上方往来を描く-河原宿(5)


市の日
今年の1111で七周忌を迎えた。河原宿での最後の実習・演習の日である。学生たちは前々週描いた背戸川沿いの土蔵立面図に3色ボールペンで寸法を入れていく。今回は本来の趣旨とやや違う工程を歩んでいる。昨年は建物正面図を歩測ベースで描いた。その手描きスケッチを最後に採寸したのだが、今年は1週目から学生たちは結構寸法を採っていた。現場で「測りすぎてはいけないよ」と注意したほどだったし、その後の作図も方眼紙に定規を使ってドローイングする学生が何名かいた。だから、改めて採寸と言われてもピンとこなかったかもしれない。現場では、窓枠や戸口などのディテールを描いて細部の寸法を書き込むよう指示した。


背戸川に鯉はもういない。中国に遊んでいたころ、長女は0~1歳の可愛いさかりで、祖父母に溺愛されていた。その孫のいちばんお気に入りの場所が錦鯉の泳ぐ背戸川沿いの小路だった。この路で子猫にでも出会おうものなら娘は一歩も動かなくなり、案内係の祖父母を困らせた。そんな想い出の場所にいて学生の演習指導をしている自分が不思議でならない。
週末に長女は法事のため帰省することになっていた。土曜の夜、彼女が帰途につくのは今夜なのか明朝なのかと気をもみながら夫婦はまたしてもPAUSEにしけこんでいた。フロアを独占していたのだ。PAUSEは特養の近くにある。1109日曜日の七周忌の法要にあたって母(祖母)の外出書類を提出する必要があった。そして、特養を訪れた帰りにまたPAUSEに寄ってディナーをオーダーしたのだ(夕食の仕度が面倒くさいのね)。長女は東京にいるはずで、いつ奈良に戻ってくるのかわからない。電話をかけた。


「近くに居るのよ」と娘が電話越しに答えたとき、夫婦は驚いた。結婚したばかりの同級生に昼間あって学研都市公園をハイクしていたというのだ。その友達はほんに近所に住んでいて娘をPAUSEまで送ってくれることになった。
かくしてPAUSEの占領者は3名になった。従業員と同数である。七周忌のためだけに家族が集結するわけではない。患者「閉塞」の快気祝いでもあり、法要翌日の1112は91歳になる母(祖母)の誕生日でもあった。おまけに、その1週間後に長女の誕生日を控えている。
土曜の夜の運転手はわたしだ。赤ワインは母娘二人に譲るほかない。豚肉のバルサミコ煮と赤ワインは極上のハーモニーを奏でているようにみえた。近くて遠いヴィーノ・ティントに歯軋りしきり。食後、バースデーケーキの注文に少々足をのばす。


翌1109、母(祖母)を車椅子から解放した。母(祖母)は自宅のソファに腰掛け、仏壇から外した父(祖父)の写真をうっとりみつめながら、アッサムCTCをおいしいと言って砂糖なしで飲んだ。以前は、紅茶も珈琲も父(祖父)とシュガー1袋を半々にわけて入れていたが、今回はミルクだけの紅茶に満足しバースデーケーキを頬張ったのだ。
母(祖母)は猫が苦手だ。結果、母(祖母)が夕食前に特養へ帰るまで、サツキは患者の部屋に幽閉された。


夕食は父(祖父)の好物、河豚で供養しようとしたが、近所のスーパーには出回っていない。メニューはシャブシャブに変わった。シャブシャブにはレタスがあうよ、と娘は言う。ほんに美味しい。白菜よりも牛肉によくあう。酒はロゼのシャンパンと、越の寒梅。越の寒梅がまたたくまに消えていく。わたしも、患者もよう酔った。
へべれけになってソファに横になる両親をみて息子は叱る。そんなに母親に飲ませるな、というのだ。ええではないの。頭の中に巣くっていた奇形はもう存在しないんだから。出血の危険性は0%になったんだから、飲めばいい。快気祝いじゃないか。患者は驚くほどのスピードでお猪口を空にしていった。

1111、わたしは学生たちの群れからしばし離れ、実家の敷地に足を運んだ。オモヤはもうない。殺風景なプレハブに変わっている。ハナレはまだある。街道沿いの居酒屋が空き地になったおかげで上方往来から奥のハナレが見通せるようになったんだ。ハナレの2階が勉強部屋さ。シングルベッドに付属する本棚にはゴルゴ13のシリーズがずらりと並んでいた。受験勉強が楽しかった。
あの部屋に戻りたい。


