットランドの寒い夏」はイギリスの「田舎」で筆者が心打たれた、人びとと遺跡や景観とのかかわりについてつづったエッセイである。町並みと田園は長閑で美しく、そこに住む人びとは遺跡や廃墟をこよなく愛している。イギリス人は「田舎」を愛している。日本の「田舎」がイギリスの「田舎」のようになるのはたやすくないが、素材はたっぷり蓄えられていると日本の将来に思いを馳せている。
 本書は、著者が直接かかわった縄文時代から近世におよぶ事例について、どのような根拠に基づいて復元したのか、どのような課題がのこされているのかを具体的に論述されていることから、ネットで部材データを閲覧することにより本当に著者の解釈でよいのか読者がそれぞれに検証できる余地があり、とてもありがたい。また、論集とはいえ、思考するプロセスや失敗談、その時々の思いも記述されており、どのように学問形成がなされてきたかも垣間見ることができ、ある意味で楽しく読める書でもある。
 著者の研究の最も大きな特徴は、復元にあたってまずは遺構にこだわり、遺構の情報を最大限読み取ることに心血を注ぎ、そこから次のプロセスへと進めているところにある。
 これまでの建物復元にあたっては、考古学研究者が発掘した成果を提示し、それを建築史研究者が個人の持つ建造物イメージをもとに復元案が提示されることが多く、両者は大きく乖離していたように思う。それに対して、著者は発掘データを1次資料として出発し、いかに実証性を高めるかを常に思考している。これは奈文研での発掘経験が大いに活かされているというべきで、今も発掘調査に携わり続けている建築学者だからこそなしえるのであろう。本書が他の追随を許さぬ業績となって結実しているゆえんである。
 遺構をどのように読み取り上部に何を描くのか、その考古学的知見と建築学的所見のコラボレーションのプロセスは、専門外の人にとっても興味深い内容であるとともに、考古学研究者・文化財担当者にとっては必読の書といえる。(評者: 松本 岩雄/島根県教育庁文化財専門官)

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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