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摩尼寺建造物の調査報告(Ⅲ)

2014摩尼寺01配置図02圧縮


2.登録候補建造物【続】

 (2)山門
                           構造形式:一間薬医門 切妻造桟瓦葺平入
                           建築年代:明治中期(推定)

 摩尼寺山門は本堂の南側正面にあり、両開きの桟唐戸を設えた一間一戸薬医門である。西側の漆喰塀に潜戸を伴う。親柱は五平の鏡柱とし切石の礎石の上に立て、控柱は角柱で礎石の上に礎盤を挟んで立てる。親柱上に冠木をわたし、その上に皿斗付大斗をのせ三斗組を組んで実肘木をのせる。控柱上にも本柱と同様に冠木をわたし、皿斗付大斗上に実肘木を置いて、その上に女梁(肘木)と男梁(腕木)を架け控柱の桁につなぐ。親柱と控柱をつなぐ繋梁は短いが虹梁風にして絵様を施す。軒は二軒繋垂木。妻飾には蓑束を立て、その左右に装飾的な笈形をあしらう。木鼻や実肘木の絵様、とくに渦の形状は、本堂腰組の頭貫や木鼻と酷似しており、本堂とほぼ同時期に建立された可能性が高いと思われる。
財産台帳(登記簿)に山門の建物名称はみえず、これに相当する可能性があるのは木造瓦葺平屋建屋根切破風の「中門」であろうか。中門の建築又ハ取得ノ年月日の項に「明治廿二年再建ス」と記されている。山門は絵様・彫刻が本堂に近似するが、明治22年再建の可能性もあり、或いは同年に屋根替えなどの大改修がなされた可能性もある。
 ちなみに、門前と山門の中間に建つ仁王門(県指定保護文化財)は、文禄3年(1594)に島根県隠岐郡西ノ島町の焼火神社(旧焼火山雲上寺/重要文化)より移築と寺伝に言う。しかしながら、虹梁絵様の様式は18世紀後期を示しており、壁や柱には文政七年(1824)、安政二年(1855)、安政三年(1856)、文久(1861-63)の落書が残っている。落書の多くは本堂・山門再建の年代と近接しており、仁王門の移築がなされたとすれば、本堂・山門の建設と同じ幕末期の可能性がある一方で、隠岐諸島で明治期に推進された廃仏毀釈に伴う移設の可能性も否定できない。その場合、山門の明治22年再建と仁王門の移設が同時期であったことになるだろう。



2014摩尼寺04山門図02平面図01圧縮
↑山門平面図

2014摩尼寺04山門図03断面01
↑山門背面図・断面図



2014摩尼寺05鐘楼図02平面図01圧縮 ←鐘楼平面図


 (3)鐘楼
                           構造形式:入母屋造桟瓦葺平入
                           建築年代:明治25年(財産台帳)

 摩尼寺鐘楼は山門南東側の角地に建っている。一段高い切石積の基壇上に4本の角柱を立てる。柱下には切石礎石の上に礎盤を置いて、内転びのきつい柱を立てる。四面開放の各面に内法貫・飛貫・頭貫を配する。柱上は皿斗付大斗に三斗組とし実肘木をのせ、中備には蟇股を配する。軒は一軒角繋垂木で、化粧垂木は全面が飛檐垂木風の配付とする。鐘楼内の天井は化粧垂木(地垂木)のあらわしとする。本堂・山門の絵様と比較すると、木鼻の渦はやや丸みを帯びており、わずかながら古式を示している。鐘楼が本堂・山門に先行して建立された可能性を示すものだが、財産台帳には「明治廿五年建築ス」とある。
 鐘楼について気になるのは、摩尼山頂を写した戦前の絵葉書(↓)である。立岩の脇に閻魔堂を配し、その対面に鐘楼が建っている。登記簿によれば、山頂の閻魔堂は昭和19年の大地震で倒壊しており、後に山麓に移設されたものである。山麓境内の現閻魔堂は戦後の新築だが、繋虹梁のみ古材を継承している。閻魔堂の対面に建っていた鐘楼も、このときの大地震で倒壊した可能性が高く、すでに山頂に姿はない。山頂の平場に古材が積み上げられている。絵葉書にみる山頂の鐘楼は切妻造で、丈がやや低い。入母屋造で丈の高い山麓境内の現鐘楼とは異質にみえる。山頂鐘楼を撤去する際に、木鼻・組物など一部の部材を持ち下りて現鐘楼に転用した可能性がないとは言えないが、登記簿に示す鐘楼の建築年代(明治25年)を信頼するならば、本堂以前の古式を示す木鼻などは現鐘楼の前身建物の部材を継承した可能性が高いであろう。
 ちなみに、山上中間域に所在した三祖堂(最澄・円仁・空海を祀る)も、戦後、山麓の境内に移設されているが、漆塗りの内陣部材は移設前の材を継承したものと思われる。


2014摩尼寺05鐘楼図03断面図01圧縮
↑鐘楼断面図

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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