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GW編 「修験道トレッキング」(Ⅰ)-三角山

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 GWの課題として、プロ研1&3の学生諸君にチームを組んで近隣の山に登ってもらいました。今回は用瀬町の三角山にのぼったブレイクD君とイッポ君のレポートをお届けします。三角山と言えば、2期生とともに登った2005年の登山を思い起こします。LABLOGの「三角山の揚羽蝶 -紅葉の修験道トレッキング」という記事と併せてお読みいただければ幸いです。(教師)


中国地方最初の登頂、最高のラーメン      

 4月29日午前9時、1年生2人、2年生3人、白帯さんの計6人は鳥取環境大学ロータリー前に集合し、車で約30分ばかり離れた鳥取市用瀬町へ向かった。
 今回の目的は、三角山登山及び三角山神社の見学である。三角山は標高508mの小さな山でその山頂に三角山神社がある。創建については定かでないが、記録に残る最古のものは寛永3年(1626年)、多くの修験者が修行を行うために登ったと言われてる。また、終戦までは女人禁制の山で、女性は途中の女人堂までしか登ることが許されなかったそうだ。願望成就のお礼参りに、川原の石を神前に供える力石の風習が残っており、毎年7月23日に祭りが行われ、近郷から多くの参詣者でにぎわいを見せる。

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 登り始めて約15分、行き止まりとなった道にあたり僕たちが登り口を間違えたことに気付き、急いで引き返す。近所の方に道を聞き、10時過ぎに女人堂に到着した。どうやら僕たちは一ノ瀬公園内の敷地をぐるぐる回っていただけのようで、皆口々に「いいウォーミングアップになった」と言っていたが、その日の気温が道路脇の温度計で30度を示していたことを考えると、体力消耗は相当激しかったのではないかと思う。
 三角山の登山道はというと、枕木の階段で所々補正されてはいたが、落ち葉でよく滑り危険だった。本当なら岩が転がっていたり鎖場があったりと、楽しめる箇所も多いはずなのに、暑さの影響もあり皆ぐったりしていて、約15分置きにある休憩所でも白帯さんは「勘弁してくれよ」とぼやいていた。その後も険しい山道を登り、11時半に無事全員が登頂を果たした。

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 山頂の三角山神社本殿は、鋒錫(ほうしゃく)大権現と称されていて、本殿周囲の権現石、影石、重石、富士石、天狗石、万燈石と呼ばれる巨石が印象的だ。山の南側は崖となっていて眺めは素晴らしく、全員で記念写真を撮った。その日の朝食を抜いていた僕にとって今回の登山はとても過酷で、唯一持っていたスポーツドリンクの重要性を改めて感じた。
 帰り道は駆けるような速さで下ったため、時間はかからなかったものの、太ももがパンパンで足がガクガク震えていた。この時、身をもって日頃の運動不足を実感し、少し反省した。13時頃、腹ペコだった僕の提案で全員ラーメンを食べにいくことになり、バリ馬杉崎店へ立ち寄った。やはり、たくさん汗をかいたあとのラーメンの味はより一層美味しく感じられ、僕の中では2012年の№1ラーメンだったと思う。
 三角山登山は決して楽ではなかったが、充実していたと思う。中国地方で初めての登頂となった今回の体験は忘れられないものになった。これからのプロジェクト研究も楽しく学びたい。(イッポ)

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図1三角山記念撮影


山頂の巨岩と三角山神社

 三角山  標高516m。頭巾山とも呼ばれる。山頂は周囲72mばかりの平坦なところに、影石・重石・富士石・天狗石・万灯石と名づけられた5つの巨巌がある。ふもとから山頂までは約1960mの険しい山道で、途中に垢離場・女人堂がある。
 
 三角山神社  本殿は三角山の山頂にあり祭神は「猿田彦大神」で奉錫大権現と言われ、「峯錫さん」「権現さん」「お山さん」と尊称されている。祭日は旧暦6月24日に行われ、山頂の籠堂でご来光を迎える人が多数あった。また、祈願成就の印として石をたむける風習(力石)が現在も伝わっている。


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 4月29日朝、白帯さんの車に分乗し三角山を目指していざ出発。地図をたよりに用瀬の三角山の麓らしきところに到着。入口にある神社を見学し、水分を買い、いざ登山。途中分かれ道などがあり二手に分かれたりしながらも合流し、あっさり到着。しかし、なんだか低い。三角山の標高は516mと聞いていたのに低い。山を間違えた可能性が出てきた。とりあえず下山し、周辺に三角山の表示がないか散策。学校らしきところで子供が野球をしていてその保護者の方々に質問してみると、どうやら違うところに登ったらしい。
 車に乗りなおしていざ三角山へ。今度こそ三角山神社に到着。大きな鳥居をくぐり登山道を進む。初めはなだらかであったがだんだん急な坂道になってきて間違えて登った山とは大違い。15分ほどかけて中鳥居に到着。標識をみるとまだ3分の1程度のところらしい。当日は晴れていて暑く、汗もよくかきなかなに疲れてきたがまだ先は長く、登るしかない。途中休み休み登りながらなんとか山頂に到着。と同時に巨巌があらわれた。影石、重石、富士石、天狗石、万灯石があり、どの巌も人よりはるかに大きい巨岩であった。これだけ大きな巌が5つもまとまってあれば人々は神仏的な信仰をするようになるのもわかる気がした。そもそもこんな巨巌はどのようにして山頂に現れたのか不思議に思った。晴れていたので山頂からの景色はすばらしく、登ってきた疲れが癒されるかのようだった。精神面では癒されたが体は変わらず、下山時は足がガクガクで滑りながら下りてきた。(ブレイクD)


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三角山に宿る神様と自然に感謝

 4月30日、B班のメンバーといっしょに用瀬町三角山に登り、山にまつわる歴史や信仰について調べて来ました。最初に、三角山の下のほうにある東井神社というところに着きました。東井神社は藩政時代、智頭郡における大社で、藩の祈願所だったそうです。東井神社を出て山の裏の方を周ったところに三角山の入口がありました。道を歩いて行くと、この山が鳥取県によって土砂流出防備保安林に指定されている林がある山であることがわかりました。さらに、林道には人口的に作られた川があり、ところどころに水飲場のような場所がありました。林道を抜けると、三角山女人堂に着きました。戦前までは、三角山において女性はこの女人堂より先は登ることができなかったそうです。この少し前方に「三角山神社」と書かれた鳥居があることからも、女人堂が登山口になっているようです。鳥居をくぐると、すぐに急な坂道が続いていきます。この坂道はとてもすべりやすくなっていて、ところどころに岩が転がっており、登りにくかったです。岩があって登りにくい場所には鎖などがついていました。

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 ある程度登っていくと、この山の案内板がありました。その昔、この山一帯が神聖な霊場であると同時に、修験者の修行の場であったということと、山の下のほうにあった川が当時の修験者の水のみ場であったことがわかりました。ようやく頂上に着くと、三角山神社の本殿があり、その周りに、影石、富士石、重石、天狗石、万灯石という巨岩がありました。巨岩の下にたくさんの石が転がっていましたが、これは「病気治療」を祈願し、祈願成就の証として山頂へ石を手向けるという「力石」と呼ばれる風習だそうです。たくさん転がっている石を眺めながら、この山がどれだけ近隣の人々に親しまれてきたのかがわかりました。さらに、四方を望むと絶景がひろがっており、登山の疲れが癒え、心が洗い流されていくように感じました。
 下山途中、メンバー全員で山の下にある水のみ場に寄り、昔の修験者が飲んでいたのと同じ水を浴びつつ、三角山に宿る神様と自然に感謝し、三角山を後にしました。(環境マネジメント学科2年K.S)

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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